第32話 ファーストコミュニケーション

 尋問が終わり、プローブの一団が去ったときにはすでに日が暮れていた。

 身体の麻痺が治まり、霧香はコスモストリングを再装着した。見た目は裸の時とたいして違わないが、安心感はずっと高い。


 広場の一角ではヘンプ人たちが火をおこしていた。夕餉の支度だろう。

 しばらくするとひとりの女性が霧香の牢獄にやってきて、笹の葉に載った果物を柵越しにそっと差し出した。

 「ありがとう」霧香が礼を言うと、女性は足早に立ち去った。

 笹の葉を引き寄せて果物を眺めた。ひとつはバナナで、表面が茶色く変色している。もうひとつは知らない植物の果実で、硬い外皮のてっぺんに穴がくり抜かれ、棒きれが差してあった。椰子の実に似ている。座り込んで椰子の実のほうを試した。

 「まずッ!」ひとくち呑んで思わず呟いたが、まずいと言うより味がないのだった。果物の構成分子が霧香の味覚細胞とかち合わないのか、たまたま蒸留水に近いおもしろみのない組成なのか……。前者だとしたら消化もできないかもしれない。だが水分は豊富で果肉もたっぷり詰まっていた。空腹をごまかす役には立つ。

 それからバナナの皮を剥いて、おそるおそるひとくちかじってみた。こちらは甘い。生まれて初めて味わう、幻の食物……。こんな状況でなければ大いに感銘を受けたに違いない。

 舌が痺れたりおなかの調子が悪くなる様子は無い。食事は朝食以来だったから、結局バナナは平らげ、椰子の実は喉が渇いたとき用に半分残しておいた。


 それから少し眠ったが、間もなく雨が降り始めた。

 またもや激しい雨で、葦葺き屋根の隙間から雨漏りしている。霧香はなんとか滴るしずくの当たらない場所を探したが、もう眠れるものではなかった。

 コスモストリングを取り上げられなかったおかげでなんとか耐えられたが、長い夜だった。


 明け方、ぐったり浅い眠りに耽っていると、また来訪者がやってきた。

 年長者の一団だった。まわりには若い男女もいる……野次馬だろう。

 霧香はかれらが牢獄のそばに立ち止まると身を起こし、立ち上がってかれらが怯えない程度に近寄った。

 「コチラヘ」年長者が言った。

 霧香はかれの言葉に従い、柵のそばに腰を下ろした。

 彼は身振り手振りを交えて話し始めた。知らない言葉と英語が混ざっていて、意味を酌みとるのはひと苦労だった。だがタコムが彼らの語彙を拾い、やがてポルトガル語を喋っていると判明した。訛りと七世紀にわたる語形変化により翻訳は百パーセント完璧とは言えなかったが、意味は通じはじめた。

 彼らは地震を心配している。

 霧香は首をひねった。どうやって伝えるべきか。棒きれを拾い上げ、柵越しに簡単な台形を地面に描き、その上に人間の形を書き足した。自分でも困惑するほどへたくそな絵で霧香は焦った。なんとか真意が伝わればいいのだが。その図形を指さし、ついで地面を叩いた。

 彼は頷いた。

 霧香はまた同じような図形を描いたが、今度の台形は一部が切り取ったケーキのように割れ、下に落ちている。人間もこぼれ落ちているように書き足した。

 「ゴゴゴゴゴッ」霧香は両手でなにかを掴んで激しく揺する真似をした。「地面が揺れる。地震、地震よ」そして棒きれで割れた台地を指さし、割れている部分を何度もなぞって強調した。彼らもまえから異変の兆候に気付いているはずだと期待していた。地面の亀裂や陥没、川の水位の変化といったことだ。

 彼は考え込むように頷いた。

 意味は伝わったようだ。

 「アースクエイク……」住民たちは霧香に教わったばかりの言葉を繰り返した。

 「あなたたちのマザーコンピューターに質問してみて、なにか知ってるはず……」タコムに同じメッセージを吹き込み、ポルトガル語に翻訳して聞かせた。

 年長者は深刻な表情で霧香を見据え、頷くと立ち上がった。


 ヘンプ人たちは霧香の元を離れ、広場の中央で議論しだした。霧香はタコムのホロを起動して翻訳を読み出した。

 「あの女を殺せ」と誰かが叫んだ。

 古来、不吉な予言をもたらした人間は忌み嫌われるものだ。

 長老とおぼしき人物がその若者を厳しい声で諫めた。

 霧香は柵に保たれて集会を眺めた。伝えられることは伝えた。あとは様子を見るだけだ。身の危険を感じたらちょっと暴れて……逃げるしかない。


 昼近く、広場がまた慌ただしくなった。大勢の大人が荷物を背負い、何組かに分かれて集落を出て行った。

 (調査隊だな)霧香の話を裏付けるようなものを見に行くのだ……。

 あるいは移住先を見つけるための先遣隊なのかも知れない。 


  昼食が出された。昨夜と同じ果物と、根菜を煮込んだスープだ。根菜は塩で味付けされているだけのようだ。それとなにか果物や野菜の風味で甘みも加わっていた。それ以上材料について考えるのはやめにして、ありがたくいただくことにした。

 食べながら広場を眺めた。まわりの家に誰が住んでいるのかもなんとなく把握した。

 50ヤード離れた村長の家の入口脇に、霧香のパルスライフルが立てかけられていた。奇跡的にプローブに取り上げられなかったようだ。

 子供たちの一団が遊びはじめた。住人の半数は出掛けてしまい、残った大人たちは姿が見えず、家で昼寝でもしているようだ。霧香の頭の中で漠然とした疑問が沸き上がった。

 (赤ん坊がいない……)

 昨日から泣き声を聞いた憶えはなかった。

 それで集落の規模に疑念を感じた。彼らが少なくとも三百年ここに住んでいるとして、それだけ時間があれば数千、数万人に人口が膨れあがり、もっと複雑な社会を形成していても良さそうなものだ。

 もちろん完全に異世界だから霧香の推論は当てはまらないかも知れない。社会を支えるための天然資源の量によって条件は変わる。特殊な環境が身体に影響を及ぼし、人口増加の妨げになることもあろう。それに、すべての社会集団が発展してゆくとは限らない……原始的な生活を長く維持する例は地球にも多々ある。しかし、二百人は少なすぎる気がした。

 彼らの生活様式には文化的な奥行きも感じられない。

 それとも彼らは第1世代なのか。

 年長者は四十代くらいに見えた。遺伝子伝搬船は何世紀も下準備を続け、半世紀前ようやく人間を作り出す基礎を作り上げたのかも知れない。

 遺伝子伝搬船というアイデアじたいが、暗黒時代のいわばロストテクノロジーだ。実際に建造された、という記録はかろうじて残っているものの、政府の一大事業として公的な歴史に刻まれた例は皆無だった。よって遺伝子伝搬船が具体的にどういったプロセスで機能するのか知っている人間は、いまやほとんど存在していない。

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