第18話
皿洗いがひと段落していよいよ本題に入るべく、オレンジジュースをグラスに注いでリビングへと足を運ぶ。
私たちに洗い物を任せた
私とエリツィナは彼女のテーブルを挟んで反対側、二人掛けソファへと少し距離をあけて座った。
「洗い物ありがとー! 作るのは良いんだけど、皿洗いってめんどくさいんだよなぁ」
「いいよ、ご飯作ってくれたし」
「カオルコ、ご飯美味しかったです。改めて、ありがとうございます」
「お! そっかそっか、
エリツィナはさっき私とした会話を、早速実践したみたい。それを聞くと、案の定薫子さんは破顔して、喜びの表情を浮かべた。けど、今はその表情が見たいわけじゃない。
「それでさ、なんなのこの子。親戚とか言われて、マジで迷惑したんだけど」
「おいおい、迷惑とか言うなよ。伶奈が可哀想とか思わないのか?」
「そういうのいいから。質問に答えて」
「……なんだ、ずいぶん生意気じゃないか」
瞬間、空気が凍り、その色を変える。師匠の顔は一転して冷徹さを浮かび上がらせ、殺気を私に向けてきている。それなら、私は。
「なに、やるの、ここで?」
フェロモン、視線、重心、脳を走る電気信号、あるいはそれらの複合体の『殺気』を以て、殺気を迎え撃つ。
私は師匠の様に器用じゃないから人に向けるなんてことはできない。だけど全方位に放たれる圧は、師匠のそれを超えているはずだ。
動く際に必要な情報処理は完了している。リビングの長辺は6m、天井の高さは2.3m。互いの距離はテーブルを挟んで1.4m。使えそうなものは既に目に入っている。師匠の手元にあるボトル、各々のグラス、私のワイシャツの胸に刺しているペン。
ボトルとグラスは師匠の方が近いから、テーブルを蹴り上げ、側面に左からまわり込み、ペンで喉をひとつき。2秒かかるか、かからないか。殺せる。
「……ぷはっ、やめだ、やめだ。まだ死にたくない」
時間にすれば、ほんの数秒の事。師匠と目線を交わして、私と同様の結果を見た彼女は、悪戯がバレた子供の様にあっけらかんとして、息を吐いた。それを確認した後に、私もふっと力を抜いて放っていたものを隠していく。
「学校が始まっても衰えてなさそうだな」
「そう簡単に衰えるもんじゃないでしょ。確認、必要だった?」
「アハ、いやなに、それだけ切り替えが上手くできてるなら、確認した甲斐があるってものだ」
「切り替えも何も、普通の女子高生は放ったりしないよ、殺気」
「アハハハッ! それは違いない!……おっと悪い、伶菜は驚かせたか」
師匠が詫びたのをみて、隣に座ったエリツィナを見てみると、彼女は私と薫子さを何度も見比べて、目を瞬かせていた。その様子は、少しだけ困り眉になった表情と合わせて、おろおろしていると言ってもいいかもしれない。
「今のは、なんですか、トオル。大丈夫ですか」
「あぁ、うん、大丈夫。脅かせちゃったね」
殺気こそが、暗殺者が最初にその手にかけるものだ。
私は薫子さんにそう学んできた。実践では先ほどの様に、ぶつけ合うなんてことは殆ど有り得ず、依頼中にはつまるところ、私が昼間ひまりと話していた時と同じ意識、気配で以て人を殺す事を求められる。
その為にも、消す必要のある殺気が何を示すのかを理解している必要があり、理解したそれを自在に操る事ができる事もスキルとしては重要なんだ。だから薫子さんは時折、私に対して殺気をぶつけて試す様な事をしてくる。まぁ、実際に動いたとして、少なくともこの場では彼女に負けることはないとは思うけど。
そう、噛み砕いてエリツィナに伝えてやると、また彼女は指を指を唇に当てて、何事かを考え始めた。その仕草は、彼女が頭を使う時の癖らしい。
「……つまり、カオルコはトオルの事をテストしたというわけですね」
「そういうこと。言ったでしょ、薫子さんは人を揶揄うのが趣味なんだって」
「お、なになに、伶菜にアタシのこと紹介してくれてたの? 伶奈、透は他に何言ってた?」
「趣味はあと、料理と女漁りと聞きました」
「酷くない?! 料理はともかく、アタシのことなんだと思ってるんだ?!」
「酷くない、自分の胸に手を当てて考えて」
「えー? ……うーん、美人で、年下に優しくて、面倒見が良くて、しかも超凄腕で、美人でー……言われる様な事なくないか?」
「あんま調子乗ってるとマジでやるよ」
「それから、それから、トオル」
人に殺気を向けといて、あまり反省の色がなさそうな薫子さんをどう懲らしめてやろうかと身を乗り出した時、くいくい、とエリツィナが私のワイシャツの袖を小さく引っ張った。
「なに、どうしたの」
「わたし、トオルに迷惑をかけてしまったでしょうか。迷惑、でしたでしょうか」
「めーわく……え?」
「思えば、私が隣に立った時の顔色の変化、ヒマリと会話した時と比較した時の差異。トオルが不快な感情を抱いていたのは読み取れたのですが……わたしの、せい、でしたか」
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