『活きた獲物と女心(二)』

 ————翌日、成虎セイコは昨日と同じ原っぱで独り黙々と鍛錬に勤しんでいた。

 

「今日は雲は数えちゃあいねえぜ?」

 

 鍛錬の手を止めず成虎が口を開くと、背後から女が答える。

 

「雲を数えるよりも面白そうなことが見つかったのね?」

「ああ」

 

 成虎が振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた周永蓮シュウエイレンが歩み寄ってくるのが見えた。

 

「凄い汗ね。少し休んだらどう?」

 

 永蓮は手巾を取り出し、成虎の額を優しく拭い出した。

 

「伝説の仙人はどんなに激しい鍛錬をしても汗一つかかねえと聞いたことがあるが、俺もまだまだだねえ」

「真面目に励めばきっとその域にまで達せられるわよ、あなたの才能ならね」

「真面目にか……、そいつが一番難しいな」

 

 成虎が笑うと、永蓮もつられて笑みを見せた。二人は脇の岩に肩を並べて座り、永蓮が持ってきた桃を一緒に食べ始める。

 

「————ところで周姉さん、青龍派せいりゅうはってのはどんな奴らか知ってるのかい?」

神州しんしゅうの東を守護する四大皇下門派よんだいこうかもんぱの一つで武器術を得意とすると聞くわ」

「武器術……、器械門派きかいもんぱってヤツかい」

「ええ、白虎派びゃっこはの中にも武器を扱う者はいるけれど、彼らはおのれの真氣を具現化するらしいわ」

「へえ……、そいつは中々ヤバそうだねえ」

 

 言葉とは裏腹に成虎は口の端を持ち上げた。その様子を横眼に永蓮がボソリとつぶやく。

 

「————七日後の試合に私も出ることになったわ」

「そうかい。まあ、姉さんの腕なら問題はねえだろう」

 

 さらりと成虎が言ってのけると、永蓮は少し嬉しそうに顔を向けた。

 

「本当にそう思う?」

「ああ、姉さんは俺が会った女の中で二番————いや、三番目に強えからな」

「……三番目?」

「おうよ、星の数ほどの女と出会ってきた俺の三番目だぜ? どうでえ、なんだかイケそうな気がしてきただろい?」

「なによ、それ」

 

 励ましの言葉に永蓮の顔が綻ぶと、成虎は満足そうに二つ目の桃へかぶりつく。

 

「一番はもちろん西王母セイオウボさまよね。それじゃあ、二番目はあなたが手合わせをしたっていう朱雀派すざくはの門人かしら」

 

 油断していたところに突然、凰珠オウジュの話を持ち出され、成虎は喉に桃を詰まらせた。

 

「————ッ、ゲホッゲホッ!」

「だ、大丈夫⁉︎ ガク弟」

「……ったく、女ってのぁ口のかり生物いきもんだねえ……」

 

 凰珠のことを話したのは将角ショウカクと西王母の二人だけである。将角がペラペラと話すとは思えないので、成虎は西王母の仕業だと判断した。

 

「その様子だと当たっているようね。それで、そのひとはそんなに強いの?」

「ああ、つええぜ。なんたって、この俺が子供扱いされちまったほどさあ」

「……嘘でしょ……⁉︎ あなたが負けたなんて……!」

「嘘なモンかよ。じゃあなきゃあ、わざわざ白虎派くんだりまで来て弟子入りなんかしねえよ」

「…………!」

 

 成虎の腕前を知る永蓮は信じられぬといった表情を浮かべていたが、不意に何か思いついたような眼になった。

 

「————そのひとって美人なの……?」

「ああ? …………」

 

 思いもよらぬ質問に成虎は凰珠の顔を思い浮かべた。

 

 一年前に出会った凰珠はどこにでもいそうな顔立ちの少女で、醜女しこめという訳ではないが取り立てて美人という訳でもなかった。顔立ちだけでいうなら、色黒で田舎娘っぽさはあるものの、永蓮の方が上だと思われる。

 しかし、凰珠には何故か人を惹きつける得も言われぬ魅力があり、今も少し思い返しただけで成虎の心はあの不思議な少女のことで埋め尽くされてしまった。

 

「————弟、岳弟! 聞いてるの?」

「……あ? ああ、悪い悪い……そうだな、姉さんの方が別嬪だと思うぜ?」

「————本当⁉︎」

 

 上の空の成虎が答えると、永蓮は先ほどよりも嬉しそうに身を乗り出した。

 

「お、おう……」

 

 あまりの剣幕に成虎が引き気味にうなずくと、永蓮はニッコリと微笑んで立ち上がった。

 

「姉さん……?」

 

 永蓮は成虎の問いには答えず軽やかに跳躍して原っぱの中央に着地すると、そのまま何かの套路とうろを始めた。

 

「…………!」

 

 一旦休憩を挟んで気が抜け始めていた成虎だったが、永蓮が見せる套路に表情が引き締まった。

 

 絶えず両の手で『円』を描きながら、足運びも上半身に連動するように『円』を形取る。その優美な様からは、まるで佳人が梅の咲き誇る花園で舞踊を踊っているような印象を与えるが、その実、永蓮の全身には『円』をもって循環させた雄渾な真氣がみなぎっていた。

 

「ハァッ‼︎」

 

 気合と共に突き出された掌打によって、遠く離れた大木の幹がメキメキと音を立てて倒壊した。成虎は立ち上がって拍手する。

 

「恐れ入ったぜ、姉さん。そいつぁ、なんてえ掌法なんでえ?」

 

 真氣を収めた永蓮は振り返って口を開く。

 

「————『梅花婉転掌ばいかえんてんしょう』よ」

「なーるほど、動きも雅なら名も雅だねえ。しっかし、姉さんがそんな隠し球を持ってるたあ知らなかったぜ」

「家伝の技よ。桃源郷ここで見せたのはあなたが初めて」

「へえ? でも良いのかい、そんなモンを俺なんかに見せちまって?」

 

 肩をすくめる成虎に永蓮は手招きしてみせる。

 

「見せるだけじゃないわ。来なさい、手ほどきしてあげる」

「はあ?」

 

 永蓮の申し出に成虎は眼を丸くした。通常、家伝の技というものは他人には安易に見せることなどないばかりか、伝授するなど以てのほかである。

 

「おいおい、姉さん。冗談キツいぜ」

「冗談で家伝の技は見せないわよ」

 

 その言葉通り、永蓮の表情からは冗談を言っているようには思えない。成虎は内心で首をひねりながら手を振った。

 

「申し出はありがてえが、周家シュウけの絶技が俺みてえなロクデナシに伝わっちまったら、姉さんが一族の恥になっちまうぜ」

 

 永蓮が見せた梅花婉転掌は柔の中に剛を併せ持つ凄まじい掌法だとすぐに理解出来たが、成虎は習うことに気が進まなかった。それは永蓮の家伝の技という理由もあるが、第一には直線的な武術を好む自分には合っていないと思ったからである。

 

「良いからこっちに来なさい」

「いや、でもよ…………」

「あなたの剛拳は見事だけど、その中に柔拳を取り入れることによって、あなたの技は『銀』から『金』になるわ」

「…………!」

 

 永蓮の言葉に成虎はまるで真理を突かれたような心持ちになった。このような心境は父・郭功カクコウに説教された時以来である。

 

「……お願い、きっとあなたの役に立つと思うから……!」

「…………」

 

 我が子を心配する母親のような悲痛な表情を永蓮が浮かべている。姉弟子あねでしが青龍派と手を交える自分の助けになりたいのだと思うと、成虎は感謝するようにうなずいた。

 

「……周師姉。その申し出、ありがたくお受けしましょう」

 

 真摯な表情で包拳してみせる成虎に、永蓮は婉然と微笑んだ。


  ———— 第八章に続く ————

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