雨のち雨。のち、夏空

第34話 雨の季節


「次の競技は、一年生による百メートル徒競走です。中学校での初めての体育祭、せいいっぱい走ります。みなさん応援してください!」


 放送委員が放送席で一生懸命しゃべっている。それを私と世理せりくんは本部横の救護テントで聞いていた。

 グラウンドを斜めにめいっぱい使って百メートルのコースが取られている。真っ直ぐに引かれた白い線から、生ぬるい風に粉が舞い上がった。

 パン、とスタートの合図が響いた。



 今日は体育祭当日だった。すこしどんよりした空だけど、暑すぎないのはいいかもしれない。

 私たちは怪我からの復帰直後なことと練習に参加していないことを理由に見学者リストに入っていて、ついでだからと救護班の手伝いを萩野はぎの先生に言いつけられていた。あまりやることはない。世理くんはつまらなそうだ。


「用具係の方がおもしろいよな」

「えー、それこそ体力いるし、競技をよくわかってないとできないでしょ」


 私よりも世理くんの方が退院直後なのに、何ワガママを。そう指摘したらぶつくさ言われた。


「はこべのくせに」


 世理くんは、あいかわらず感じが悪い。




 転校生の世理くんは、幼なじみたちがいることもありあっさり学校にとけこんでいた。

 初めて登校した日にも、朝のホームルームで紹介されて席に向かう時、私に向かってハイタッチをかまし教室がざわついた。空気読んでよ。


 私と世理くんは、週末に家の近くでばったり会ったということにした。それならすでに顔を合わせていても不自然じゃない。

 まったくの七年ぶりだなんてそんな設定で会うのは無理だよなと世理くんも言ってくれたので安心したのだけど、だからといってハイタッチイエーイという距離感はおかしくないか。それこそヒューヒュー案件だと思う。だけど世理くんは教室のいちばん後ろで私と机を並べ、余裕の顔だった。


 そして私たちがハイタッチしても、もう空気は揺れない。

 私たちは暮らしているんだ。




「これ、降るかもね」


 厚くなっていく雲を見上げて萩野先生がタブレットで雨雲レーダーをチェックした。天気予報よりもくずれてきているような気はする。

 だけど今日より後に延期したとしても、明日からもあまり晴れの日はなさそうなのだった。平年より早くこのまま梅雨入りかもとテレビで気象予報士が言っていた。それで下り坂の天気にもかかわらず体育祭は強行されたのだ。


「午後はだめそうだなあ」


 本部もザワザワし始めて、使い終わった物をどんどん片づけるように指示が飛ぶ。その様子は生徒たちにも伝わってあちこちから不満の声が上がっていた。

 私、雨は好きだけど。さすがにこういう日は降らないでって思う。



 だけどポツ、ポツと雨が落ちはじめた。

 昼ギリギリまで持ちこたえてくれただけマシな暗い空だった。仕方なく校舎内に入るよう指示が出る。

 午後の競技は丸つぶれだった。ラストを飾るリレーの選手になっていた鈴菜すずなちゃんが残念そうにしているのが見えた。どこか晴れた日に、できなかった競技だけをやり直す時間が取られるだろうけど、なんかね。気が抜けてしまって体育祭感がなくなっちゃいそう。


「――世理くん?」


 救護班の物をかかえて運ぼうとしていると、世理くんが校庭のはしの方を見つめて止まった。私もそっちを見たけど、もう誰もいない場所だ。どうしたんだろう。


「何かあった?」

「――あ、別に」


 ハッとした世理くんは、あわてて目をそらすと荷物を持ってずんずん行ってしまう。私は首をかしげて続いた。

 ――そうして、今年の体育祭は終わった。




 そのまま梅雨になった。

 雨が降ったりやんだり、私は休み時間を図書室ですごすことも多くなった。カウンターの貸し出し係には去年からの顔見知りの図書委員もいる。だけど何か言われることはなかった。


『はこべちゃんが手伝ってくれたのだって、本当はおかしいんだから』

『あの子なんなのって言う人もいて』


 そう撫子は言っていたけど。

 思っていても本人には言わないよね。そんなものだと思う。

 だから私からも、何も言わない。


 世理くんもいるし、私は教室になじんで登校できていた。だけど大嶺おおねさんは出てこない。もしかしたら転校するかも、と萩野先生に聞いた。それにはさすがにすこし罪悪感をおぼえた。

 だけどたぶん、私にはどうしようもないことなんだろう。私は私のことをするしかないんだし、他の人のことはその人自身がどうにかするしかない。


 私たちはひとりひとりが、ひとりだ。





「俺、梅雨は苦手だ。今年から、ダメになった」


 世理くんが突然そんなことを言い出したのは、期末テストが終わった帰り道だった。今日もまた、雨が静かに降っている。

 成績がどうなろうが、これでもう夏休みになったようなものだと浮かれて歩いていた私の横で世理くんはおとなしかった。そして周りから人がいなくなるのをみはからってつぶやいた顔はゲッソリしていた。


「どうしたの。どっか痛い? 雨の日は古傷が、てやつ?」

「そんな戦場帰りみたいなんじゃない」


 ブスッと言い返された。いや、だってさ。いちおう怪我させた側だから、気にしてるんだってば。


「……いるんだよ。ちょこちょこと」

「何が?」


 世理くんの声は小さい。珍しいと思いながら普通に言ったら、すごく渋い顔で告げられた。


「幽霊」

「え」

「なんか俺、見えるようになったかもしれない。これまではそんなことなかったのに」

「……いるの? ちょこちょこ?」


 ちょっとやめてよ。どこにいるのか私にはわからないから視線を動かせなくなってしまい、ついでに小声になった。ああ世理くんの声が小さかったのって、そういうことか。


「そんなにたくさんじゃないけどさ」

「――あれ、梅雨が苦手っていうのはどうして」

「……雨だと、見える」

「……へ?」


 妙なことを言う世理くんは、なんとも言えない顔だった。



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