第18話 泊りの誘い

 そして迎えたゴールデンウィークに、僕は半ば強引に誘われて秋山家のお客となる。

 事前に母にお伺いをたてたが、失礼のないようにしなさいというだけで止めるでもなかった。

 一応名目上は出された宿題を一緒にやることになっている。

 まあ、滞在時間の十分の一ぐらいはするだろう。残りの時間はゲームをすることになりそうだが、それは伏せておいた。

 母親は何も言いそうにないが、瑛次に知られると僕も連れていけとなるに決まっている。

 そうなれば、母も翻意するかもしれないし、高校の友人宅に兄弟でお邪魔するというのはあまりにも厚かましい。

 失礼の無いようにという言いつけだったので、家の近所の洋菓子店で小さな焼き菓子を買って持っていく。

 地元ではそれなりに評判の店の品だが、秋山家では珍しくもないだろう。

 秋山に出迎えられて、上階へとエレベータで進み、お母さんに手渡すと喜んでもらえた。

「あら。そんな気を遣わなくてもいいのに」

「いえ、お休みのところにお邪魔してすいません」

「崇から、結城くんにはとてもお世話になっていると聞いてるわ。真面目に部活にも通っているし、これも結城くんのお陰ね」

 秋山が割って入る。

「この調子だとここで日が暮れちまうよ。さあ、結城、俺の部屋に行こうぜ」

 最初に二時間ほどかけて宿題は片付けた。

 少しゲームをすると夕食になる。

 お兄さんは不在だったが、秋山のお父さんも一緒だった。

 最初は緊張したが、話のうまい人で意外と盛り上がる。

 特に僕がかなり昔の推理もののテレビドラマに関して話についていけると分かると相好を崩した。

「君の生まれるずっと前の作品だが、どうして知っているのかね?」

「ノベライズされたものを読みました」

 秋山が話に加わる。

「親父に見せられたホームズとかポワロの話にも詳しいぜ」

 食卓の話題が殺人事件というのもどうかと思うが、話が弾んだので仕方ない。

 お父さんは食事を終えると名残惜しそうに階下の不動産屋に戻っていった。

「さてと、親父が戻って来る前に引き上げようぜ。さもなきゃ上映会が始まっちまう」

 秋山に急き立てられてダイニングを後にする。

 しばらく遊ぶと秋山に声をかけた。

「そろそろじゃないのか?」

 秋山が近くに置いていたスマートフォンで時間を確認する。

「そうだな。休日だからいつもとはパターンが違うかもしれないけど」

 ゲームを一時停止して立ち上がった。

 秋山はカーテンの隙間から外を覗くと、いるいると声をあげて、僕と場所を代わる。

 窓から見下ろすと小さな通りを挟んで少し離れた位置に立つアパートの三階の端の部屋のベランダに人影があるのが見えた。

 下から明かりに照らし出されており、どうも何かスマートフォンを見ているように思われる。これが秋山に聞かされた謎のベランダ男か。

 泊りがけでの訪問を渋る僕を口説くのに秋山が使ったのが、この男性の存在だった。年明けごろからちょくちょく見かけていたと聞いている。

 今は気候がいいので、気分転換に屋外の空気を吸いながら、スマートフォンをいじるのはそれほどおかしくはないのかもしれない。それでも、蚊に刺されるだろうし、それほど長居はしないはずだ。

 この時期ならまだしも、かなり寒い真冬に屋外にわざわざ出てきて、作業をするというのは奇異に見えたとのことだった。

 煙草を吸うというのならまだ理解できる。アパートの他の階にもそういう住民が居るのは見かけているそうだ。

 しかし、このベランダ男には煙草を吸う動作は見受けられない。

 十五分ほどスマートフォンをいじると男は屋内に引っ込んだ。

 秋山が話しかけてくる。

「な、不思議だろ?」

「そうだね」

「あれはなんなんだろうな」

 話を聞いたときは、ベランダから何かが見えるのかと想像していた。しかし、ベランダのすぐ前は時間貸しの駐車場で、その先には雑居ビルが建っているだけである。窓も三十センチほどの小さなものがあるきりだった。電気もついておらず何も見えそうにない。

 それにそもそも、男はベランダの手すりの向う側には何の関心も払っていないように見えた。

 僕の中にあった覗き説は早々に消える。

「実はシックハウス症候群で中に長くいると具合が悪くなるとか?」

「あの物件、親父の会社で管理しているんだよ」

「あ、ごめん」

「別に気にしてないよ。そうか、外に出たいんじゃなくて中に居られないということか。ただ、そんなに築浅じゃないから、それは違うと思うんだよな」

「可能性として言ってみたけど、もし過敏症なら短時間外に出たぐらいじゃ意味無いしね。でも、よく、あの男の奇行に気が付いたな」

「あ、俺が日常的にアパートの覗きをしているとか疑ってないか? まあ、確かに普通は気にしないよな。それには理由があって、あれが壊れたんだ」

 秋山が指さす先にはケーブルの刺さった小さなボックスがあった。

「急にルーターが壊れてさ。そのとき見たい動画があったのに、携帯の容量制限がかかっていてめっちゃ通信速度が遅かったんだわ。そりゃ、ダイニングに行けば別のルーターはあるけれども諸般の事情によりそちらには行けない」

 にやっと笑う。ああ、なるほど、どういう種類の動画か分かった気がする。

「で、もちゃもちゃ試しているうちに鍵のかかってないWi-Fi電波拾ってさ。すげえ微弱だったんだけど窓際なら十分に強度が出て無事にその動画を視聴できたってわけ。そのときに同じようなことをしてるのがいるなって気が付いたのが最初さ」

「それじゃあ、ベランダ男も家のルーターが壊れているんじゃない?」

「あのアパート、光回線の契約をしていて高速インターネットができるのが売りなんだ。備品でルーターも設置している。壊れてるなら電話一本で交換だ。一日ならともかく、長期間わざわざ外に出て無料の無線を拾う必要はないよ。とりあえず見るものは見ただろ。ゲームに戻ろうぜ」

 午前二時過ぎまで白熱の対戦をする。

 さすがに指が痛くなったので仮眠をとることにした。

 秋山が折り畳み式のマットレスを出して寝床を作ってくれる。

「こんなので悪いな」

 マットレスに体を乗せてみると快適だった。

「全然問題ないよ。なんなら僕の敷布団よりも寝心地がいい」

 ふと思いついて窓辺に寄ってみる。

 カーテンの隙間からアパートを見ると、運命の糸で結ばれているわけでは無いだろうが、ベランダ男の姿が見えた。

 秋山が尋ねてくる。

「まさか、こんな時間なのにいるのか?」

 僕はカーテンの位置を直しながら窓から離れた。

「うん、居るね」

「そうか。まあゴールデンウィークだから夜更かししているのかもしれないな。しかし、こんな時間まで熱心に何をしているんだろう?」

「まあ、僕らも、もし外から見れば、格ゲーで午前様とかキチってるって言われるんじゃない」

「まあ、そうかもしれねえな。じゃあ、寝るか」

 朝起きて寝起きの一戦をしていると秋山のスマートフォンが鳴り出す。

「やべ、朝食の時間だ」

 ダイニングに下りて朝食を頂いた。

 ベーコンエッグにサラダ、トースト、ヨーグルト。それにジャム、蜂蜜の瓶が並ぶし、飲み物は果汁百パーセントのジュースが用意されている。まるでホテルの朝食のようだった。

 恐縮しながら食べていると、秋山によく似ているが数歳年上の若い男性も食卓に加わる。どうも、この人がお兄さんらしい。

 見るからに人が良さそうでぽわぽわしていた。

「崇の友達か。よろしくな」

 朝食後はお父さんが是非にというので、ホームシアターで自慢のコレクションの上映会となる。

 本のカバーに印刷されている俳優の写真は知っていたが、実際に安葉巻をふかし、ボロ車に乗って、頭をかきながら、容疑者を追い詰めていく様は面白かった。

 同好の士を発掘した喜びに、お父さんからまた遊びに来なさいと強くいわれながら、夕食は固辞して帰宅の途につく。

 ちょっと寄り道をして例のアパートを見上げながら、ベランダ男に、「あのう、すいませんねえ」と僕が質問する姿を夢想した。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る