第八章

『好敵手(一)』

 ————七日後、いつもの原っぱには真っ白な白虎派びゃっこはの道着に身を包み、精神統一をする成虎セイコの姿があった。

 

「————気を遣うなら気配も消してくれると助かるんだがねえ」

 

 眼を閉じたまま成虎が口を開くと、背後からおずおずと声を掛けてくる者がいた。

 

「……ごめんね、ガク弟。邪魔をしちゃいけないって思ったんだけど……」

 

 申し訳なさそうに樹の陰から姿を現したのは、姉弟子あねでし周永蓮シュウエイレンである。永蓮も成虎とお揃いの道着を身に纏っていた。座禅を解いた成虎はそれ以上にだらしなく相好を崩す。

 

「冗談だよ、周姉さん。ちょうど今日の晩飯は何だろなって考えてたところさあ」

「……あなたねえ、これから交流試合だっていうのに緊張とかしないの?」

 

 成虎の軽口によって幾分か強張こわばっていた永蓮の表情が緩んだ。

 

「緊張ねえ……、持ち金が底をついて最後の一賭けになった時にゃあ、流石のこの俺も緊張で牌を持つ手が震えるかもな」

「————ぷっ。本当にあなたって賭け事が好きなのね」

「そうだねえ……酒と女も大好きだが、一等好きなのは博打かも知れねえな。特に————おめえと俺、どっちがつええか賭けてみようじゃあねえか————ってヤツがな」

 

 立ち上がった成虎は魅力的な笑みを永蓮へと向けた。

 

「さあて行こうか、姉さん。命を張った博打をしによ————!」

 

 

 

 ————桃源郷とうげんきょうの練武場は黒山の人集ひとだかりであった。

 

 青龍派せいりゅうはとの間で初めて執り行われる交流試合とあって、白虎派びゃっこはの重鎮や実力者、果ては若弟子から召し使いに至るまで全門人が所狭しと集結していたのである。

 

 皆が雪の如き真っ白な道着を身につける中、碧空のような深い青の道着を羽織った五人の男女が中央に屹立していた。白虎派の門人たちはまんまと虎穴に入り込んできた他派の門人に興味津々といった様子で、実力のほどを探ろうと数百の眼が刺すような視線を送っていた。

 

 しかし青龍派の門人たちはどんなに鋭い眼光を向けられても皆泰然としており、緊張や恐れの色は見えない。その中でも先頭に立つ大将と思われる男は、他の四人とは異質な雰囲気を醸し出していた。

 

(……皆若いが中々の使い手だ)

(ああ、特にあの先頭の男……)

(うむ、あの男に勝てる若弟子が果たして我が派にいるものか……)

(……ところで、我らが代表のあと二人はどうした?)

 

 その時、練武場の扉が開き、女が一人立っているのが見えた。

 

「————ああ! ほら、あなたがグズグズしてるからもうみんな集まってるわよ! 早く来なさい、岳弟!」

「しょうがねえだろい、生理現象なんだからよう」

 

 焦った様子で金切り声を上げる女とは対照的に、ゆっくりと腰の帯を結びながら大男が戸口から姿を現した。

 

 練武場の視線が青龍派の門人たちから瞬時にこの大男に移り変わる。女は遅刻した申し訳なさと恥ずかしさから顔を覆って頭を下げるが、当の大男は我関せずといった風に欠伸あくびをする始末である。

 

「おうおう、皆さんお揃いで何よりなこって。つーか白虎派の門人って結構いたんだな。将角ショウカクのアニキはまだ戻ってねえみてえだが」

「————貴様! 遅れて来ておいてその言い草はなんだ! まずは遠路はるばるお越しいただいた青龍派のご門人にお詫びしろ!」

 

 四十くらいだと思われる白虎派の門人に指を突きつけられた成虎はおざなりに包拳して見せた。

 

「悪い悪い。頭じゃあ急がねえといけねえと思ってたんだが、せがれのヤツが言う事を聞かなくってよう」

 

 おのれの股間を指差しながら成虎が答えると、失笑を漏らす者が十数名おり、練武場の中は先ほどまでの緊迫した雰囲気が消し飛んでしまった。

 

「……貴様————」

「————これで全員集まったようじゃな」

 

 成虎に指を突きつけた男が眉間みけんに青筋を立てた時、桃の花の香りと共に妖艶な声が響いてきた。皆の視線がせわしく、今度は練武場の壇上へと注がれる。そこにはいつの間に現れたものか、白虎派の掌門・西王母セイオウボあでやかに鎮座していた。

 

「……まーた、自分てめえの力を誇示してやがる」

「何か言うたかえ? 成虎や」

「いんえ、なんにも?」

 

 成虎がつぶやいた声は隣に立つ永蓮がようやく聞き取れるほどのものだったが、西王母に敏感に反応され、成虎は肩をすくめて両腕を広げた。

 

「ふむ、それではこれより白虎派と青龍派による交流試合を執り行う。立会人は白虎派掌門、このオウが相勤めようぞ」

 

 西王母が宣言すると、白虎派と青龍派の面々が片膝をついて包拳礼を執ったが、成虎は突っ立ったまま再び欠伸をした。しかし西王母は特に咎めもせず、広げていた扇子を閉じて審判役の門人に向けた。

 

「————先鋒、前へ!」

 

 審判役の門人がよく通る声で呼ばわると、青龍派の列から大将と思われた先頭の男が練武場の中央へ進み出た。

 

 男は成虎ほどではないが、長身の細面ほそおもてで整った顔立ちの涼しげな若武者といった風情である。しかし、それまで閉じられていた双眸を開いた瞬間、練武場の全員が息を呑んだ。

 

「…………ほう」

 

 まるで龍を彷彿とさせる男の鋭い眼光に、西王母も思わず感嘆の声を漏らすほどであった。白虎派の先鋒の若弟子も中央に進み出ようとしていたが、突然足の裏に根が張ってしまったかのように固まってしまった。

 

「どうした、前へ!」

「……は…………ッ」

 

 若弟子は満面に汗を浮かべ必死に前に出ようとするが、青龍派の男の眼光に見据えられると、どうしても脚が動かなくなってしまう。

 

「————やれやれ、『龍』に睨まれた蛙ってか?」

 

 緊張とは無縁の軽やかな声と共に雲を衝くような大虎が黒山を飛び越し、青き龍の前に立った。

 

「選手交代な。先鋒はこの岳成虎が相務めようぞ」

 

 成虎が先ほどの西王母の口上を真似て包拳すると、

 

「……青龍派の弟子・黄志龍コウシリュウ、参る……」

 

 包拳礼を返した志龍の右手が光を帯びた。

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