22 キマイラ
その朝、鳥の声とともに目覚めた有野マナは、一人暮らしの農家で顔を洗い、歯を磨き自分の職場でとれたフルーツと納豆ご飯、プリン牧場のヨーグルトという和洋取り混ぜた朝ご飯を食べると、出勤までの短い時間を使って「買い出し」を行っていた。買い出しと言っても向かうのは村から支給されたタブレットだ。この村のサイトで朝買うと、ほとんどのものは、翌日か週末に村の集会所にカルガモバスで届く。週末は量り売りのものや生もの、冷凍食品などを自分で歩いてカルガモバスまで取りに行く。平日は、親切な近所の若夫婦の石田さんが、ついでに集会所から玄関先に運んでおいてくれるのだ。
商品はこの村の四つの地区で採れる地元の農産物、そして森中町の果物や磯貝町の海産物、など提携している市町村のものがこのサイトで買うことができる。
「あ、ツクシさんのところの富士見豆腐店、新製品だって…週末お届けで頼んでみようかしら」
もちろんいつでも買えるものもあるのだが、頼まれてから受注生産する品物も多い。
村のおすすめ→発酵塾→富士見豆腐店→新製品紹介という文字が光ってアピールしている。
原則的にはすべてOECの商品なので、原材料費、生産費、人件費、その他の費用などすべてクリアに表示があるし、きちんと環境試験にも合格している。商品によっては、白壁大学の詳細なグルメ分析があのAI三人組によって示される。さらにもちろん生産者からのおすすめの声も聴ける。そこをクリックすると、豆腐屋の富士見大夫婦の手作りの様子が映り、そこにツクシの声が重なる。
それはミルフィーユ油揚げという新製品だった。
「ご覧のとおり、手作り豆腐を水切りして油で揚げるところまで、すべて伝統の手作りです。自慢のちょいあつの油揚げ、ぜひ切り口を見てください。薄い豆腐の層と油揚げの層がミルフィーユのように薄く重なり、全部で5層になっています。リッチな口当たり。煮物にもお勧めですが、軽くあぶって醤油を振ってそのまま食べれば、香ばしい中に豆のうまみが凝縮。ボリューミーな口当たりを楽しんでください」
ツクシさんの声だ。値段はちょっとお高めだが、納得の伝統の技、絶対おいしそう!
早速お買い上げ。カルガモバスだと送料がかからないので、値段に関係なく気軽に買える。マナは、ほかにも発酵塾のもろみニンニク漬けと玄米甘酒豆乳ココア味を買った。もろみニンニクは醤油屋の松風さんのところのもろみを使って漬物屋の弥生さんが青森産のニンニクをつけたものだが、これがうまい。甘酒豆乳のほうはツクシが開発にかかわったと聞いて買ってみたのだがすっかり気に入って熱心なリピーターになっている。ほかにもプリン牧場の隠れたベストセラー、熟成バターボールを買った。たんにおいしい手作りバターを小さなボール状にしてキャンディーのように包んであるのだが、これがパンに乗せてもご飯に落としても手軽だし、最高にうまいのだ。
「あら、また荒川伊代さんから商品紹介が入っているわ」
荒川伊代が実はこの村を狙っている謎の組織のハッカーだなんて有野マナは知る由もない。だが、最近SNSで荒川伊代と連絡を取るたびに、森中町と磯貝町の新しい情報を紹介してくれる。組織の命令で調べているのだが、いいものがあるとつい紹介したくなるらしい。
「この間見つけた磯貝町の新しい商品開発プロジェクトですが、マナさんに言われて、情報を集めて計算もしてしまいました。その結果、少しの投資で、そのあと受けられる割引がとてもお得だと判明しました。ぜひマナさんも参加するといいと思います。じゃあね」
それはクラウドファンディングコーナーで前から気になっていたものだった。
「今度、提携を開始した磯貝町では、老朽化した漁船を廃棄し、新しい漁船に買い替えるプロジェクトが動き出しました。漁船の代金を一部負担、漁船を買って魚を安く仕入れよう。鮮度は抜群です!」
クラウドファンディングが成立すれば出したお金によって、新鮮な魚がタダになったり、割引で買えたりする。
「アジ、イワシ、サバにサンマ、DHA、EPAが豊富な魚ばかり!」
それがどのくらいお得なのかわからなかったけど、情報通の荒川伊代がそういうなら…、マナは決断し、クラウドファンディングにお金を出すことにした。
「先日の生のイワシが新鮮でおいしかったです。漁船プロジェクトに参加します。お金は少ないけど、応援する気持ちはいっぱいです」
入金もスマホかタブレットで一瞬だ。すると画面に実際に船に乗る漁師の黒岩さんが現れて、今朝撮ったばかりののお礼のコメント動画が流れる。
「いやあ、昨日までにまた船を買うお金がけっこう増えてまして…ありがとう、漁師ガンバルヨ!」
実際につながっている感じがしていい気持!そのうち大好きな牡蠣の養殖プロジェクトもあるそうで、それも絶対参加しようと思っている。
はっきり言って、OECのサイトには、大安売りとかセールとかの文字はない。その代わり原材料費や人件費などの裏側はわかるし、出所も生産者の顔もきちんとわかる安心安全なものばかりだ。
そして生産者と消費者の直接取引は、AIのキズナさんが中に入り、仮想通貨などに使われるブロックチェーンという方法で契約されていくので、不正やごまかしはきかない。
そして、原則、こちらが必要なものを必要な分だけ買うので、フードロスやモノ余りが出にくい仕組みになっている。しかも生産量と消費量の中・長期的見通しにどんどんAIが入ってデータを蓄積、分析していくので、何が売れているのかとか、足りなくなりそうなものとかが事前にすぐわかり、生産者にオープンに知らされる。あまったから大安売りなどということもほとんどなく、フードロスもほとんど起きない。
生産者から直接買うことにより、ものによってはかなりお買い得なものもあるらしい。でもあえて安いとか、大幅値引きみたいな表示は全くない。
安売りも懐かしいけど、この村に来てから本当においしいものが生活の中に増えている気がする。生活の質が上がった感じだ。
そういえば、今日は自分が企画して生産が始まったバニラの初収穫日だ。
事前のAIの需要予測では、とても需要が高く、すぐにオーダーが入るだろうということだった。そうなれば、マナたち生産者に、適正な報酬がきちんと入ってくる。
「よおし、がんばるぞ!!」
この村に来てよかったと、有野マナは、ほほ笑んだのだった。
そのころ気合を入れている別の集団があった。
そこは葛飾ストアーの秘密の会議室、葛飾内蔵のまわりにいつものメンバーが集まってきたのだった。あの背の高いミスターG、アイドル荒川伊代、そしていくつもの名を持つ謎の女だ。
「おや、トモコちゃん、もう宝石屋はやめたのかい?」
この間まで宝石商の池井ケイだった女は、今日は髪形もシンプルにバッサリ切り、別人のような清楚なファッションで答えた。
「あのホテルでしばらく池井ケイの名前で活動していたから、あの刑事に面が割れてもう池井ケイは使えないわ。しばらくは本名の鶴倫子(かくともこ)に戻るわ。それで、今日は何の話なの?」
「本部から連絡が来た、荒川伊代君、頼む」
するとあのアイドル天才ハッカーのかわいい荒川伊代が秘密文書を読み上げた。
「君たちの奮闘にもかかわらず、桜山村と磯貝町の提携は進み、地元の小魚の販売や漁船のクラウドファンディングが進んでしまった。大量生産大量消費や現在の流通システムを否定する桜山の方式がこれ以上広がると、我々企業連合は著しく損害を被る。そこで決行するのかどうか本部に決定をゆだねられた次の作戦だが、決行の方向で取り組んでもらいたい。もし、新品種のイチゴの苗が手に入れば、裏ルートを通じてアジア方面に広く流通させる予定だ。桜山村と森中町のイチゴを通じての提携をご破算にするのだ。以上である。
「決行?!」
みんな目を合わせた。もちろんシークレットファイブのアンミツに強奪されたバッグの件はみんな知っている。もしかしたら次の作戦の一部が向こうに流れているかもしれない。それでも決行なのか…。危険だ、危険すぎる。しかもやつらは侮れない強さだ。再び負けうる気はしないが、普通は中止か、作戦の変更だろう!自分で読んだ荒川伊代が質問した。
「葛飾さん、どうしてもやれってことですよね。向こうと共存はできないんですか?」
すると葛飾内蔵は冷ややかに笑った。
「共存?冗談じゃあない、それは最初から無理だ」
葛飾内蔵の語気が急に強くなった。
「俺の小さいころは貧しかった。いつも大好きなコロッケを腹いっぱい食べたいと思っていたよ。それが今じゃどうだい、葛飾ストアーなら、平日でもコロッケはほかのスーパーより20パーセント安いし、セールの日は半額だ。なぜそんなことができると思う、大量仕入れ、大量生産で単価を下げているからだ。これなら腹いっぱい食える。そうだろ?でもやつらはそんな安売りすら否定する。環境問題がなんとか言ってネットのAI市場を使って、消費者が生産者から必要なものを必要な分だけ直接注文する方式をとっている。そうすると大量に生産したり仕入れたりして値段を下げること自体が不可能になってしまう。必要な分だけ作って必要な分だけ売れというのだ。しかも生産者に正当な報酬を払わなければならない。たくさん仕入れるから安く買いたたくのは当たり前だろう。だいたい値段の内訳をすべてクリアに表示だと?そんなことしたらお買い得も大安売りもなくなっちまう。人間はみんな大安売りとかセールとかが大好きだ。嫌いな人間なんかいない。安ければたくさん買って量を気にせず豪勢に消費できる。高価なものを安く手に入れれば誰だってうれしい。その場で必要がなくたって、安いとなれば、つい買ってしまう。そのうち役に立つと思えば多めに買って貯めておく。多めに持っていれば、いざというとき不安もなくなる。万が一余れば分け合って絆を高める。それが人間だ。人間はそうやって仲間と分け合いながら歴史を作ってきたんだよ。バッグだって洋服だってそうだ。安売りやセールがなくなったらどうする?」
荒川伊代がぽつんと言った。
「それは困るわ…。今もネットでいろいろ安く買ってるし…」
「そうだろ?そうだよ、誰だって安売りが大好きなのさ!、だからこそ俺たちゃ、がんばらにゃならんのだ。」
だがそこでミスターGが言った。
「だが、以前にも作戦会議で指摘した通りだ。あそこは現場に通じる山道が3本しかない。そこを封鎖されたらもう逃げようがない。それでも決行するのか?」
すると秘密文書を読んでいた荒川伊代が付け加えた。
「そこですけど、本部から特別にキマイラV2を出動させるそうです」
ミスターGが驚いた。
「うそだろ、クレイジーだ、キマイラなんて。ここは日本だぜ!まあ、でもそれなら何とかなるだろうが…」
すると、それまで黙っていたあの謎の女トモコちゃんが言った。
「キマイラね…それならこの話、乗ってもいいわ。ね、みんな」
誰も反対はしなかった。葛飾が続けた。
「よし、じゃあもう一度作戦会議だ!」
秘密会議は続いた。
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