第26話 生きているから


「私、最近助けられるようなことがあったっけ。ずっと会ってなかったのにおかしくない? 私は昔の仲良しってだけだよね?」


 私にじーっとにらまれて、せりくんはこれまでにないあわてた顔になった。しばらく黙り込む。

 そして、あきらめたように息を吐くと、白状した。


「――転校する予定だったって言っただろ。三月に転入手続きとか制服の注文とかしに、こっちに顔出したんだよ。別に俺は来なくてもよかったんだけど、誰か知ってるやついないかなって思ってついてきた。放課後だったから部活もやってるしな。それで歩きながら校舎を見上げたら、窓枠に座ってる生徒がいた」


 ――あ。

 私の胸はドキンとした。それってもしかして。


「女の子だった。腕を外にのばしてヒラヒラしてて、あぶねーなって思った。そのとなりにもうひとり、女子生徒が見えた」


 まさか。あの日の。


「ひと目でわかったよ。ハコベだって。おまえあんまり変わってないよな」


 へへ、とせりくんは笑う。


「真下に近づいたんだ。俺に気づいてくれないかな、て思った。そしたら座ってた方の――ナデシコがグラ、てかたむいた。おまえたちが手をつないで落ちてきた。やべえ、てなってもう体が勝手に動いた。ハコベを助けなきゃって受けとめたんだ」


 せりくんだったんだ、私の下じきになった人。『受けとめながら、植え込みに突っ込んで』って、お母さんが言っていた。

 でもじゃあ。じゃあせりくんは。


「俺のことぜんぜんわからないみたいだし、誰が巻き込まれたのかとか内緒にされてるんだろうなって。なら言わないでおくことにしたんだ、おまえ絶対気にするから。自分のせいで俺が死んだんだとか思われたくない」

「……がう」


 私はブンブンと首を振った。


「ちがう、生きてる! セリくんは生きてる!」


 うっかり名前を呼んだ。そんなことかまっていられない。そして呼んでもせりくんは光になんてならなかった。そりゃそうだよ、生きてるんだもん!


「……え、なに?」

「セリくんは生きてるの、目を覚まさないってお母さんが言ってた。生きてるんだよ!」


 せりくんはぼうぜんとする。わけがわからないという顔だ。そうだよね、死んだと思っていたのにまだ生きてるっていきなり言われても驚くよね。自分のことなのに。


「うそだろ……? 意識不明とか、そういうこと?」

「そう。怪我は治ってきてるのに起きないんだって」

「はあ?」


 せりくんは自分の体を見たり両手をにぎったりしてみた。あーもう、そんなの関係ない、ここにいる私たちは実体じゃないんでしょ。影がどうのこうの言ったのはせりくんだよ。


「いや、いきなり信じられないんだけど。俺、こんなところにいるし。ハコベのこと考えながら死んだからハコベを想う死者の心に引き込まれるんだと思ってて」

「でも死んでないんだってば」


 せりくんはだんだん考える顔になっていった。



『ここは私の世界なのにまぎれ込んで』

『他の人の心に入れるのは、あなただけ』

『教えてあげなーい』


 私は撫子の言葉を思い出していた。撫子はわかっていたのかな、せりくんが生きてるって。そして言っていた。


『あなたのせいで、ハコベちゃんと離ればなれ』


 知っていたんだ、せりくんが私を助けた人だって。これだから魂揺たまゆらの世界を感じてる人たちは、なんだかわからない真理みたいなものに近くて私には理解できない。だけど、ぜんぶ知っていたから撫子はせりくんに言ったんだね。


『しっかりしてよね。ハコベちゃんを泣かせちゃだめなんだから』


 あれは、一緒に生きていってね、てことだったんだ。



「――やっべ、マジか」


 長く黙った後、せりくんは力が抜けた声でつぶやいた。


「なんかいろいろ納得した。俺の魂、仮死状態ってことなんだな。俺の意識が死んだと思い込んでたから目が覚めない」


 私の方を見て情けない顔になる。


「他の人の心に入るのとか、おかしいもんな。俺、あれだったのか。おまえが言ってた『ちょっと死んだ』ってやつ」

「ちょ、それは」

「そりゃ『ちゃんと死んだ』のとは違うよな……」


 ハハハ、と乾いた笑い方をしたせりくんは、それから急に泣きそうになった。


「俺、生きてんのか。そっか」


 グッと声をつまらせて、息がふるえている。そうなるのも当たり前かもしれない。

 もう死んだんだと思っていたんだもんね。あとは消えるしかないんだとあきらめて、将来なんて来ないと覚悟して、未練を考えないように押し込めていたんだろう。

 ちがうんだよ。せりくんはまだ、これからなんでもできる。

 だから目を覚まそう。


「俺の体って病院にあるのかな」


 ポツリとせりくんは言った。


「……聞いてないけど、そうなんじゃないかな」

「俺、ハコベのところにしか来られなかったんだ。死ぬ瞬間の――死んでないのか、とにかくああいう瞬間の想いって強いんだよ。どこにでも行けてたらすぐ気づいたのになあ」


 ぐしゃぐしゃと髪をかく。悔しそうだ。

 ……ということは、調子が出てきたのかな。


「自分ちにも行けないんだぜ、親の様子見ればいっぱつだったじゃねえかよ」

「え、家にも戻れなかったの」

「そう、ハコベのとこだけ。で、おまえは俺のことわからないし、どうしようもなかったんだよ! あーやってらんねえ!」


 とうとうせりくんがキレた。ハアアァ、と大きく息を吐き出す姿が、これまでの余裕ありげなせりくんと違い普通の男の子みたいで、私はなんとなくうれしくなる。


「そんなに私のこと好きだったんだ」


 からかってみると、せりくんはめちゃめちゃ私をにらんできた。

 だってさ、同じこと言われたじゃない、豆だいふくが消えた時に。しかえしだもーん。

 ニヤニヤしてしまったら、せりくんはキレ気味のまま叫んだ。


「ああそうだよ! 好きってさっきから言ってるだろ!」


 その声が誰もいない校庭に響く。私はまた、真っ赤になった。



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