第三章

『呑みくらべ(一)』

 まん丸お月さまの代わりにお日さまが天高く昇る頃、月餅湖げっぺいこのほとりでようやく成虎セイコは眼を覚ました。

 

「…………」

 

 ボーッとする頭を高速回転させると、徐々に昨夜の出来事が思い出されて来た。凰珠オウジュという不思議な少女と出会い、命を救われた礼として武術勝負をすることになったこと。そして、生まれて初めての敗北を喫したこと————。

 

「……そうか、昨日、凰珠に負けてそのまま寝ちまったのか……」

 

 昨夜の出来事を思い返すと、悔しいような嬉しいような何とも名状し難い感情が全身を包み込む。その時、盛大に腹の虫が鳴った。

 

「……腹ぁ、減ったな…………」

 

 凰珠に貰った月餅を除くと、ここ数日はほとんど何も口にしていない上に、昨夜は限界近くまで真氣を消耗してしまった。成虎の巨体は空腹感と疲労感に支配されていた。

 

 搾りカス程度の真氣を用いて湖面に振動を送ると、首尾良く数匹の魚が浮かんで来た。火を起こすのもまだるっこしく、成虎は豪快に生のまま魚にかぶりついた。生臭さはあったものの数日ぶりの肉である。瞬く間に五匹の魚が胃に送り込まれた。

 

 少し元気を取り戻した成虎が先ほどと同じ要領で漁を行うと、今度は倍の魚と蟹や蛙が獲れた。次はしっかり火で炙ると、香ばしい匂いが鼻腔と小さくなった胃を刺激する。串に刺した焼き魚を噛み締めると、何の味付けもされていないものの、口中に脂分が広がり幸せな気分になった。

 

「空腹は最高の素材たあ、良く言ったモンだな……!」

 

 大量の獲物をすっかり食べ尽くした成虎は満足そうに口元を拭うと、月餅湖に向かってゴツンと叩頭した。自然の恵みに感謝である。

 

「……さて、いつまでもここにいてもしょうがねえ。行くとすっか」

 

 立ち上がった成虎は月餅湖を後にした。

 

 

 

 ————凰珠に会うまでは皇居に落書きでもしてやろうかと考えていた成虎だったが、今はそんなことは記憶の彼方へ追いやられ、街道を歩きながら別のことを考えていた。

 

(……どうやったら凰珠のあの『軽氣功けいきこう』ってのを破れるんだ……? いや、それより強くなるって何をやったら良いんだ……?)

 

 成虎は今まで修行らしい修行はしたことがない。内功や技は父・郭功カクコウに教わったけれども、物覚えと勘の良い成虎は触りの部分を聞くだけで全てを理解してしまうのである。父はそれ以上を無理に教え込もうとはしなかったし、成虎も敢えて教わろうとはしなかった。しかし今、教わりたくとも父はもういない。

 

「……やっぱ、どっかの門派に弟子入りするしかねえのかねえ……」

 

 飄々としているが存外気位の高い成虎は他人に頭を下げるのを好まない。それも自分より弱い相手には尚更である。

 

「————よし、アレやってみっか……!」

 

 何か良からぬことを思いついたような表情を浮かべた成虎は足を速めた。

 

 

 

 ————二刻後、小さなまちにある道場の敷地内では、門弟と思しき十数人の男たちが酒に酔ったように寝転んでいた。

 

「……いや、若さにそぐわず見事な腕前ですな。感服いたしましたぞ」

 

 立派なヒゲをたくわえた初老の男が、引きつった顔で口上を述べる。

 

ガクどのと申されたか。修行の旅には色々と入用でござろう。大いに眼を開かせてもらった礼と言っては何だが、よろしければこちらを……」

 

 一派の掌門と思われる男はそう言いながら、懐から取り出した巾着袋を成虎の手に押し付けた。

 

「何でえ、こりゃ?」

「……んん、旅に必要な路銀でござる」

 

 成虎に問われた掌門の男はわざとらしく咳払いをしながら小声で答えた。

 

「つまり口止め料ってワケかい」

「……まあ、有りていに申せば…………」

 

 再びゴホンゴホンと咳払いをして掌門の男が答える。

 

 いくら常人より頭二つ分大きな身体を持つとは言え、十五・六の小僧に門弟全員を打ちのめされてしまったと広まれば武術門派の名折れである。掌門としては余計な口を開かれる前に先方には早々にお帰りいただく他ない。

 

「ふーん。そんなつもりは無かったんだが、そこまで言われちゃあ仕方ねえなあ」

 

 遠慮なく巾着袋を受け取った成虎は悠然と道場の門を跨いで出て行った。

 

 

 

 ————どこかの門派の世話になろうと思い立った成虎だったが、やはり自分より弱い師父を拝することは出来ない。そこで考えたのが『道場破り』であった。これなら自分の修行にもなるし、もし自分よりも強い者に出会えたのなら、しっかりと頭を下げるつもりである。

 

 だが予想と期待に反して、門を叩いた道場全てが、自分より強い者どころか一手すらも受けられない雑魚ばかりであった。

 

 色んな道場をハシゴする度に懐はズッシリと重くなっていくが、成虎の心はポッカリと穴が空いたように軽くなっていく。

 

 それでもまた別の鎮の道場を訪れた時、門番の男は成虎の風体を見るなり血相を変えて大門を閉めてしまった。その様子に首を傾げながら別の道場に向かうと、やはり姿を見られるなり大門が閉められた。

 

「こいつあ、まさか…………」

 

 三軒目の道場に足を飛ばした成虎は門を閉められる前に門番の首根っこを引っ捕まえた。

 

「おい、訊きてえことがある! もしかしねえでも俺の情報が伝わってんのか⁉︎」

「そ、そうだ……常人よりも頭二つ分デカい体格ガタイの小僧が現れたら、絶対に相手するなと言われている……!」

「…………!」

 

 成虎が腕を緩めると、門番の男は泡を食って道場に逃げ帰った。

 

「……何てえこった…………」

 

 どうやら調子に乗ってやり過ぎてしまったのがあだとなり、自分の姿形がこの辺り一帯の武術門派に知れ渡っているらしい。存外、各武術門派とは横の繋がりがあるようだ。

 

 急にやる気を失くした成虎は酒楼へと足を運んだ。幸いと言っていいのか懐は暖かいので、席に着くなり大声を上げる。

 

「おい! この店で一番高い酒と料理をジャンジャン持って来い! カネならあるぞ!」

 

 やけ食いとやけ酒である。次から次へと料理と酒が運ばれて来るが、大食漢かつ大酒呑みの成虎は問題なく胃に収めていく。

 

 円卓の隅に積まれた皿と徳利が五十を超えた時、隣の卓の客が話している声が聞こえて来た。

 

「————なあ、皇下門派こうかもんぱって知ってるか?」

「ああ、おかみから妖怪退治の認可を受けてる門派のことだろ?」

「それじゃあ、その中でも『四大』と称される門派は?」

「ええと確か……、北の『玄武派げんぶは』に南の『朱雀派すざくは』だろ? 東の『青龍派せいりゅうは』にあと西は…………何だっけ?」

「————『白虎派びゃっこは』だ」

 

 突然、熊の唸り声のような野太い声が客の会話に割り込んだ。

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