21 新しい生活

その日ツクシの新入り仲間の北石照三は、蔵川の運河通りを一人で歩いていた。この住みやすい町に来てから期待と不安を同時に背負いながら、離れた家族のことを思ってがんばってきた。今日、一つの結果が出るのだ。運河の柳並木を超えてしばらく行くと、比無良(ヒムラ)製作所の古めかしい看板が見えてくる。実はアイデアコンテストで受賞した北石の製品を作ってくれる地元の工場がAIでマッチングされて数社が紹介されたのだが、この比無良製作所が一番うまくやってくれそうだった。

もともとこの町工場は、初代の社長が「比べるものの、無き、良品」の頭文字をとって比無良と名付けたアイデアメーカーで、万歩計や金属製の事務用品などを作っていた。丈夫で長持ちする事務用品には定評があったが、一時は、秘密の扉のある金属製の筆箱などが子供に大人気になったり、万歩計付きボールペンがヒットし、売り上げを伸ばした時期もあった。でもアイデアマンの初代が亡くなり、まじめな二代目が頑張ったがだんだんじり貧になり、後継者もなくこのままでは数年先に消え去る会社といわれていたのだ。現在の従業員は30人、定番の金属製の筆箱や万歩計付き事務用品などを作って細々と頑張っていた。でも、今回どこでも縄跳びのマッチングの話があり、2代目社長は北石のアイデアにより、もともと得意な金属加工と、万歩計の細かい部品をくみ上げる技術を生かして試作品を作ったところ、それが北石の目に留まった。町工場の経営をやっていた北石は何度か通ううちに、かなり年上の2代目社長の人柄にほれ込み、この社長ともう一花咲かせたいと思うようになったのだ。

「こんにちは、北石です。社長さんおられますか」

「やあ、北石さんお待ちしてました」

もう還暦を迎えた2代目社長は商品開発の増田部長とともに北石を迎えた。

社長より20才以上若い北石だが、社長はとても優しく接してくれる。

「いやあ、北石さんはアイデアマンだし、立派に経営をやってきた人だから」

「またまた、買いかぶりすぎですよ。それで、新しい試作品はいかがですか?」

実は、アイデアコンテストの時に北石が試作したどこでも縄跳びの1号機は、そのまま作るとコストが高くこれでは売り上げが上がらないと、廉価版を試作していた。北石も比無良製作所に何度も通い、やっとのことで廉価版ができてきたのだ。

「いかがでしょう。これだとぎりぎり採算ラインに乗りそうなんですが」

商品開発の部長の話では、北石のアドバイスで、発電部をシンプルに作り替えたのだという。北石はさっそく事務所の中でどこでも縄跳びを跳んでみた。電子音も快適で握った感じも悪くない。

「え、すごい、前より頑丈になった感じですね。すごいですよ社長さん。これで採算ラインに乗るならもう言うことはありません」

喜ぶ社長、さっそく実際の製造・販売に向けての話が進む。

「なんでも、今人気のフィギアスケートの選手はみんな縄跳びを練習に組み込んでるとかで、みんな縄跳びが上手だそうです。テレビコマーシャルで使えないですかねえ」

「そりゃあいい」

そしてすべてが終わると北石はやる気に燃える目で比無良製作所をあとにした。そして北石が帰ってきたのは、あの将軍吉宗先生が中心になって作った「壁のない街」だった。

もともと古い市の貸住宅地などを再開発し、古い住宅をリノベーションし、病院を中心に壁を取り壊して広々とさせて、緑を増やし、高齢者や子育て世代に安く貸し出し、老人と子供の触れ合う町、壁のない街として新しい住民を募った場所だった。やっと見通しのついてきた北石は実家から妻と娘を呼んだのだ。

「え、じゃあ、お父さん、比無良製作所っていう新しい工場を引き継ぐことになるの?」

「まだわからない。とりあえずはどこでも縄跳びとか、だしポットとか、何かヒット作を成功させないとお話にはならないだろうなあ」

「それならきっとうまくいくわよ、アイデアコンテストで受賞して資金の目途もついたんだから」

実はあの話し合いの後、社長から、この比無良製作所の次期社長を引き受けてほしいと一言あったのだ。後継者のいないこの会社は、このままだとじきに消えてなくなるのだと。

「でも、自分は一度親父から引き継いだ会社を倒産させているんですよ。従業員にあんな辛い思いを二度とさせたくないんです」

「だから…、だからこそ頼むんです」

一瞬の沈黙の後、北石はやさしい2代目社長の目をしっかり見ながら答えた。

「わかりました。前向きに検討します」

そして彼は帰ってきたのだった。そして娘に言った。

「うん、パパ頑張るから。もう一度挑戦してみるから」

するとそこにお団子を持って妻が入ってきた。

「ああ、このお団子ね。倉川名物、しょうゆ味の焼き団子、早速仲良くなった隣の奥さんにもらったの。ここ、壁がないからおつきあいも盛んらしいわよ。週末に広場でバーベキューやるんだけど、来ませんかって言われちゃった」

食べてみるとお団子はうまいし、妻もなんか楽しそうだ。

あなた、中古住宅って聞いてドキドキしていたけど、すっかりリノベーションされていて、特に水回りとかトイレとかはバスタブとかシャワートイレとか、とても新しいのが入っているし、家賃も安いし、想像以上ね」

北石は団子をかじりながら、この町に来てよかったとつくづく思った。なんだろう、大儲けするとか、一発当てて大金持ちになるとかそんなことじゃなく、アイデアややる気をきちんと受け入れてくれるこの村が居心地良かった。細々とでも豊かに生きてゆけそうなこの村が気に入った。そして新入り仲間に、今日の報告をメールしたのであった。

やがて夜になると三人から返事があった。有野マナからは。

「私も農家をリノベーションした安い賃貸に住んでいます。一緒ですね」

という親しみの持てるもの。アイドル荒川伊代からは。

「本当にここは住みやすいですね。しばらく住んでみようかと考えています」

と、共感してくれるもの。だが、ツクシからのメールを見て、北石はつぶやいた。

「何だこりゃ?」

そのメールはこんな文面だった。

「奥さんや娘さんが来てよかったですね、私は今、オオカミが走り出すようにいろいろ苦労しています」

オオカミが走り出す…?苦労しています?何度読み直してもよくわからなかった。さすがツクシさんはとびぬけていると感心した。

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