『赤鳳(二)』

 西の空から群れをなしてやって来たは確かに鳥の姿をしていたが、一ヶ所だけ決定的に違う部分があった。

 

(……見た目は鳥さん、頭脳は大人ってかい。どっちにしろ気色悪いったらねえな)

 

 成虎セイコの感想の通り、妖怪の首から上はヒトの女のようであった。しかし、その肌はまるで毒にあたったかのようなドス黒さで、眼は焦点が合っておらず虚ろである。それでいて発する鳴き声は耳をつんざくような嬰児えいじのものと来ては、常人であれば一目見ただけで吐き気を催すこと必至だろう。

 

 先ほど食べた饅頭まんとうがこみ上げて来るのをグッと堪えた成虎は、深呼吸をして妖怪を睨み上げた。

 

「————おう、妖怪ども! 今夜の相手は白虎派びゃっこはガク成虎さまがしてやるぜ! 掛かって来やがれ!」

 

 しかし妖怪たちは成虎の声には反応せず、あらぬ方向に顔を向けている。不思議に思った成虎が視線を追うと、南の空から同じ鳥妖怪が飛んで来るのが見えた。

 

(チッ、まーだお仲間がいやがったかい————ん? なんでえ、ありゃあ……?)

 

 援軍かと思われた妖怪たちの後方から赤い何かが凄まじい速度で飛来している。眼を凝らした成虎は思わず叫んだ。

 

「ありゃあ、鳥妖怪————じゃねえ! 人間の女だ!」

 

 その言葉通り、鳥妖怪を追いかけ回すように飛んでいるのは頭の天辺から足の先まで正真正銘、人間の姿をしている女であった。しかし、こちらも通常の人間とは決定的に違う部分が一つだけあった。

 

 

 ————女の背には鳳凰を思わせる二対についの翼が生えていたのである。

 

 

 その翼は半透明で淡い光を帯びており、夜空に映えて大層美しい。その幻想的な光景に成虎が見惚れてあんぐりと口を開けている間に、女は前を飛ぶ鳥妖怪を追い抜き様、手刀を払った。

 

 次の瞬間にはボーッと突っ立っていた成虎の足元にボトリボトリと妖怪の首と身体が相次いで落ち、その音でようやく成虎は我に返った。

 

 眼をこすって再び上空へと顔を上げると、翼の生えた女と鳥妖怪が交戦している光景が飛び込んで来た。鳥妖怪たちは突然現れた女に自らの領域を侵されたと思っているのか、あの耳障りな叫び声を上げて襲い掛かるが、女の鋭すぎる手刀によって次々とほふられていく。

 

(…………すげえ……! 宙を飛んでるのも凄えが、あの手刀技だけでもメシが食える腕前だぜ、あのネエちゃん)

 

 成虎が関心している内に妖怪の数は五羽にまで減っており、それまで各個撃破されていた妖怪たちは女を取り囲むように布陣を変えた。しばしの間、睨み合っていた双方だったが、女の正面に位置する一羽が急に奇声を上げて飛び掛かった。

 

「————行くな! そいつぁおとりだ!」

 

 成虎が声を掛けると同時に、飛び出した妖怪が女の目前で動きを止めた。身構えていた女の大勢が少し崩れた隙を見逃さず、取り囲んでいた四羽が一斉に飛び掛かる。

 

 しかし女がニヤリと口の端を持ち上げた瞬間、形の良い尻の部分から赤い尾羽が生え、空中で急旋回してみせた。必中と思われた攻撃を外された四羽の妖怪が重なり合う中、上空から見下ろす女が両腕を交差させると、妖怪たちは断末魔の声を上げる間もなくバラバラに捌かれてしまった。

 

 女の見事な攻防に成虎がヒューッと口笛を吹いた時には、残りの一羽も首を落とされ、鳥妖怪の群れは哀れ全滅の憂き目に遭った。

 

 近くの屋根に着地した女が一息つくと、翼と尾羽が蛍のような淡い光を放って夜空に溶けていく。

 

(……なるほどねえ、ありゃあ氣の塊で造ったモンだったのかい。そんでもって、あのピタッとした服で空気抵抗を限界まで減らしてると————)

 

 ここまで思考すると成虎の眼は細められ、鼻の下がみるみる伸び始める。何しろ女の纏っている赤い衣装は肌に張り付いているかのようで、身体の線が丸見えなのである。しかも女の身体は出るところはしっかり主張しており、控えるべきところはしっかり締まっているので、年若い男が眼を逸らすことは至難の業であろう。

 

「————お前、何者だい? 門派を名乗りな!」

 

 声を掛けられた成虎は、ここで初めて女の顔を見た。

 

 女は二十代半ばといったところだろうか、西王母セイオウボに負けず劣らずの美人だが彫りが深い顔立ちに褐色の肌をしており、髪の色素も少し薄く見える。どうやら生粋の神州しんしゅう人ではなさそうである。

 

「聞いてるのかい! 早く答えな!」

 

 眉を吊り上げ女が声を荒げた。確かに技も容貌も美しい女ではあるが、その顔や物言いにはある種の険が感じられ、かなり高飛車な印象を受けた。

 

「……これは失礼した。私は白虎派の門人です。妖怪退治に参ったところ貴女あなたの腕前があまりに見事だったもので思わず見惚れてしまった次第。どうかご容赦いただきたい」

 

 ニヤけた顔を収めて包拳して見せると、女は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに持ち直し鼻を鳴らした。

 

「フン、お前が白虎派? 初めて会ったけど、白虎派っていうのはお前みたいな馬鹿面ばかりなのかい?」

 

 数年前の成虎ならばカチンと来て言い返しもしただろうが、そこは成長したこともあってサラリと流して見せる。

 

「いえいえ。白虎派広しといえど、ここまでの馬鹿面は私以外にはおりませんので、ご安心を」

 

 たっぷりの皮肉を成虎に躱された女は面白くなさそうに再び鼻を鳴らした。

 

「ところで貴女も先ほどの妖怪を追い掛けていたようですが、どのような経緯かお訊きしてもよろしいでしょうか?」

「…………奴らは『姑獲鳥こかくちょう』。死んだ妊婦が妖怪となって、子を産めなかった無念から他人の赤子を拐って我が子として育てると言われている……」

「なるほど、それで赤子だけを……」

 

 ふと女に顔を向けると、それまで勝気だった女が寂しげな表情を浮かべている。成虎は不思議に思った。

 

(なんだあ? 急にしおらしくなりやがって……。まあ、いいや。そろそろ本題に入らせてもらうとするかい)

 

「————姑娘クーニャン、不躾ですが貴女は朱雀派すざくはのご門人ですな?」

「どうしてそう思うんだい?」

 

 気を取り直したように、女の瞳に強気の色が戻った。

 

「ここは白州はくしゅう紅州こうしゅうの境で、真紅の衣を纏った姑娘が不思議な軽功を使うとなると間違いないでしょう」

「……どうやら馬鹿なのは顔だけみたいだねえ」

 

 成虎の洞察に女は笑みを浮かべて答える。

 

「そうさ、アタシは朱雀派の朱太鳳シュタイホウ

 

 ここまで成虎が下手したてに出ていたのは何も大人になったばかりではない。早くから女が朱雀派の門人と見抜いていた成虎は数年前に出会った不思議な少女————朱凰珠シュオウジュのことを聞き出したかったのである。

 

「私は白虎派の————」

「お前は名乗らなくていいよ」

「————へ?」

 

 高飛車な女————太鳳の思わぬ返しに成虎は気の抜けた声を上げた。

 

「今から死ぬ男の名を覚えたって意味がないからねえ……!」

 

 太鳳の声が殺気を帯びると同時に、その背に真紅の翼が形作られた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る