『好敵手(二)』

 審判の開始の声と共に青龍派せいりゅうはの弟子・黄志龍コウシリュウが右腕を振るうと、強烈な光が放たれ成虎セイコは眼がくらんだ。

 

「————ッ!」

 

 まばゆい光から顔を背けて後退あとずさりした成虎だったが、ボトリと音を立てて何かが練武場の床を濡らした。

 

「————ふう」

 

 うつむいていた成虎が一息ついて顔を上げると、その左頬からおびただしい量の血液が溢れ出ていた。それはものの数秒で襟元を真紅に染め上げており、傷は明らかに骨まで達しているものと思われる。

 

「————ガク弟!」

「いやあ、いってえいってえ」

 

 声を掛ける永蓮エイレンに大丈夫だと言わんばかりに手を上げた成虎は、笑いながら頬のツボをいて止血したが、内心では動揺の色を隠せなかった。

 

(……油断してたワケじゃねえ————いや、想定が甘かったのは確かだな。コイツは相当やりやがる)

 

 頬の血を拭った成虎はゆっくりと志龍の前に歩み寄った。

 

わりいね。待たせちまった」

「…………」

「志龍って言ったっけか、アンタ人が良いんだな。畳み掛けようと思やあ、いくらでも出来てただろうによ」

「……手負いの虎を相手取り無警戒に追撃するほど私は豪胆ではない」

「あ、そう。随分と持ち上げてくれるねえ」

 

 志龍の返答に成虎は余裕を見せたが、やはり内心は違った。

 

(チッ、これだけの技がありながら慎重さも持ち合わせてるとなると一発逆転は難しそうだねえ)

 

 志龍の右手に眼をやると光り輝く剣が握られている。あまり長いものではないが、その分さまざまな技の変化に対応が出来そうである。

 

(……シュウ姉さんが奴らは器械門派きかいもんぱだって言ってたっけか。要するに自分てめえの真氣を武器化するってえワケだな)

 

 幾分か落ち着きを取り戻した成虎は右脚を引いて手招きをして見せる。

 

「————ねえ。どっちにしろ先手はアンタだ」

「……参る————」

 

 声が途切れる前に閃光がほとばしり、再び成虎が後方へ飛び退いた。ほどなくして胸の急所の部分に赤い染みが三つ浮かび上がる。真っ白な道着に三輪の赤い花が咲いたことで、ようやく観衆の大部分は先ほどの攻撃が三連突きであったことを理解した。

 

「岳弟……!」

 

 浮かび上がった染みはさほど大きなものではないため、『芯』には届いていないと思われるが永蓮が心配の声を上げた。しかし、今度は志龍が警戒の色を見せながらも追撃を繰り出しているので、成虎は手を上げて応える余裕はない。

 

 志龍の剣は攻めの中にも守りが含まれており、破綻を見せない凄まじいものであった。この恐るべき猛攻によって成虎は受けに回るのみで反撃に打って出ることが出来ないでいた。

 

(……なんてえ野郎だ……! 俺と変わらねえ歳でここまで自分てめえを磨き上げるのか……!)

 

 成虎が心中で志龍を讃えた時、その眼に再び颯颯颯と閃光が迸った。

 

(————その技ぁ、さっき見たぜえッ!)

 

 恐るべき三連突きを上半身だけ仰け反らせて外した成虎が返しの一手を繰り出そうとした瞬間、視界の右下方に影のようなモノがチラリと映り全身があわ立った。

 

「…………」

 

 少し驚いたような表情を浮かべた志龍の剣は三連突きを放った右手から、いつの間にか左手へと移っていた。

 

「————よけりゃあ、今の技の名を教えちゃあくれねえかい?」

 

 得意の笑みを貼り付けていたものの、満面に汗を浮かべながら成虎が問い掛ける。

 

「…………『地龍排尾チリュウハイビ』」

 

 志龍が静かに答えると、成虎は感謝するようにうなずいた。

 

「なーるほど。右の三連突きで対手を仰け反らせておいて、死角の左で脚を刈り取ろうってかい。爪にばっか気を取られてると、尻尾しっぽに薙ぎ払われるってえワケだな」

「初見でこの技を外されたのは初めてだ」

「綺麗に外せたワケじゃあねえよ。見ねえ」

 

 成虎が右脚を上げると、靴底がベロンと口を開けて足の裏が血塗れとなっていた。今少し脚を上げるのが遅れていれば、斬られていたのは足裏の皮ではなく足首の方であっただろう。

 

「最初の三連突きは地龍排尾への布石だったんだな?」

「…………」

「一度躱した突きを餌にして、反撃に打って出たところを美味しくいただこうってえつもりだったんだろうが、おかしいと思ったんだよ。おめえさんともあろうモンが捻りもなく同じ技を続けるワケがねえもんな」

「……大した男だ。私の全身全霊をってお相手しよう……!」

 

 再び右手に剣を握り直した志龍の剣氣が練武場を支配する。

 

「————来いや……‼︎」

 

 冷や汗を流しながらも強気に手招きをする成虎に向けて志龍の剣が振るわれた————。

 

 

 

 ————成虎は卓越した体捌きと歩法を用いて直撃は避けていたものの、志龍が剣を振るうたびに道着の赤い染みの面積が増えていき、試合前には真っ白だった道着は今や、真紅の道着に白い染みが付いているかのように錯覚させられるほどであった。

 

 この試合というより処刑と形容される凄惨な光景に、試合開始直後はざわめいていた観衆も声を上げることが出来ず、練武場は不気味な静寂に包まれていた。

 

 誰もが青ざめ声を失う中、西王母は緩やかに扇子を扇ぎながら何事かを思案する。

 

(……黄志龍か……、これほどの逸材が青龍派におろうとはな。あの者が相手では将角ショウカクですら勝ちを拾うのも難しいやも知れぬ……じゃが————)

 

 その時、今までなんとか皮一枚で凌いでいた成虎が左肩に深い傷を受け、一瞬その動きを止めた。

 

「岳弟! 避けて————ッ‼︎」

 

 永蓮が悲痛の叫び声を上げたと同時に、志龍は好機を見逃さずついの一手を繰り出したが————、

 

「————ッ!」

 

 何かを感じ取ったかのように剣を止め、棒立ちとなった成虎から距離を取った。

 

 この一連の動きによって静寂に包まれていた練武場が再び喧騒の色を帯び始めた。

 

「————なんでとどめを刺さないんだ⁉︎」

「————黄師兄! 情けは無用です!」

「————なんと見事な若者じゃ。敵ながら天晴れ!」

「————審判! 止めてやれ!」

 

 白虎びゃっこ・青龍の門人たちが口々に声を上げるが、志龍は険しい表情を浮かべ、うつむいたまま動かない成虎を注視していた。

 

(……この男、この状態でまだ…………⁉︎)

「…………ダーメだな、こりゃあ勝てねえわ」

 

 突然、成虎が降参とも取れる声を発し、練武場の中は再び喧騒から静寂へと移り変わった。

 

「いやあ、ホントつええなあ、おめえさん。参ったぜ」

「……それは降参と受け取っていいのか……?」

 

 真意を探るように志龍が問い掛けるが、成虎は人を食ったような笑みを見せて首を振った。

 

「————馬鹿言うねい。俺が降参すんのぁ、懐がスッカラカンになっちまった時だけよ」

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