第56話54 君がいるから世界は 4

 季節は巡る。

 冬が終わり、春は去り、夏も過ぎて、再び秋がやってくる。

 魔女エニグマが滅んでから一年になるのだ。

 街や国の復興はゆっくりとではあるが、着実に進んでいた。特に主な街道の治安はかなり回復し、安心して人や物資が行き交うようになっている。地道な警備活動や、盗賊排除の成果だ。

 ゴールディフロウの街には、多くの人々が暮らすようになった。

 かつての人口には遠く及ばないが、レジデンス達が街の再建に取り組んでいると聞きつけて、生き延びた人たちが戻ってきたのだ。そして、若者たちとともに、国の再建に勤しんでいる。

 そして今。

 収穫の時だった。

 各地から運ばれた農産物や、品物がゴールディフロウの街に集まり、街の広場には市場ができている。

 今日は祭りが開かれる日だった。

 以前は主に貴族達の娯楽であった収穫祭が、十何年ぶりに若者たちの手によって行われるのだ。


 若い娘たちはそわそわしている。

 身寄りをなくした少女たちは、歳上の女性たちと共に、いくつかの居住区に分かれて暮らしている。それは青年たちも一緒で、この二つの居住区は結構離れて設置されている。

 あまり固いことは言われないが、いたずらに風紀が乱れるのは争いの元だと、皆で作った決まり事の一つだった。

 若い娘の住む街は、やはりどこか華やかで空気が甘い。

 ある家では、数人の娘達で多いに盛り上がっていた。

 今日が祭りの朝なのである。

 理由は明白で、今日はたくさんの芸人たちもやってくる。その中には楽団もいて、広場では踊りがあるのだ。

 娘たちが盛り上がる理由は、それに備えて何を着ていくか、である。

 職人の街、ジャルマからはたくさんの織物や、衣服の商人も来るようになっていたから、彼女たちは今日に備えて、思い思いの服や飾りを買って準備していたのである。

「ねぇ、レーゼ。この赤いのと橙のと、どっちの服がいいと思う?」

 カーネリアが、鏡に二つの服を交互に合わせて迷っている。

「赤がいいわ。それクチバから贈られたものでしょう? 迷うことある?」

「でもさ、この橙色のは、私がここで初めて買った服だし……」

「でも、カーネリアは赤を着るのでしょ?」

 レーゼは思ったままを言った。カーネリアとクチバ、全然違う二人だが、最近一緒にいることが多い。カーネリアは服の陰から文句を言った。

「レーゼはいいわよね。迷う必要ないもの」

「うん。迷わない」

 あまりにも正直すぎる答えに、カーネリアは半目になって二十一歳になった娘を眺める。

 レーゼは深い青の服を着ていた。

 それが何を意味するのかは一目瞭然であろう。男は自分を象徴するものを、愛する女に身につけてほしいのだ。

 下に着る青い服の上には、白い胴着を着込んで胸の前で交差した紐を縛る。これは大陸中央ではありふれた、若い娘の普段着だが、さすがに祭りともなると、布地や縫製に工夫が凝らされている。

 カーネリアの赤い服には金色の地模様が織り込まれ、レーゼの服には細かい刺繍が施されていた。きっとかなり高価なものだったのだろうとカーネリアは思うが、ナギはなんとも思わないで買ったのだろう。

「これ、高かったんじゃないかな?」

 意外な言葉がレーゼから漏れた。

「え?」

「だって、こんなに細かい刺繍がされているのよ。きっとすごい手間がかかった服だわ。お値段も張ったんじゃないかなぁ」

「レーゼが値段を気にするなんて」

「気にするよ。私だって、市場でものを売る手伝いをしてるんだから」

「……」

 確かにこの一年でレーゼは、生活に必要な様々な知識を身につけた。

 料理の腕はあまり上達しないが、三つ編みパンや、作業用や装飾用の籠を店に出して対価を得るようになってからは、物の値段も理解するようになった。

「ナギ、無理をしたんじゃないかな……」

「そんなこと言ってはだめなんだよ。いや、気にするのはいいけど、ナギに言ってはだめだよ。男って女の子の前では見栄を張りたいもんなんだって」

「クチバがそう言ったの?」

「そう……って、何を言わせるのよ! ほら、髪を結うわよ。後ろを向いて!」

 カーネリアは真っ赤になりながら、長いレーゼの髪に櫛を通した。

「ナギ、迎えにきてくれるんでしょう?」

「うん、そうだけど。待っていなくちゃだめかな?」

「あんた何言ってるの?」

 まだ朝も早いのに、娘たちはもう祭りが待ちきれないのだ。

 

 ナギは城門の上に立って、北の大地を見ていた。

 ここは一番強固な城壁の上だ。

 かつて魔女が支配した大陸の北の地方は、復興が一番遅れている。そのため、北の街道はまだ警戒が怠れない。

 結局、魔女が滅んだところで、人間の敵は人間なのだ。

 しかし、この夏は気候が安定したこともあって、街道に植えられた旅人用の果物や芋の実りもよく、以前に比べて物騒な事件はずいぶん減った。


 そろそろ交代の時間かな?


 夜半から歩哨に立って、今は夜明け前だ。

 今日の祭りにレーゼと参加するには、短くても休息したい。ちょうど交代要員が来たので、ナギは城門の一番高い場所から、城壁の内部にある戦士専用の宿舎へと向かった。

 そこで短い眠りをとり、目覚めた時にはすっかり体力が回復していた。

「おはようさん!」

 野太い声がする。

「オーカー。その格好は?」

 彼は赤い色のシャツにこれまた派手な色のタイを絞めている。大柄な彼ならではの合わせ方で、似合っていないこともないが、ナギにはいささか異様に見えた。

「だって、今日は祭りだもんよ。俺だって、かわい子ちゃんと踊るんだぜ。ちょっとは、めかしこまなくちゃな!」

「そうか。なら俺もそろそろ行くかな」

「って、ちょっと待てよ。そのまま行くのか?」

「服は変えるけど?」

「お前、レーゼをエスコートするんだろ? 顔も洗わないで行く気か?」

「あ……」

「せめて風呂に入ってこい! 髪も洗えよ!」

 オーカーに追い出されるように、いつも沸いている男だらけの風呂に入ると、ナギはざっと体と髪を洗った。そして一応新しく購入しておいたシャツに手を通した。それにいつもの黒い上着を羽織る。

 ナギは自分に似合う色などわからないので、幼い頃から馴染んでいる黒い服ばかり着ている。洒落っ気は当然ない。

「腹立つなぁ……」

 オーカーは、宿舎に唯一ある小さな鏡で、髪を整えているナギの背中に向かってつぶやいた。整えると言っても、手櫛で伸び始めた髪を後に流しただけだ。

 別に着飾らなくても、長い手足で端正に黒を着こなすナギは、男の目から見ても格好が良かった。

 彼の飾りは唯一、レーゼからもらった守り石で作ったペンダントだ。

「畜生! 俺ぁ先に言ってるぜ」

「ああ」

 いつも身につけている刀子を何本かと、剣を持ってナギは外に出た。そこは城壁の中断で、階段を降りたらすぐに街へ出ることができる。

 眼下の街には、すでにたくさんの人々で賑わっていた。

 目を凝らすと見慣れた顔がいくつも見える。ブルーは故郷の村から幼馴染を呼び寄せているし、サップは市場で知り合った女の子と交際中だ。

 クチバに腕を預けたカーネリアの赤い服は一際目立つ。


 さて、レーゼを迎えに行かなくちゃ。


「ナーギ!」

 扉を閉めた時、上の方から澄んだ声が落ちてきた。

 驚いたナギが振り返ると、レーゼが城門の上の階段から下りてくる。青いスカートがひるがり、白藍の髪が空に透けた。

「レーゼ! 迎えにいくと言っただろう? 階段を走ったら危ない!」

「だって早く会いたかったんだもの。だから上で待ってたのよ!」

 最後の数段を残して、レーゼはナギに向かって飛んだ。その腰を難なく受け止めて、ナギはレーゼを見上げる。

 もう女の子でも少女でもない、一人の異性となって、彼を魅了してやまない女性を。

 青年はしばし言葉を失う。こんなに綺麗なものが、世界には存在するのだなんて。

「服、ありがとう。どう? 似合う」

「うん。びっくりするほど」

「よかった! とても気に入ってるの。髪はカーネリアが結ってくれたのよ」

 両耳の上から編み上げた三つ編みがヘアバンドのように巻きつき、長い後ろ髪はそのまま背中に流している。

 レーゼの装飾もたった一つ。髪に巻いたリボンに結えた青い石だけだ。

 二つで一つの双晶。

「レーゼ、もう一度上に登ってもいいか?」

「いいわよ。でもどうして?」

 ナギはレーゼを横抱きにしたまま、どんどん上に登っていく。

 城門の上まで来ると、当直の兵士達が驚いていたが、それにも構わずにナギはさらに上まで登った。

 そこには鐘楼がある。かつて警鐘を鳴らすために使われた鐘だ。上空にギセラが舞っている。カールだろう。

 そこまで登って、ナギはレーゼをそっと下ろした。

「怖くない?」

「怖くないわよ。だって私は塔で育って、塔で戦ったんだから」

「そうだな」

 ここは街の北だから、真正面の南にはかつての王宮がある。そこにはいずれ市庁舎が入る予定だが、まだ再建の目処は立っていない。

 しかし、下から立ち上ってくる人々の声は明るかった。

「レーゼ、頼みがある」

「なぁに?」

「その……よかったらなんだけど、もしレーゼが嫌でなければ」

 珍しくナギの歯切れが悪い。

「嫌だったら断ってくれて、構わないから」

「うん? ナギのお願いで嫌だったことなんかないよ。言ってみて?」

「わかった」

 レーゼの言葉にナギは勇気を得たように、小さな両手をとった。

「結婚してほしい」



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