『呑みくらべ(三)』

 ————酒楼の厨房はテンテコ舞いになっていた。いつもなら書き入れ時が終わって休憩に入っている時刻だと言うのに、次から次へと注文がまないからだ。

 

「料理長! 紅焼肉ホンシャオロウ小籠包シャオロンバオ青椒肉絲チンジャオロースを十人前追加!」

汾酒フンチュウ紹興酒シャオシンチュウが足りねえぞ!」

「倉庫から予備の皿を持って来い!」

 

 戦場のような雰囲気の厨房から引っ切り無しに料理と酒が運ばれて来るが、その先に待つ虎と熊はまるで水の如く喉に流し込んでいく。二頭の獣が陣取る円卓の上はすでにからになった皿と杯でごった返しており、その侵食は床の上まで及んでいた。

 

「いやー、やるねえ、将角ショウカク! 呑みくらべで俺とここまでタメ張れる奴あ、初めてだぜ!」

「その台詞、そっくりそのまま返してやろう、成虎セイコ

 

 ひょんなことから白虎派びゃっこは仙士せんしを名乗る巨漢・羅将角ラショウカクと呑みくらべをすることになった成虎だったが、ほろ酔い加減も手伝ってすこぶる上機嫌である。何しろここまで自分と同等に呑める男に初めて会ったからだ。

 

 父・郭功カクコウは若い頃はかなりの酒豪で鳴らしたらしいが病を得てからはめっきり呑まなくなり、兄・書文ショブンに至っては下戸げこであった。付き合いのあった同世代の悪友たちの中には呑める者もいるにはいたが、やはりおのれとは勝負にならなかった。

 

 不思議な少女・凰珠オウジュに負けてから道場破りを始めたものの上手く行かなかったせいもあって、ヤケ酒気味に始めた勝負だったが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

 

「————あにい? アンタ、そのナリでまだ十九なのかよ⁉︎ デケえ子供ガキが二、三人いそうじゃねえか!」

「人のことが言えた義理か。お前こそ、とても十六には見えんぞ!」

「おめえと一緒にすんじゃねえや! 俺ぁ図体がデケえだけで顔は老けちゃあいねえ!」

「う、うるさい! 俺だって髭を剃れば……っ」

 

 二人の干した杯が百を越えた頃、店主と思われる男がおずおずと声を掛けて来る。

 

「あのー……、お客さま方、申し訳ありませんが、そろそろお会計を…………」

「ああ⁉︎ 何言ってやがる。まだ、おあいそなんて言ってねえぞ。早く追加を持って来やがれ」

「そ、それが……、店の酒瓶さけがめが全てからになってしまいまして…………」

「ならば、酒屋から買ってくれば良いだろう」

 

 成虎と将角が相次いで答えると、店の者は言いにくそうに口を開く。

 

「あの……、もうすでにかなりの支払い額になってますが、失礼ですが持ち合わせの方は大丈夫なんでしょうか……?」

『————コイツが払う‼︎』

 

 散々呑み食いした支払いを心配する店の者に対し、息を合わせたように成虎と将角はお互いを指差した。

 

 最初は自分が払うと言って聞かなかった二人だったが、杯を干すごとに相手に負けたくないという気持ちが大きくなり、いつからか絶対相手に払わせてやろうという気になっていたのである。

 

 店主としては会計を促して、迷惑なことこの上ない虎と熊を店から追い出したかったのだが、まだまだ居座りそうな状況にガックリと肩を落として厨房へと引っ込んでいった。

 

 追加の酒が来るまでの間、料理に箸をつけながら成虎が探るように言う。

 

「————で、どうよ将角。実際のトコ、もうそろそろヤベえんじゃねえの?」

「……抜かせ。お前の方こそ眼がトロンとして来ているぞ……」

「いやいや、俺ぁ元々こういう眼をしてんのさあ……」

 

 流石に幾分か酔いが回ってきた二人がお互いを牽制している時、先ほどの店主が、酒屋から買ってきたであろう徳利を提げてきた。

 

「……お待たせ致しました。追加の酒でございます…………」

「おう、悪いな……?」

 

 店主の瞳に言い知れぬ何かを感じ取った成虎だが、その正体までは分からず、首を捻りながら徳利を受け取った。杯に酒を注いで、さあ勝負再開と思われた時————、

 

「…………んだ、コラァ——ッ‼︎」

 

 杯を壁に投げつけた成虎が怒号を上げて円卓を蹴り上げた。

 

「————何をする! 貴様‼︎」

「————何をなさるんですか⁉︎」

 

 将角と店主が同時に非難の声を上げるが、成虎は聞く耳を持たず徳利の口に鼻を近づけクンクンと匂いを嗅いでいる。

 

「……オイ、てめえんトコの店は客に得体の知れねえモンを混ぜた酒を飲まそうってのか、……ああん⁉︎」

「————何⁉︎」

 

 成虎と将角に睨まれた店主はキュッと縮こまった。

 

「い……、いえ、そのようなことは断じて…………」

 

 しどろもどろになりつつも弁解する店主だったが、その実、体内では心臓がバクバクとうるさいくらいに鳴り響いていた。

 

(こ、この小僧、どうして酒に睡眠薬を入れたことが分かったんだ————⁉︎)

 

 将角が白虎派と門人と分かっていた店主としては、どうあっても将角を負けさせる訳にはいかなかった。成虎は知らなかったのだが、皇下門派こうかもんぱの門人には無料タダで呑み食いさせなければならないという成文律があるためである。万が一、将角が負けると二人の大酒呑みが腹に収めた大量の酒と料理の儲けがパアになってしまうのだ。そこで、店の者たちは全員で相談して一計を案じた。

 

 

 ————若いほうの小僧の酒に薬を混ぜて眠らせてやれば良い————。

 

 

 そうと決まり、早速買ってきた酒に睡眠薬を混ぜたまでは良かったが、いかんせん今回は相手が悪かった。医者の家系である上に内功の使い手でもある成虎の嗅覚を誤魔化すことは出来なかったのである。

 

「……てめえ、クラァ! この落とし前どうつけてくれんだ、ああ⁉︎」

 

 酔いが回ったことで普段よりも荒い口調の成虎が詰め寄ると、店主は慌てて手を振った。

 

「め、滅相もございません。お客さまにそのようなこと出来る訳がありません!」

「じゃあ、てめえが飲んでみやがれ!」

「————‼︎」

 

 成虎に睡眠薬入りの徳利を押し付けられた店主は、観念したかのように床に頭をこすりつけた。

 

「————申し訳ございません! 手違いで酒に異物が混入していたようです! ご迷惑をお掛け致しましたお詫びにお会計は結構でございます!」

 

 完全に泣きが入った店主の様子に、成虎は少し冷静さを取り戻した。

 

「お、おう、そうかい。ま、次は気ぃつけねえよ。そんじゃあな」

 

 成虎は将角と肩を組んで店を後にしつつ、上機嫌でつぶやいた。

 

「————ハハッ、お互い子猫ちゃんにならずに済んで良かったなあ、将角!」

 

 その後ろ姿を睨みつける者たちによって、酒楼の玄関に大量の塩が撒かれたのは言うまでもない。


   ———— 第四章に続く ————

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