第57話55 君がいるから世界は 5(最終話)

「あ、そうか……違ったかも」

 固まっているレーゼを見て、ナギは大真面目に言い直した。

「レーゼ、俺と結婚してください」

「……」

 さすがに今のレーゼは、結婚が何か理解している。

 愛し合った男女が、お互いを大切にしつつ生活を共にする、と誓い合う儀式だ。

 亡くなった自分の両親は政略結婚だったから、最初はわからなかったけれど、レーゼはこの一年で、結婚する恋人同士をいく組も見てきた。

 彼らは仲睦まじく暮らし、そのうちに女の人のお腹が大きくなり、子どもが生まれるということも知っている。

「レーゼ?」

「あー、びっくりした」

「嫌、なのか?」

「ううん。その反対。今すぐナギと結婚したい」

「……よかった」

 ナギはレーゼを胸に抱きこみながら言った。なぜか顔を見られなくなかったのだ。

 無意識に緊張していたようで、体が震えている。しかしその強張りは、腕の中の温もりで穏やかに溶ける。

 心が穏やかに凪いでいくのだ。

 彼をこんなに癒してくれるのは、この世にただ一人だった。その存在が無邪気に言った。

「えっと〜。結婚ってまず、何か紙に署名するんだよね?」

「……ああ」

 それはきっと、結婚証明書のことだろう。

「その署名が二人が夫婦であることの、証明になる」

「なら、すぐにしましょうよ! どこにあるの?」

「えっと……実はまだないんだ」

 ナギはすまなそうに言った。

「俺、結婚ってことがよくわからなかったし、自分が結婚できるって考えもしなかったんだ。でも、前にカーネリアが結婚って言葉を使ってから、ずっと考えてた。こんな俺でも頑張れば、レーゼと結婚できるかもしれないって」

「頑張らなくてもできるよ」

「でも、王女様だし」

「家はもうないよ。あっても私、いらない子だったもの。だから大丈夫」

 大変お気楽にレーゼは請け合う。

「そうか。ただ……俺は絶対レーゼと結婚すると決めたけど、今朝このタイミングで言うとは、ついさっきまで思ってなかったから」

「何かあったの?」

「広場を見てたら、仲良く二人で過ごすブルーや、カーネリアたちがいた。そして羨ましいと思った。そしたら突然レーゼが空から降ってきたんだ」

「カールみたいに?」

 

 ギイ!


 ギセラが呼ばれたと思って、高みから返事をする。

 二人は微笑みを交わした。

「そう。俺の贈った服を着て、高いところから降ってきたレーゼを受け止めた時、伝えるのは今しかないって思った」

「嬉しい」

「でもレーゼ、結婚って生活なんだよ」

「知ってるわ」

「レーゼが望むのなら、子どもができるかも知れない」

「望むわよ。ナギは?」

「俺も。でも、ほんの少しだけ、レーゼを独り占めしたい。今までできなかったら」

「いいわよ。二人で同じ家に住むのね」

「ああ。それで同じ寝台に寝る」

「ああ、最初出会った時もそうしたね」

 それはレーゼがナギを助けた日のことだった。まるで遠い昔のことのように思える。

「……あの時は寝るだけだったけど、今はちょっと違うかも」

 ナギは言いにくそうに言った。

「知ってるわ。愛し合うのでしょう?」

「そう。どういうことするかわかる?」

「うん。少しは、女の子同士の話を聞いたから」

「……そか。それでレーゼはどう思った?」

「ナギは私の体のどこを触ってもいいと思った」

「……っ」

 無垢な言葉は、時に平気で心をえぐる武器だ。

「あ、ナギ真っ赤! 可愛い」

「レーゼ……」

 ナギは情けなさそうに言った。

「一緒にいようね」

「ああ。ずっと一緒だ」

 ナギは風に舞い上がるレーゼの髪を抑えながら言った。

「……あ」

 その口づけは、今までよりもずっと深い。

「ふぅ……っ」

 レーゼは自分の体のずっと奥まで、ナギに求められているような気がした。実際そうだったのだろう。彼の熱い舌がレーゼの口の中を味わっている。

 高みにいる二人を見ているのは、カールと空だけだ。

 古い王家の都だった街を見下ろして交わす口づけは、二人の新しい道行きのはじまり。

 風が二人を包みこむ。


「皆の声が昇ってくるね」

「ここまま、ここにいたいけど……」

 ナギは名残惜しそうに唇を離した。

「皆が心配するもの」

「そうだな」

「そうよ。行こう」

 レーゼが手を引っ張って鐘楼を下っていく。ナギは彼女が転ばないように前に出ながら言った。

「レーゼ、証明書はまだないけど、住むところは決めてある」

「まぁ! それはどこなの?」

「俺たちが最初に出会ったところ、『忘却の塔』。前に行った時、住むならここしかないと感じた」

「でも、かなり痛んでいたわよ」

「それも、ジャルマの知り合いの職人とか、他にもつてで頼んでだいぶん修理できている。無論俺も手伝った。レーゼが居心地いいように、だいぶ整えたと思う。ここからはちょっと離れているから、不便かもだけど」

「そんなの平気よ。だって私、ずっとあそこで暮らしていたんだし、もう結界もないから、馬ならここから半日とかからない距離だわ。それ!」

 そう言いながらレーゼは、最後の階段を数段抜かして飛び降りた。

 二人で広場まで駆けていく。


「おーい! こっちだ」

 ブルーが笑いかけ、オーカーが手を振る。

「やっときた! 何やってたんだよ」

「何かあったわね!」

 目ざといカーネリアが、クチバを肘で突きながら言った。

「後で言うから」

 レーゼとナギの声が揃った。

「ふぅ〜〜ん。ま、いいわ! クチバ、踊りましょう!」

 カーネリアに引っ張られながら、クチバが二人を振り返る。

 ナギが幼い頃から知っている彼の厳しい顔は、このところだいぶん穏やかになっていた。

 広場には、笑い声と音楽が満ち溢れている。

 ナギは周囲を見渡した。

 そこには仲間がいた。

 サップやオーカーが可愛い娘と踊りの輪の中に入っている。他にもたくさんの見知った顔がある。

 ずっと一緒に過ごし、戦い、助け合ってきた人々だ。


 俺は一人じゃない。

 レーゼと二人きりでもない。


 今初めて心からそう思える。

「踊ろうよ、ナギ。 私、やったことないけど」

「俺もない。でも、かなり単純な動きだから」

 そう言ってナギは、レーゼの手を取って一番外側の輪に入った。確かなステップだ。

 最強の戦士にとってはダンスなど、少し見ただけで覚えられるらしい。

 娘たちのスカートが翻る。

 レーゼは自分を愛しげに見つめる藍の瞳越しに、空を見上げた。


 ああ、そうね。


 そこには、今はもういない人たちがいる。

 ルビアも、ジュリアも、父も母も、そして、アンジュレアルトが両手に双子の姉の手を取って踊っている。

 大地も空も、人々の心でいっぱいだ。

 レーゼは自分の手を包む大きな掌を握り返す。温かく頼もしい掌。この手は何度もレーゼを助けてくれた。

 大好きな手。

 大好きな人。


 最初からわかってた。

 この人が私の元に来るってことが、私には。

 冷たかった小さい手を、私が温めることができた。

 それからずっと、この人の手は温かいまま、私を守ってくれていた。


「ナギ、好き」

「俺も好き、レーゼ」


 君が俺に人生をくれた。


 あなたが私に世界をくれた。


 君がいるから俺は呼吸ができる。


 あなたがいるから私は未来が見えた。


「ナギ」「レーゼ」

 二人の声が重なった。

「あなたがいるから世界はこんなにも美しい」


   ***


お読みいただき、ありがとうございました。

良ければ最後まで共に走ってくださった方、足跡残してくださいませ。

お返事いたします。

次回作の構想はありますが、しばらくは近況報告に注目していてください。

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