第十章

『赤鳳(一)』

 桃源郷とうげんきょうを出発した成虎セイコは駿馬を飛ばして五日後の夜に、白州はくしゅうの南方のとあるまちに到着した。

 

 青年になっても相変わらず方向音痴が治まらないため、四日間野宿だった成虎は大きな旅籠はたごに入るなり、懐からある物を取り出した。

 

「————コイツで部屋を一つ頼むぜ」

 

 受付の者は成虎の薄汚れた格好を見て問答無用で追い返そうとしていたが、白虎牌びゃっこはいを眼にした途端、その表情が一変した。

 

「————これはこれは、白虎派びゃっこは仙士せんしさま! お部屋へご案内致します、どうぞこちらへ!」

「おう、わりいね。世話になるぜ」

 

 西王母セイオウボに貰った白虎牌の効果は絶大である。得意顔の成虎は部屋に荷物を置くとまず、ひとっ風呂浴びてから食堂に繰り出した。

 

 食堂に入ると給仕の女が個室に案内しようとしたが、堅苦しいのが嫌いな成虎は首を振って答える。

 

「いや、席はここで構わねえ。それと、たけえ食材を使った料理もいらねえ。大衆的なメシでいいからジャンジャン持って来てくんな」

 

 大部屋の空いている席に着いて、彼にしては控えめに注文をした。これは義兄・将角ショウカクに倣ったものである。返事をして給仕の女が厨房へ下がろうとしたところ、成虎が慌てて呼び止める。

 

「あと、酒を二本だけつけてくれ」

 

 酒は今でも大好きだが、呑み始めると際限なく腹に収めてしまうので、一軒につき二本までと決めていた成虎であった。

 

 

 

 運ばれて来た常人の十人前の料理をペロリと平らげ、無くなることを惜しむように手酌でチビチビと酒を飲んでいたところ、隣の卓の客たちの会話が耳に入って来た。

 

「————なあ、聞いたか?」

「何の話だ?」

「妖怪だよ、近頃出るらしいぜ」

 

 妖怪と聞いた成虎の手がピタリと止まる。

 

(……なんてこったい。西王母セイオウボのバアさんめ、妖怪云々ってのぁ俺を送り出すための方便かと思やあ、マジで出没るんじゃあねえの)

 

「妖怪だって⁉︎ 何処どこに出るんだ⁉︎」

「ああ、聞いた話によると此処ここから東に行った、紅州こうしゅうとの境辺りらしい」

「————で、そいつぁどんなナリの妖怪なんでえ?」

 

 突然、雲を衝くような大男に話に割り込まれた男たちは呆気に取られていたが、成虎は気にせず空いている席に座り込んだ。

 

「な、何だよ、アンタ急に……」

「なーに、細けえことは気にしなさんな。話を聞かせてくれたらアンタらの酒代は持つぜ?」

『…………』

 

 男たちは無言で顔を見合わせた。突然現れた見知らぬ大男に話す義理などないが、断って暴れられては堪ったものではないし、話すだけで酒代を持ってくれるのは悪い話ではない。目配せで意見が一致した男たちは成虎に顔を向けた。

 

「……聞いた話だと鳥の姿をした妖怪らしい」

「————鳥ぃ?」

 

 断りもなく焼き鳥に手を伸ばした成虎が復唱する。

 

「ああ、何でも夜な夜な群れで現れては赤子をさらっていくんだそうだ」

「未来あるチビどもを狙うたぁふてえヤツらだねえ。他に何か特徴はねえのかい?」

「暗くて姿形はハッキリ分からないらしいが、その妖怪の鳴き声がまるで赤子のようだったって聞いたぜ」

 

 焼き鳥を咀嚼しながら成虎は思案する。

 

(……赤子に似た鳴き声の鳥の妖怪が赤子を拐っていくってかい。何かウラがありそうだな……)

 

 急に黙り込んだ成虎を不気味に思った男が恐る恐る問い掛ける。

 

「ど、どうしたアンタ、大丈夫か……?」

「……あ? ああ、何でもねえさ、ありがとよ。邪魔して悪かったな」

 

 成虎は串を咥えたまま立ち上がると、カネを卓の上に置いて食堂を後にした。

 

 

 

 ————翌朝、早朝に出発した成虎はしっかりと地図を見つつ、さらに何度も行き交う人々に道を確認することで何とか迷うことなく、州境のまちまで辿り着くことが出来た。

 

(道中に耳にした噂話だと、妖怪どもは東に東に進路を取ってるっぺえ。となると、次辺りはこの鎮がクセえんだが…………)

 

 峰南鎮ほうなんちんというこの鎮は、ようやく陽が暮れ出したばかりだというのに人っ子ひとり見当たらずひっそりとしていた。

 

(……街並みに特に異常はねえが、この時間帯にだーれも姿が見えねえってのはおかしい。近隣の鎮が襲われた情報が伝わって、住民は家ん中で息を潜めてるってトコか)

 

 成虎は鎮の広場の手頃な岩に腰を下ろすと、道中で求めた饅頭まんとうにかぶりついた。あっという間に二つを平らげて三つ目を口に運んだ時、西の空から『オギャア、オギャア』という耳障りな鳴き声が聞こえてきた。

 

(————なるほど、こいつぁ確かにガキが泣いてる声によく似てらあ。ただし、気色悪さは全く似てねえがな)

 

 脳内を揺さぶられるような妖怪の鳴き声に顔をしかめた成虎は食べかけた饅頭を仕舞い込むと、暮れゆく西の空を睨みつけた。

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