第16話 大人の振る舞い
結局、僕が円城寺さんに会えたのは翌週の半ばを過ぎてからになる。
なかなか会えずに心配しながらも、借りていた本を読み終わって返却しようと旧館を訪れた。
表の張り紙が無く、僕はホッとしながら戸を引き開ける。
円城寺さんはカウンターに座って本を読んでいた。
いつも通りの姿を見て安心する。
すぐに声をかけずに読書する姿を観察した。いつもの黒縁眼鏡をかけてうつむいており、髪の毛は無造作に後ろで束ねられている。実験用の白衣を着ているのも前に会ったときと同様だった。
クラスにいる派手な女子と比べると地味なのは間違いなのだけれども、なぜか僕の目を惹きつけるものを持っている。
僕より年上の女性の落ち着きなのか、圧倒的に上の立場にあることを示す態度なのか、他者を拒絶するような言動なのか、いずれもすべてが円城寺さんらしさを醸し出していると思った。
しばらく声をかけないでいると、円城寺さんが顔を上げる。
僕が居ることを認めると面倒そうな声を放った。
「少年。扉を閉めてくれないか。外の声が入ってくる」
僕は慌てて後ろ手に扉を引いた。バンと大きな音がする。少し力を入れすぎてしまったらしい。
円城寺さんの片眉が上がった。そしてしょうがない奴だというような苦笑を漏らす。
僕は近づいていって、円城寺さんの前に立った。
「あの。先日解き明かしてもらった必勝の神様のメールの件なんですけど、お陰様で送られてきていた人の目を覚ますことができたようです。僕に話を持ってきた友人からお礼を言っておいて欲しいと頼まれていますのでお伝えしますね」
円城寺さんは小鼻にしわを寄せる。
「なんだ。私の存在を他人に話したのか?」
「いえ、違います。とある人ということにしてありますので、円城寺さんだということ話していません」
「まあ、それならいいか。それで話は終わりかな」
また、本に視線を戻そうとするとするので呼び止めた。
「あの」
「なんだ? まだ話があるのか?」
「はい。あの、円城寺さんって、いつからここで働いているんですか?」
あまり気乗りしなそうな感じで僕を見つめてくる。
「どうしてそんなことを知る必要があるんだ」
「先日の説明を聞いて、凄い推理力だな、と思ったんです。それで、やっぱり長く勤めて色々な本を読んでいるせいかなと考えたんです」
「先ほどの質問と関係が無いようだ。もう、いいかな」
ばっさりと切って捨てられた。
「ちょっと、待ってください。すいません。話が回りくどくて。要は僕、興味ができて円城寺さんのことを知りたいんです」
円城寺さんはまじまじと僕の顔を見る。それこそ穴の開くように見つめられてしまった。
眼鏡の奥の瞳が僕をとらえていると思うと自然と頬が熱くなってくる。
しばらく、そのままの時間が流れた。
扉を閉めたせいか、部屋の中はとても静まり返っている。
円城寺さんは半眼になると、右手の人差し指を耳の穴に入れて掻いた。
ぐうっと背もたれに体を預けると、ふうんという声を漏らす。
「少年。私に興味を持ったと言うが、それはその年頃に特有の流行病のようなものだ。さっさと忘れて勉学その他にいそしみたまえ」
「それはどういう?」
「年上の異性がやたらと魅力的に見えてしまうということさ。自分の理想の母親を重ね合わせる側面もあるのかもしれない。少年のことを良く知っているわけじゃないが、まあ、そういうことなのだろう。では、もう話を切り上げていいだろうか?」
僕は干上がった舌をなんとか動かす。
「あ、借りていた本を返します。そして、次の巻を借りたいのですが」
僕は鞄の中から本を取り出してカウンターの上に置いた。
事務的に円城寺さんはその本を後ろの棚に置くと、カウンターの下から続きの巻を取り出して差し出してくる。
僕はそれを受け取ると鞄の中にしまった。
「では、貸出期限は一週間だ」
それだけ言うと顔を下に向ける。
「ありがとうございました」
最後にそれだけを言うと僕はぎこちない足取りで扉に向かった。
借りた本を読み終わっていて良かった。もし、そうでなければ、あの会話の後に醜態をさらしたかもしれない。
部屋を出て階段に向かう。
いつもより段差がきつい気がした。
いいようにあしらわれるのは想定内であったので、ショックというほどではないものの、円城寺さんにとって僕は景色と同程度ということを再確認させられる。
それでも日は昇りまた沈む。
僕も今までと同様に授業を受け、部活に参加し、瑛次の相手をして、課題図書を読む。
なんとなく日々に味気なさは感じるものの、普段と変わらない毎日を過ごした。
正直、この状況下で、『ジャン・クリストフ』を読むのが辛い。
話の内容がちっとも入ってこないということもあるが、何より、主人公には次々と恋人や想い人ができる展開なのだ。
ジャンは割とでこぼこがある人格だと思うのだが、それでも誰かと繋がるのは才能があるからなのだろうか?
すべてが平均的で特徴がない僕には魅力がないのかもしれない。
それで、心の奥底では気にしていたのか、つい部活の休憩時間に緑川先輩に愚痴っぽいことを言ってしまった。
「円城寺さんって先輩にも素っ気ないですか?」
「そうだね。向こうから距離を詰めてはこないかな。でも、質問すれば答えてくれるし、私は好きだよ」
そこでえくぼを刻む。
「どうした少年?」
「え?」
「と呼ばれて距離を取られてる感じがしてモヤってるんでしょ?」
「ええ、まあ」
「たぶんさ、あえて距離をとっている面もあると思うよ。円城寺さんはまだ若いじゃない。私たちと友達になっちゃいけないって自分を律してるんじゃないかな。結城くん、今までいなかった? 距離感が妙にバグっていて仲間に入りたがる先生って」
ああ、居たな。中二の担任がそうだったのを思い出す。そんな感じだから、生徒にいいように振り回されて、生徒の顔色を伺っていた。
「結城君も心当たりありそうね。私はそういうの苦手だったな。大人はきちんと大人をしていて欲しい。私の勝手な願望だけどね」
僕の顔を見る先輩の笑みが大きくなる。
「円城寺さんはね、絶対に私たちのところまでは降りてこないよ。横に立ちたかったら、君が上がって行くしかない」
「ちなみに先輩はなんと呼ばれているんですか?」
「お嬢ちゃん。まったく馬鹿にしてるよね。でも、そう言われるだけの差はあるからムカつきはしないね」
自宅でヒイヒイ言いながら第三巻を読んだ。延滞したら罰則が大きいし、何よりだらしないのは円城寺さんが嫌いそうだ。
本末転倒ではあるが、読み終われば円城寺さんに本を返しに行くという口実ができる。
そんなある日、新垣さんから提案があった。
「ねえ、矢とか道着とか、水曜日に一緒に買いに行こうよ。その日なら、緑川先輩がついてきてくれるって」
秋山は迷いなく参加と即答する。
誘われている弓道具の専門店は店員さんがアドバイスしてくれると聞いていたから、別に一人で買いに行っても問題はない。
でも、せっかく誘ってくれた親切を袖にする理由もなかった。
みんなで出かける電車の中で、何かの弾みで名探偵は実在しうるかという話になる。
確か新作アニメの吊革広告から話が逸れていったはずだ。
「フィクションの中だけの存在で、現実には名探偵なんて存在しないよねえ」
新垣さんが言うと秋山が反応する。
「いや、俺はいると思うよ。結城の知り合いがそうだよな」
話を振られて困惑した顔をしてしまった。
「どうかなあ」
辛うじてそう答えると、緑川先輩がうまく話を逸らしてくれる。
僕は円城寺さんのことを話さなくて済んだこと、後に咎められずにすみそうなことに胸をなでおろした。
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