第25話 伝えておかなきゃ


「ハコベ」

「セ――」


 せりくんはとても大事そうに私の名前を発音した。呼び返しそうになって、私はあわてて口を閉じる。せりくんが吹き出しかけた。


「そう、とりあえず呼ぶな」

「なんで、名前はだめなの」

「名前は魂につながってるんだよ。ハコベにかけていた想いが、ハコベ本人に呼ばれることで解放されるみたいな感じ」

「やっぱりわからないってば……」


 これだから頭のいい人は困るよ。それとも感性? 感覚? あるいは霊感みたいなことなのかな。なんにしても私はニブイんだね、はっきりわかった。


「俺さ」


 せりくんは私のとまどいを無視して言う。


「ハコベのこと好きかも」


 その言葉の意味が私の脳に届くまでに、たっぷり五秒かかった。私の声が裏返る。


「――は、はい!?」

「どうせ消えるなら今言っとかなきゃだめだから、言う。たぶんだけど、俺ハコベが好きなのかもしれない。ハコベと一緒に学校行って、くだらないこと言って笑いたい。何かの行事で同じ係とかしてみたい。休みの日にどこかに遊びに行ったり――なんでもしてみたいんだよ。そういうのって、なんだと思う?」


 すこし早口でせりくんは言う。その目がとても真剣だから、私は冗談でしょとちゃかすこともできなくなった。


「え、えーと、そんなこと私にきかれても」

「わかんないよな、おまえじゃ」


 なんかカチンとくる言い方だな、自分だってわからないから訊いてきたくせに。だけどため息をついたせりくんはまっすぐに私を見た。


「まあ、そう感じてることをどう呼ぶかなんて、決めなくてもいいんだ」


 せりくんの目は晴れ晴れとして、あたたかくって、なのにすこしだけ泣きそうで。私はその視線に動けなくなる。


「俺はハコベといたかったし、ハコベもそう思ってくれたって言うんだからもう、それでいいんだ」

「ちょっと、ひとりで納得しないで」


 私はまだ気持ちがついていかなかった。なんとかせりくんの言葉をさえぎって疑問をぶつける。だってさあ、いきなりすぎるでしょ。


「それはほら、昔うっかりプロポーズしたとか、あの辺のことからこじらせたんじゃないの?」

「ちがうって。あの頃のハコベじゃなくて、今のハコベを見てて思ったんだよ。魂揺たまゆらの中に一緒に来て、いろいろ見て、歩いて。すごくおもしろかった。ハコベとだから楽しかったんだ。水族館のデート、誰でもいいわけじゃないって言っただろ」


 ……そりゃ、言ってたけど。


「あれは、生きてた時に好きな子がいたのかなと」

「いねーよ、そんなやつ」


 せりくんはぶっきらぼうに言ってプイと横を向いた。

 ……私、なの?

 私なんてアホだし、すぐ口ゲンカになるし、なんなら水族館ではせりくんを下敷きにしたし転びそうになったり落っこちかけたり、ろくなことしてない。だから重ね重ねシュミが悪いってば。


「まあ吊り橋効果的なやつなのかもしれないとは疑ってるけど」

「つりばし? なに?」


 顔をそらしたままブツブツ言ったせりくんに訊き返すと、フフンと笑われた。


「死にそうに危険な目にあった男女がうっかり恋に落ちるやつ」

「あ、なんかアメリカ映画とかのだ」

「偏見だなあ」


 あきれた顔だけど、せりくんはうなずいた。あれちょっとまって。


「ていうかもう死んでるでしょ。あ! じゃなくて、この気持ちはカンちがいかもってことね、失礼すぎ!」


 ハッとなって抗議した私にせりくんは爆笑する。


「おまえ素でノリツッコミなんだもん、やっぱおもしろい」

「おもしろくなーい!」


 せりくんは本当に感じが悪い。今度は私がせりくんに背中を向けた。もう、どうして私はこの人と一緒にいたいなんて思うんだろう。

 だけどせりくんは私を笑うだけじゃないんだ。私がやりたいことをするのを見ていてくれる。だいじょうぶ、できる、て言ってくれる。泣いても怒らずに待っていてくれる。

 ――私だって、せりくんと学校に行きたかったよ。せりくんがいてくれれば、さっきみたいにがんばれるような気がするよ。


「なあハコベ、言い逃げみたいなことしてごめんな」


 後ろから落ち着いた声がした。覚悟を決めたみたいな、そんな話し方しないで。私はまだ気持ちの整理ができない。


「もう言えなくなるからさ。それにハコベだって帰ったら忘れちまうんだし、伝えておくかって。これでも超絶恥ずかしいと思ってるんだぞ」

「……言われた私だってむちゃくちゃ恥ずかしいよ」


 私はようやっとせりくんに向き直った。でもきっとすごくブス。顔は真っ赤だし口はとんがってるし。うつむくしかできない。


『平子先輩はいい人だけど、私、はこべちゃんといる方がいい!』


 撫子はそう言っていた。じゃあ私は? せりくんといるより撫子といる方がいい? 違うよね。撫子とももっと一緒にいたかったけど、せりくんと過ごす時間もとてもとても楽しくて――それは私からも伝えておかなくちゃいけない。


「好きとかそんなのはわからない。でもここでがんばれたのはセ――っと、あなたのおかげだと思う。ありがとう」

「ん」


 上目でチラリと見ると、せりくんはすっきりした顔だ。ずるい。ひとりでそんなに思い切って。


「そもそも俺、ハコベを助けなきゃ、て思ってたんだよな。ハコベがこれからがんばれそうにならなきゃ想いが残りっぱなしだったのかもしれない。そんでついでにハコベが俺のこと好きになったならもう言うことないや」

「好きかわからないって言ってるでしょ! 勝手にねじまげない! ――あれ?」


 うーんと、何かひっかかるんだけど。そう、あれだ。


「――ねえ、私を助けなきゃ、て何?」


 せりくんはヤベ、という顔で肩をすくめた。



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