第17話 弓道着と新たな練習
弓道具の店で買い物を済ませ、近くの古くからありそうな喫茶店でお茶をする。
いくつもの道具を選ぶのに時間がかかり少し疲れていたのか皆参加した。
高校生としてはかなり高額な買い物をしたことで、少し浮かれながら話をする。
伝票が運ばれてくると秋山がさっと立ってキャッシャーのところで支払いを済ませてしまった。
「今日は先輩にお手数かけちゃったんで、ほんのお礼です」
「えー、いいのよ。先輩として当然のことをしただけだから」
秋山はきっぱりと受け取れませんと断る。さらに、僕たちからも徴収しない。
「いや、それはまずいよ」
「ほら、俺は結城に借りがあるじゃん。こんなのじゃ返せないけどな。で、二人だけってのも変なので他の人も一緒にね。はいはい。もう、この話はおしまい」
秋山、できるな。
本音は緑川先輩にいいところを見せたいというところなのだろうけど、一人だけだと色々と先輩も気まずいだろう。それをスマートな形でできてしまうのだから凄い。
新垣さんが場を収める発言をする。
「それじゃあ、秋山くん、ご馳走様。それでさ、結城君への借りってなんなの? なんか妙に仲がいいよね」
「まあ、詳細は話せないんだけどさ、俺の困りごとを解決してくれたんだ。なんか、そういうのが得意な人が居るんだけど、特定の人からの紹介じゃないと受け付けてくれないらしいんだ。それが結城ってわけ」
微妙に間違っているけど、大筋として第三者に話すにはこういう筋書きの方が無難かもしれない。
「そんな人が本当にいるんだ」
湯気の上がるカップを口元に運んでいた添田さんがポツリと呟いた。
新垣さんが意味ありげな視線をする。
「へえ。秋山くんと結城くんって本当に仲がいいんだねえ」
「結城はしっかりしてて、俺はこんないい加減な感じだけど意外と相性がいいのかもな。お袋も気に入ってるし」
「え? 親も公認?」
秋山が吹き出した。
「変な言い方すんなよ。狙って言ってんのか?」
「ごめん、ごめん。そんなつもりはないから。単純に想像以上だなって驚いただけ。ほら、女子に比べたら男子って、教室では一緒に騒いでいても、親に会わせたりしなじゃん」
緑川先輩が大きくため息をつく。
「一年生はいいわねえ。同学年が一杯いて。私の学年じゃ、こんな風におしゃべりするなんて考えられないもの」
「だったら、今後も遊びに行ったりするとき先輩も一緒にどうです? もちろん、部活中はちゃんと先輩の顔立てますから」
「ぜひぜひ、そうしましょう」
新垣さんも熱心に誘う。
「それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。どのみち、あなた達の学年の誰かには部活の役員やってもらわなきゃいけないしね」
「あ、俺、渉外ならやりますよ。そういうのは得意なんで」
秋山が早速アピールをしていた。こういうところは僕も見習った方がいいのかもしれない。
その後少し話をして、結構な荷物があるので帰宅ラッシュで電車が混む前に帰ろうということになった。
最終的に僕と私服姿の添田さんの二人だけになる。
大人しくて口数の少ない添田さんと僕では、ずっと無言になりそうで、ちょっと心配をした。
平日の帰宅時間前の電車はガラガラというほどではないが、立っている人はほぼいない。
二人並んで腰かけると僕は途方に暮れてしまった。
数駅、このままというのも辛いけど……。
すると添田さんが口を開いた。
「あのね。結城くん」
あまり大きくない声に横を見ると意を決したような添田さんと目が合ってしまう。
「な、なに?」
「ごめん。なんでもない。忘れて」
何か話したそうにしていたが、僕にはそれを聞き出すだけの会話術は無かった。
沈黙が二人の間に横たわる。気まずい。
なんとか話題を探した。
「明日からは弓道着で練習だね。少しは緑川先輩みたいにちゃんとして見えるかな? やっぱりジャージ姿だとミスマッチだったよね」
「そうかな……。そうかもね」
「的に向かって弓を引くのはまだ先になりそうだけどさ。せっかく矢を買ったから早く撃ってみたい」
「私、うまくできるか心配」
「大丈夫だよ。添田さん、ゴム弓引いている形きれいだもの」
「そうかな。全然ダメだと思うけど」
「変に力が入ってなくていいって褒められていたじゃない。弓は引くんじゃなくって押すんだって言われてもついつい右手に力が入っちゃう」
「あ、次の駅は結城くんの降りる駅だよね」
「本当だ」
電車がホームに入線して減速する。僕は荷物を確認すると立ち上がった。
「それじゃあ、また明日」
翌日の放課後、秋山と一緒に運動棟に向かう。
「今日は弓道着の着方を最初に教えてもらうことになってるんだよな」
三年生の先輩の指導の下、更衣室で着替えをした。
まず、靴下から足袋に履き替える。
次いで、Tシャツの上に白い上衣を羽織るところまでは簡単だった。合わせも紐が付いているので分かりやすい。
幅十センチほどの帯を巻くのも難しくは無かった。後ろの処理にはちょっと手こずる。
いよいよ袴に脚を通した。
袴の前の部分を帯の線に合わせて紐を一度後ろに回し、前に戻す。もう一度体の周囲を巡らせて後ろで結んだ。
次に後ろ部分のベロを帯に引っかけ、その袴紐を前へと回す。帯の下、下腹部に斜めになるようして結び、余りは紐の中に押し込んだ。
秋山たちとお互いの姿を見て笑う。
「なんか見慣れなくて変だな」
「弓道着に顔や手足がついてる感じ?」
「ああ、その言葉しっくりくるな」
指導してくれた先輩は、いずれ慣れるとだけ言うと弓道場に僕たちを率いていった。
僕らが到着してしばらくすると、女子たちも入ってくる。
個人的な意見だけど、弓道着は女子の魅力を数割増しにすると思った。
新垣さん、添田さん他の一年生女子は今までと雰囲気が全く違う。
いきなり僕の脇腹を誰かが肘で押した。
振り向くと秋山がニヤッと笑う。
「あまり見とれているとバレるぞ」
「見とれてないって」
「まあ、確かに見直したけどな」
そんなことを囁いていると緑川先輩が僕らを招き寄せた。
「それじゃあ、これからかけの付け方を説明するぞ」
和弓を引くためには、一般にイメージするように中指と人差し指で弓の弦を引っかけて引くわけじゃない。かけと呼ばれる専用の手袋を使用する。
弓道においては一番大切な道具で絶対に貸し借りはしないそうだ。
かけを付け終わるといよいよ弓に矢をつがえての練習になる。
もっとも、まだ的に向かって撃つことはしない。
米俵のように藁を巻いたもの、巻き藁に向かって羽根の無い矢を使って近距離から弓を引く。
親指、人差し指、中指の三本指で矢をつまむようにして引くのだが、慣れていないとポロリと矢が落ちてしまう。
それ以外にも、引き方が悪いと眼鏡が飛んだり、弦が強く胸をすったりした。
秋山も胸の先端を引っかけたらしく、マジで痛いと嘆き、こっそりと僕に囁く。
「女子って、胸当て、あれ無いと死ぬだろ」
考えてみれば当たり前だが、金属製の矢を二十八メートルの距離を飛ばすだけの運動エネルギーを与えるのだから弓の弦には相当な力がかかっていた。
うちの部で所有している中で一番軽いものでも、弓を引ききるのにばねばかりで計測すると十キロの力がかかっている。
そんな力で射出される矢が巻き藁に刺さるのを近くで体感すると背筋が寒くなった。
入部したときに先輩に注意されたことが蘇る。
ああ、これ、本当に大怪我するし、下手すると人が死ぬや。
数をこなすよりも丁寧に姿勢を確認しながら行うようにとのことで、それほど多くの回数を行ったわけではないが、部活が終わる頃にはすっかり疲弊してしまった。
僕以外の同級生も弓の怖さを実感したようであまり顔色は良くない。
もともと、浮ついた感じの部員はいないのだけれども、すっかり意気消沈してしまっていた。
緑川先輩がやってくる。
「そんな顔しなくったって大丈夫だから。ふざけているよりはよっぽどいいけどね。ちゃんと正しく練習していけば怖がることはないわよ。みんなが通ってきた道だから」
秋山は熱心に頷いていたが、僕はまだ自分がうまく弓を引ける未来が思い浮かばなかった。
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