第37話35 白藍(びゃくらん)の鎧 2

「レーゼ様!」

 ルビアはエプロンをつけたまま、片手に剣を握りしめている。

「ルビア!」

「下がって!」

 叫ぶなり、ルビアは壊した扉を国王のギマに投げつけた。

 魔力で鍵がかけられていたのである。扉は彼女のかつての主人、王の頭にぶち当たった。王がひるんだ隙に、ルビアはレーゼをギマの輪から引っ張り出す。

「レーゼ様! ご家族とはいえ、もうこの人達はギマです。お心を乱されますな!」

「ええ! わかっているわ!」

 もはやレーゼの気持ちは揺るがなかった。ルビアはレーゼを背後に庇って腰を落とした。

「ルビア! 気をつけて!」

 ギマ達は大きく口を開いて、その中の虚無を見せつける。

「陛下! 情けのうございまするぞ!」

 ルビアはそう言って、素早く突進して剣をひらめかせ、元国王の首をねた。

 あれだけ権勢を誇り、レーゼを見るのも嫌った祖父が、醜くぐずぐずと崩れていく。ギマの列が乱れた。

「今です!」

 ルビアはレーゼの腕を取って、塔の中へと逃げ込む。

 扉はルビアが壊してしまったので、急いで机で塞いだが、こんなものはすぐに破られてしまうだろう。二人は奥の台所へと逃れた。

「レーゼ様! 塔の地下へ! わかりにくいですが、たった一つだけ道があり、結界を抜けられます! そこから王宮の地下の宝物庫へ向かってください!」

「結界を抜けられる?」

「はい。昔、ナギが流れてきた地下水脈に沿って道があるのです。王家の血が絶えそうになるだけその道が開きます。以前の魔女の襲撃のおり、王妃様が密かに私に教えてくださいました。王妃様が私をレーゼ様と一緒に逃してくださったのです。」

「じゃあルビアも一緒に!」

「いいえ。私はもう抜けられません。ここで戦い、ギマをくい止めます」

「そんな! いやよルビア! 結界だって一緒ならきっと抜けられる!」

「わがままをおっしゃいますな!」

 それは初めて、ルビアがレーゼに見せた怒りだった。

「レーゼ様をお守りするのは。亡くなられた王妃様の御命令。そしてこれはルビアの最初で最後のお願いです! レーゼ様は逃げて、そしてできれば、ナギと一緒に魔女たちを滅ぼしてください!」

 台所の扉を叩く音がする。

 ギマが掻きむしっているのだろう、その向こうで聞こえるのは、エニグマの哄笑こうしょうだ。彼女はおそらく実体ではない。しかし、レーゼには彼女の煮えたぎる悪意と憎悪をひしひしと感じる事ができた。

 邪悪で恐ろしい存在だった。

「ルビア……ルビア! お願い、ひとりにしないで」

 レーゼは震え、ルビアは安心させるように微笑む。

「そんな顔をなさいますな。レーゼ様なら大丈夫です。ルビアはわかっておりました。あなたは特別なお方です」

 ルビアは優しく言って聞かせた。

「こんな呪われた忌み子が?」

「いいえ。あなたは忌み子ではありません。それこそ、ゾルーディアよりも前に、王家によって課せられた呪いです。あなたはなのです」

「……でも」

「さぁ、行ってください! ルビアもできれば追いつきます。さぁ、ここです! 気をつけてね!」

 ルビアはレーゼを中へと押しやった。そこは塔の地下室。そしてその向こうの扉から続く階段は、山の下の洞窟へと続いている。

 かつて、ナギが流れ着いた場所だ。

「早く!」

「……」

 それでも立ち去り難く、レーゼはルビアを振り向いた。

 ルビアとは五歳だったレーゼを連れて、この塔へと落ち延びてからずっと一緒だった。レーゼにとって、ルビアはとっくの昔に母なのだ。

「ルビア! ルビア母さん! きっと来てね!」

「レーゼ様!」

 その言葉に、ルビアはさっとレーゼを抱きしめた。

 ルビアはありったけの思いを込めて、子供の頃からいつくしんできた娘にキスをした。

「私の可愛いレーゼ……愛しています」

「あいして……?」

「ええ。ずっとあなたを愛してきました。これからもです……だから、さぁ! 行きなさい! そして必ず生き延びるのです!」

「あ!」

 レーゼは突き飛ばされ、背後で扉が閉められた。

「ルビア! ルビア!」

 しかしもう扉は二度と開かない。かんぬきが降ろされたのだ。

「ルビア————ッ!」

 叫びながらレーゼは階段を降りていく。下方から水音が近づく。ここに来るのは何年振りだろうか?

 感覚が冴え渡ってくる。


 あの窪みにナギがいた。

 冷たくて、痩せてて、それでも生きたいと心から願って!

 私は、もう一度彼に会わなければいけない!


 水の流れの脇には細い岩の道がある。

 落ちたら冷たい地下水の流れに、あっという間に飲まれてしまうだろう。


 コウモリたち、手を貸して!


 レーゼは岩肌を手で探りながら、水の流れと反対方向に進んだ。

 長く危険な道のりだが、レーゼはコウモリの感覚に自分の意識を同調させた。

 これはレーゼの能力だ。祖父や父には役立たずと言われた、誰にも説明できない感覚だが、暗い洞窟を進むには都合がいい。見える人間の方がかえって危険だろう。

 レーゼは慎重に道を辿たどる。途中いく筋も光が降りてきている場所があった。ナギが落ちてきた亀裂だろう。

 全てはここから始まっているのだ。

 何時間歩いたかわからなくなった頃、道が広がり、奥に扉のような感覚があった。触ってみると複雑な紋様が彫られている。ここが結界の限界のようだった。

 レーゼが扉を押すと、それは音もなく開いた。

 空気は冷たく重い。もう何年もの間、誰も入ったことのない場所だ。

 中は広く幾つかの分岐点がある。侵入者を防ぐものだろう。自分の感覚を信じて進むと、また同じような扉があった。おそらくこの真上が王宮の中心だ。


 開け!


 胸の石を握りしめ、強く念じるだけで扉が静かに開いた。

 陽の光が差さないはずの地下空間なのに、なぜかぼんやりと明るい。

 そこは王宮の最深部にある宝物庫だった。


『……待っていたよ』


 そう──呼ばれた気がした。



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