第17話
ていうかなんだ、『交尾』って。言葉にしてから気付いたけど、逃げ道を探すあまり、余計に
力無く吐き出された私の交尾発言。それを受けたエリツィナは、またほんの少しだけ目を見開く様にして瞬かせ、表情を変化させた。
本当に、よくよく見てないとわからないくらいの変化。そして、何かを考えるかの様に彼女自身の右手の人差し指、その第二関節を唇に当てて。
「交尾。……性交、セックスのことでしょうか」
と、私が恥ずかしがっていた要因をさらりと口にした。
「そ、そうだけど?」
「オンナという事は、対象は女性……カオルコも女性……しかし性的指向を考慮に含めれば、なんらおかしいことではない……なるほど……」
何がなるほどなんだよ、私のおかしな発言を冷静に分析するのはやめてくれ。
「つまり、最初のトオルの発言は、カオルコを褒め過ぎると彼女がわたしの貞操を散らす様に働く可能性があるから、憂慮すべきと言ってくれたのですね」
だから分析すんなって。そう言えばこの話題の始まりは、そんな私の軽口から口火を切っていた気がする。そう思うと、数分前の自分を蹴っ飛ばしたくなる。
「べ、別にそこまでは考えてないけど、まぁそんなところ」
「トオルは、優しいです」
「……は? なにそれ」
唐突に、私に対してエリツィナが『優しい』と評する様な事を言葉にした。
「今日は、突然隣の席になったわたしに対し教科書を見せてくれました。クラスメイトに囲まれた時、彼女らに悪意はないとは言え戸惑うわたしの隣に居続け、助けてくれていました」
「……それだけ」
「それだけではありません。カオルコの家に至る迄も隣で歩き、歩調を合わせてくれました。今も、わたしの精神及び身体の健全を慮って発言してくれたものと思います」
「別に、優しいなんてことはないでしょ」
「そんな事はないと、わたしは思います。ありがとう、トオル。あなたが優しい人で、わたしは嬉しい」
エリツィナは彼女自身の手を重ねる様にして、胸の前で抱いた。彼女が今までどういう境遇で過ごして来たかは知らない。けど、たった一日、側に居ただけの人間を優しい人だと言わざるを得ない環境だったんだろう。
私は、そんな彼女の姿を見て、言葉を受けて。
酷く、気分が悪くなった。
人に対してどういう印象を抱こうが、それは個々人の自由だ。けれど、人に向かってそれを形にしてしまった時は、大きくそのありようを変える。
「……どいて、さっさと片付けるよ」
「……はい」
特に私は、私に対してに向けられる『優しい』という言葉を好まない。
その言葉が意味するのは、『貴女は私にとって都合のいい動きをしてくれる』か『貴女は私に害をなす事をしない人だと認識している』というもので、どちらも有り体に言えば、私を『下に見ている』と宣言している様なものだ。
エリツィナがそこまで考えているとは、流石に思わない。けど、私の生きてきた世界では、こう思うことが普通なんだ。そう思えなかった人間が、優しいという言葉を向けた人間に切り捨てられる瞬間を何度も見てきたから。
それだけじゃない。額面通りに『優しい』という言葉を捉えるのであれば、私はどこまで行っても殺人者なんだ。
人を殺める事を生業とする人間に優しいという言葉は使うべきではないし、受け取るべきではない。もし嬉々としてその言葉を受け取る同業が居るなら、そんな奴はイカれてるに決まってる。
だから私は、『優しい』なんて言葉は嫌いなんだ。そしてその言葉を私に向けた、伶奈・エリツィナ。あんたの事は、これからの時間で見定める必要がある。
「この後、あんたの事、薫子さんに聞くから」
「はい。トオルに、わたしの事を知ってもらいたいです」
再びシンクに向かって、ただ押し黙って洗い物の数を減らす。そうして、水の流れる音だけが、空間を満たしていった。
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