『赤鳳(三)』

 朱雀派すざくはの門人・朱太鳳シュタイホウが臨戦態勢を取ると、成虎セイコは慌てて手を振った。

 

「————オイ待てよ! いくら技を見たからって殺すこたぁねえだろうよ!」

「うるさいねえ。別に技を見られたからってワケじゃないさ」

「そ、それじゃあ、おめえの身体をジロジロと見たからか⁉︎」

「それも違うね。逆に眼を逸らされるほうが腹が立つよ、アタシは」

「じゃあ、なんなんでえ⁉︎」

 

 他に殺される理由が思い浮かばない成虎が声を荒げる。

 

「仕方ないねえ。殺される理由くらいは教えてあげるよ」

「お、おう、ぜひ教えてくれ!」

「————お前、さっきアタシが闘ってる時に偉そうに茶々を入れてきただろう……?」

「茶々……⁉︎」

 

 言われて思い返してみれば、『行くな! そいつぁおとりだ!』とか言ったような気もする。

 

「……アタシはねえ、自分よりも弱い男に余計な指図されるのが死ぬほど嫌いなのさ」

「ちょ、ちょっと待て。ありゃあ別に指図なんてつもりじゃなくて、良かれと思っての助言だろうよ……」

「それが余計だって言うのさ。アレが囮だなんてことは分かってたんだよ。だから敢えて隙を見せて奴らを誘い込んだんだよ」

「…………!」

 

 成虎は絶句した。どうやら、この太鳳と言う女は自分が思っている以上に気位が高いらしい。

 

「……そいつぁ悪かった。非礼は詫びる。この通りだ」

 

 真摯な表情で包拳して見せた成虎だったが、太鳳は冷笑を浴びせるのみである。

 

「それじゃあ足りないねえ。アタシに『お姐さま』と言いながら三回叩頭して股をくぐってごらん。そうしたら許してやってもいいよ」

 

 ここまで舐められて成虎は今にも堪忍袋の緒が切れそうになっていたが、相手は女で凰珠オウジュと同じ朱雀派ということもあり、グッと堪えた。

 

「……わりいがそこまで下手したてに出る気はねえよ。俺ぁもう行くぜ」

「————待ちな。お前に残された道はアタシに叩頭するか、殺されるかのどっちかしかないよ」

 

 太鳳に背を向けていた成虎だったが、足を止めて指を二本立てて見せた。

 

「いーや。まだおめえさんをブッ倒すか、撒くかの二通りあるな」

「……面白いねえ、出来るものならやってごらんよ……‼︎」

 

 太鳳が妖しげな笑みを浮かべると、成虎は返事もなく駆け出した。

 

(『三十六計逃げるに如かず、君子危うきに近寄らず』だぜ! あばよ、高飛車ネエちゃん!)

 

 軽功にも自信のある成虎は、この高慢な女を撒くことを選択した。

 

 常人の頭二つ分は大きい成虎だったが、その巨体が瞬く間に夜の闇と同化し近くの森の中に消えていった。密林に溶け込んだ虎を何者も捕捉出来ない様に、ここまで逃げ込めば後はこっちのものである。しばらく駆けた後、振り返って背後を確認した成虎は太鳳が付いてきていないことを確認すると、フッと息を吐いて白い歯を見せた。

 

「————何か面白いことがあったのかい?」

「…………!」

 

 背後からの声に恐る恐る振り返ると、大木から伸びた枝に脚を組んで腰掛け、余裕の笑みを浮かべる太鳳の姿があった。

 

 すっかり撒いたと思っていた相手に余裕綽々で待ち構えられていることに驚いた成虎だったが、それ以上に衝撃を受けたのは太鳳が腰掛けている枝である。それは小指ほどのとてもか細いものであり、大人の女が体重を預けているというのにさほどしなってもいなかった。こんな細い枝を折らずに座っていられるのは栗鼠リスや小鳥といった小動物くらいであろう。

 

「————そうか、そいつぁ『軽氣功けいきこう』ってヤツだな……⁉︎」

 

 冷や汗を浮かべながら成虎が言うと、太鳳はわずかに顔色を変えた。

 

「おや……、どこでソレを聞いたんだい?」

情報ネタの提供先は明かせねえなあ」

「……フン、それで? まだ鬼ごっこをするのかい?」

「勿論だろい。まだおめえさんに捕まったワケじゃねえぜ————」

 

 言い終わるよりも先に成虎は再び駆け出した。

 

 先ほどは八割程度の軽功だったが、今度は正真正銘の本気である。かなりの真氣を消耗するが背に腹は変えられない。さらに道取りも樹々が密集しているところを敢えて選んで進んでいるため、追ってくる方も堪ったものではないはずである。

 

 

 全速力で森を抜け切った成虎は小川へと辿り着き、ようやく脚を緩めた。

 

「へへ……、どうでえ、ここまで走りゃあ流石に付いて来れねえだろい……」

 

 肩で息をしながら辺りを見回すが、今度はあの忌々しい女の姿は見えない。成虎はホッと胸を撫で下ろして小川に頭ごと顔を突っ込んだ。小川の水をたらふく喉に流し込んでいた成虎だったが、何かを思い出したように急に顔を上げた。

 

「……しまったい。馬をさっきのまちに置いて来ちまったぜ……」

 

 そこらで売っているような駄馬であれば手放しても構わないのだが、生憎あいにくあの馬は彩族さいぞくの族長に譲ってもらった駿馬である。

 

「……しょうがねえ、ほとぼりが冷めた頃に戻って来るしかねえな」

「————そんなに良い馬だったのかい?」

「ああ、そりゃあもう————」

 

 言いかけた成虎の口が止まり、声のした方にゆっくりと顔を向けると、おのれのすぐ隣で喉を潤す太鳳の姿が眼に入った。

 

「ホラ、今度は捕まえたよ。鬼ごっこはおしまいだね」

 

 言うなり太鳳は成虎の袖口をキュッと掴んだ。笑顔の女に袖を掴まれて悪い気のする男はいないが、この時の成虎は御免被ごめんこうむりたい心境であった。

 

「…………な、なんで————」

「————『なんでこの場所が分かった』かい? そりゃ分かるよ。上空からアンタのデカい身体をしっかり視てたからねえ」

「…………‼︎」

 

 成虎が引きつった顔で言葉を失っている横で太鳳は続ける。

 

「しかし、アンタ自分で言うだけのことはあるね。持続力はともかく最高速度はアタシより上かも知れないねえ」

「……そうだな、虎ってのは基本待ち伏せだからなげえ距離を走る必要がねえんだ」

「ふうん、でも山君さんくんと言われる虎も空を華麗に駆ける鳳凰の前じゃあこうべを垂れるしかなさそうだねえ」

「そいつぁヤってみねえと分かんねえよ」

 

 駆けくらべを終えた虎と鳳凰は静かに構えを取って向かい合った。

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