『呑みくらべ(二)』

 熊を思わせる野太い声に成虎セイコが顔を向けると、真っ白い道着を身に付けた常人より頭二つ分は大きい髭面の偉丈夫が腕組みをして立っているのが見えた。

 

「おい、貴様ら。どういうことだ?」

「な、何のことですか……?」

 

 成虎の隣の卓で皇下門派こうかもんぱの話をしていた客は突然、髭の大入道に詰め寄られて困惑している様子である。

 

「————どうして『白虎派びゃっこは』が最後なんだと訊いている!」

「……は……?」

 

 訳が分からず、隣の席の男たちは顔を見合わせた。

 

「貴様ら、さっき四大皇下門派よんだいこうかもんぱの話をしていただろう!」

「は、はい、まあ……」

「貴様! 『玄武派げんぶは』、『朱雀派すざくは』、『青龍派せいりゅうは』、『白虎派』の順番で答えたな⁉︎ これでは四大門派の中で白虎派が一番格が低いようではないか!」

『…………』

 

 大男の言い掛かりとも取れる物言いに、男たちは再び無言で顔を見合わせた。

 

「……あの、もしかして白虎派の仙士せんしの方ですか……?」

「そうだ!」

 

 成虎は白虎派の仙士だという大男を注視した。

 

 大男は頬まで覆われた針金のような髭のせいで年齢のほどは定かではないが、上背はおのれと遜色ないくらい高く、身体の厚みに至っては明らかに負けている。これほどの巨漢は自分と父・郭功カクコウ以外では初めて眼にしたものである。

 

「あの……、思い付いたままに口にしただけで順番に特に意味は…………」

「————それだ!」

「……はい?」

「貴様! 他の三派はスラスラと出て来たのに、白虎派だけはスッと出て来なかったな⁉︎ それこそ貴様が白虎派を一段低く見ている証拠ではないか!」

「い、いえ、そんなことは…………」

 

 しかし、髭面の大男は客の男の弁明を聞かず頭を抱えた。

 

「————屈辱だ! 我が白虎派の膝元である白州はくしゅうでこのような恥辱を受けようとは‼︎」

 

 この言葉に成虎はハッとした。紅州こうしゅう月餅湖げっぺいこを後にして道場破りをハシゴしていく内にどうやら白州に戻って来てしまったらしい。

 

「いや……、俺たち黄州こうしゅうから観光に来た者で、白州の人間じゃない…………」

「よせよ、今の内に出ようぜ」

 

 隣の席の男たちはいまだ頭を抱え続ける大男の脇をすり抜けて出て行った。

 

「————む? あやつら何処どこへ消えた⁉︎」

「あいつらなら、アンタがオンオン唸ってる間にフケちまったよ」

「何⁉︎」

 

 今にも男たちを追い掛けそうな勢いの大男を成虎が呼び止める。

 

「まあ待ちねえよ、ヒゲの兄さん。あんな奴らの相手より、こっちで俺と呑まねえかい?」

「む……」

 

 立ち上がった成虎の姿を見て、髭面の大男の表情がにわかに変わった。

 

「……俺より背の高い男に初めて会った」

「俺も胸板の厚さで負けたのは初めてだねえ」

 

 二人の巨漢は何か通じるものがあったのか、共に笑みを浮かべて席に着いた。

 

「俺はガク成虎ってんだ。アンタは?」

「姓は『』、名は『将角ショウカク』」

 

 髭面の大男————羅将角の返答に成虎は眼を細めて口笛を吹く。

 

「かっけえな! 今度から俺もそう名乗ろう!」

「そ、そうか?」

「ああ! ほら、呑んでくれ!」

 

 成虎に褒められ気を良くしたのか、将角はグイッと酒を煽る。

 

「良い呑みっぷりだな! アンタ、ますます気に入ったぜ! ここは俺のオゴりだ、ジャンジャン呑もう!」

 

 愉快そうに笑って成虎も一気に杯を干した。将角は卓の上にうずたかく積まれた皿と徳利をチラリと見て、熊の掌のような巨大な手を突き出した。

 

「待て、初めて会った男に奢られる訳にはいかん。ここは俺が持とう」

「カネのことなら気にすんなって! こう見えても懐はあったけえんだ!」

 

 しかし、将角は手を突き出したまま首を横に振る。

 

「いや、やはり俺が持つ」

「やれやれ、アンタも頑固だねえ————と、そうだ!」

 

 何かを閃いたような顔つきで成虎は杯を掲げた。

 

「そんじゃあ、こうしよう! 『呑みくらべ』で負けた方がオゴるってことでどうでえ!」

 

 呑みくらべを提案する成虎に、白虎派の門人・羅将角は口の端を少し持ち上げて首肯した。

 

「良いだろう。お前との勝負は面白そうだ。だが、このままでは公平ではないな」

 

 そう言うと将角は給仕の女に何かを申し付ける。暫しすると、大量の徳利が運ばれて来た。

 

「お前はすでに何十も徳利を空けているだろう。まず俺がお前と同じだけ呑んでから勝負としよう」

 

 言い終わるなり将角は手酌で豪快に呑みだした。まるで水を飲むようにガブガブと酒を腹に流し込んでいく豪快さと馬鹿正直で男らしい性格に、成虎は羅将角という男がますます気に入った。

 

「なあアンタ、白虎派の仙士せんしってのはホントなのかい?」

「ああ、これが証拠だ」

 

 早くも五本目の徳利を空にした将角は懐から何かを取り出し、卓の上に置いた。

 

「何でえ、こりゃ?」

 

 それは拳大ほどの大きさの真っ白い牌であった。表面には生き生きとした虎が刻まれている。

 

「これは『白虎牌びゃっこはい』だ。白虎派の門人は必ず持っている」

「へーえ、つまり門人の証ってワケかい。ちょいと触って見ても良いかい?」

「ああ、構わんぞ」

 

 本来ならば門派の証をおいそれと他人に触れさせることなどないのだが、成虎の不思議な魅力に将角は快諾した。

 

「……ふーん、こりゃあ象牙じゃねえな……。しっかし、見事な細工だねえ」

「白虎派に興味があるのか?」

 

 話している内に十本目を空けた将角が問い掛けると、白虎牌を返しながら成虎が笑みを見せる。

 

「ああ、興味あるねえ。丁度、今どっかの門派の世話になろうと考えてたんだ」

「ほう」

 

 成虎の返答に、将角が興味深そうに相槌を打つ。しかし、成虎の表情は反対に沈んだ。

 

「……ところが、色んな門派の門を叩いてみたらどうよ? 雑魚ばっかりで頭を下げる気にもならねえ」

「ふむ……、昨今は束脩そくしゅう(入門金)と月謝目的でいたずらに門人を抱える門派も多いと聞く。実に嘆かわしいことだ……!」

 

 憤慨した様子で将角はグイッと杯を干した。

 

「————てえこたあ、白虎派ってのは子猫ちゃんの集まりじゃあねえってことかい?」

 

 成虎のこの言葉に将角のこめかみに青筋が走る。

 

「……丁度、お前と同じ本数を空けたぞ。俺が子猫かどうか試してみるか……⁉︎」

「よぉーし! そんじゃあ、先に潰れた方がオゴるってのに加えて、負けた方が子猫ちゃんってことで決まりな!」

 

 成虎は親指を立てて片眼をつむってみせた。

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