第33話 脱走

 しばらくするとまた、地震が起こった。


 昨日よりずっと弱いが、不気味な山鳴りがいつまでも響いた。女性の悲鳴が聞こえ、子供たちはたちまちそれぞれの家に逃げ込んだ。

 広場が静かになった。


 (潮時だな)

 霧香は牢獄の奥に移動すると、座り込んでGPDブーツの底に手を伸ばし、踵からひと巻きのワイヤーを伸ばした。そのワイヤーを柵に巻き付けてゆっくり絞めると、柵はあっさり分断された。

 地道な作業を続けると、やがて人間ひとりが這い出せる程度の隙間が開いた。


 模範囚をやめて脱走することにした以上、素早く動かなければならない。

 身を低くして集落の裏手を半周して、村長の家でパルスライフルを回収した。弾倉とレーザー用ジェネトンは装填されたままだ。子供の玩具になる前にセーフティをセットしておいて良かった。


 広場を取り囲む小屋の裏手は緩やかに落ち込んでいる。

 霧香は村を取り囲む水路を飛び越え、堆積した腐葉土の柔らかい地面をなかば這うように降りていった。

 10ヤードほど降ったジャングルの木立のあいだに細い道らしきものが見える。

 シンシアが指し示したプローブの出現地点はこの先のはずだ。

 川より下になると地面はぬかるみ、なかば広い池のようになっていた。細い曲がりくねった道がかろうじて見分けられる。霧香は滑りやすい地面を慎重に進んだ。


 まもなく……鬱蒼としたジャングルのむこうに巨大なドームが見えた。

 有機的な半球系のドームで、幾何学的な格子模様に覆われ、人工物とも天然の植物とも思えた。霧香は歩を早めてドームに近寄った。

 ドームの大きさは差し渡し50ヤード、高さ100フィート弱。

 よく見ると格子模様のあいだは筒抜けで、ドームの内側に明らかな人工物が横たわっていた。滑らかな曲面。かつては銀色に光り輝いていたはずの、朽ちかけた金属。紡錘形のロケットの一部だとすると、地面にたいして斜めに突き刺さっているように見えた。

 プローブたちは姿を現さなかった。

 正しいコードを受領したためだろうか。


 霧香は意を決して、真っ白い格子模様の隙間からドームの中に足を踏み入れた。ひらけた場所に出た。

 遺伝子伝搬船の名残が目の前にあった。頭上は巨大な格子状の植物に覆い尽くされ、空はほとんど見えない。これでは見つからないわけだ。

 やけに涼しい……。上陸以来こんなに涼しいのは初めてだ。

 全長100フィートほどの着陸船だ。斜めに傾いだ船体の腹の部分はハッチが大きく開け放たれ、中身を曝している。船体の1/3は地面に埋没している。遺棄船のように見えた。本当に機能しているのだろうか?

 宇宙船のまわりを歩いた。やはり動力が生きているとは思えなかった。メインフレームが機能としているとしたら、どこからか太陽光発電で電気を導いているのだろう。

 開いたハッチの縁に手をかけて船体によじ登ったが、見るべきものはなかった。人間用に造られた船ではなく、機械がぎっしり詰まっている。通路らしきものは見あたらない。操縦室も容易には見つからないだろう。ヘンプ人たちもここで長く過ごした形跡はない。宇宙船は長いあいだ放置されている。

 宇宙船のハッチから飛び降り、あたりを見渡した。

 まわりを取り囲むドーム状の植物は、やはり奇妙だ。規則正しい格子状の枝は幾重にも折り重なり、宇宙船を取り囲んでいた。単一の植物のようだ。しかし巨大すぎる。先日見た地表のマングローブの親類だろうか。

 ドームの内端に近寄ってみると、ますます奇妙な植物だった。質感は象牙か骨のようだ。

 黄色みがかった白い幹の表面にきらめくフィラメントが見えた。

 (これは……)

 判断を控えつつドームの縁に沿って半周すると、ぎょっとするようなものが地面に転がっていた。

 巨大な植物の種のように見えたが、異常に大きい。直径三フィートはある。すべて真ん中からぱっくり割れている。形状はクルミのようだが、まわりを取り囲む植物の一部だろうか。

 あらためて見上げると、たしかに果実のようなものが格子状の幹のあいだに挟まっているようだ。

 ぱっくり割れた種はいくつも地面に転がっている。真新しいものもあれば朽ちて地面に埋没しかけたものもある。

 霧香は屈んで種の中を覗き込んだ。

 漂白したシリコンで作った心臓断面モデルのように複雑な曲面の凹みが穿たれていた。

 何が詰まっていたのか、大きな物体のようだ。ふと焦点が合うように、その鋳型のような物体がなにの形をしているのか思い当たり、霧香は飛び退くように身を仰け反らせた。

 身体を胎児のように丸めた、人間の姿を形取ったようにくり抜かれていたのだ。


 霧香は背筋に鋭い生理的嫌悪感を憶えて後ずさった。


 これは人間の実だ……。

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