親切ゴードンおじさんの美味しいお肉屋さん

 静寂から急ぐように逃げた。雨に晒され身体を濡らすなか、一番に目星をつけていたはずの解体屋へと向かう。


 エスコエンドルフィア製薬に黙認されていて技術と知名度もあり、ここから遠くないのは『親切ゴードンおじさんの美味しいお肉屋さん』ぐらいだ。


「……怖がるな」


 シルヴィは白い吐息交じりにぼやいて、牙を軋ませる。……人間の筋肉、骨格の構造を説明して解体方法を説明していた動画の店。


 解体屋を回るなら、あそこがレーヴェのいる可能性が高いはずなのに、私は最初に行くことを避けていた。……怖かったらしい。


 まだ、店も見えてないのに息が思うように整わない。指先が緊張で、ちりちりと痺れる。


「……私はあれよりずっと鋭く、恐ろしいものを見た。私は、見た上で生きてる……大丈夫」


 血飛沫すら許さない斬撃を思い出しながら、ぎゅっと雨粒を握り潰して、灰色の都市を走り抜けた。


 妖しいネオンが煌めく看板。デフォルメされても可愛げのない男二人が描かれている。傷一つない店のガラスを汚す血まみれの手形。今日の目玉商品として貼られた男女の頭部の写真は真新しい。


「…………っん」


 美しい軌跡と似た残虐さ。似つかぬ醜悪さ。シルヴィは口元を覆いながら、覚悟を決めるように唾を呑む。


 重い木製扉を押し開けた。ガランガランとドアベルが鳴り響く。生暖かい室内。消し切れない血の臭いが鼻腔を刺激して瞳孔が開く。


「やぁやぁようこそ小さなお客さん。ここがお肉屋さんだと知っての来店かい?」


 素っ頓狂な声と共に髭を蓄えた大男と紙袋を被った巨躯の男が満面の笑みを浮かべてカウンター奥から姿を見せた。血まみれのエプロン。反して、汚れ一つない鋭利な肉包丁が照明を反射して煌めく。


「知ってての来店」


 ショーケースに入った無数のブロック肉、パッケージングされた皮の剥がれた手、腿とだけ書かれた赤赤しいスライス肉、血と胆嚢の瓶詰。なにもかもが記憶に刻まれていく。


 誤魔化すように微笑もうとして、どうしようもなく顔をしかめた。


「えへ、えへ……。こんナ可愛い子がお店に来るなんて初めテ、だ、ダね? お兄ちゃぁん」


 紙袋の奥から引き攣った笑い声が響く。髭面の男、店主のゴードンが優しい笑みを向ける。愛玩動物を見る目ではない。品定めをするような薄気味悪い眼差しだ。


「肉の購入かィ? 今なら臭みを無くすために一か月も飼料を調整したいい肉も残っているよ。試食用、もあるんだ」


 そう言ってプレートに載せられた小さな切り身肉を前に持ち出される。シルヴィは気圧されながら、慌てて首を横にふった。


「そうなのかい? おかしいなぁ。同胞の匂いはするはずなのに。嗚呼、 キミ達は血が良いんだったか!」


 ゴードンは意気揚々とドロドロとした血の入った瓶詰を見せつける。むわりと漂う説明のいらない異臭。頭が浮くような違和感がして、シルヴィはたじろいだ。


「ち、違う……。私はいらない。私は人を探してるの。レーヴェって人は来てない? ここのお店は名前、顔、声も全部記録して。肉と一緒に売るでしょ」


 ク、と。紙袋の奥から笑い声を押し殺すような音が漏れた。彼は視線を合わせるようにしゃがみ込み、シルヴィに目だけを向ける。黒目と白目が幾つにも重なったような、人間の眼ではなかった。


「そういう情報は店前に並べるときにしか、公開しなイんだ。ごめン、んね? お嬢ちゃん」


 シルヴィは躊躇うことなく拳銃に手をつけて――引き抜けない。腕が固まるように動けなかった。なんの確証もないはずなのに、脳が断言している。拳銃は無意味だと。


「そんなものに意味はないよ。むしろ何故、貴女が玩具を使っているのか理解できないくらいだ。同じ仲間じゃないか」


 ゴードンは見透かすようにシルヴィの手を、拳銃に触れていた手を引っ張り、強く握った。巨大でゴツゴツとした指の感触。背筋に鳥肌が立った。


「さ、触らないでくれない? ロリコンおじさんの臭いが移っちゃうんだけど」


 限界まで達した緊張と嫌悪が私に減らず口を走らせて、自嘲とあいつらへの嘲りの混ざった鼻息を立てる。


 ゴードンは驚いたように眼を見開いて、数瞬の間硬直していた。ジッとシルヴィを見下ろし、吊り上がった笑みを浮かべる。


「気が変わったよ。レーヴェだろう? あのスラムの人間とは思えない健康で美味しそうな肉の女。彼女の解体作業を特別に見せてあげよう」


「い、イいの? お兄ちャあん。仕事は、信頼が七割だっテ、言ってタのに。例外は、作ルべきじゃないって」


「彼女は特別だよ。素晴らしいんだ」


 不可解な言葉。――私がシルヴィ・ラヴィソンであることが解体屋(こいつら)にバレてる? ……そんな訳がない。こんな末端に情報を広めるなら仲介屋の時点で捕まってるはず。


「来ないのかい? 探していたんだろう」


「ッ、行くに決まってるでしょ……!」


 剥き出しのコンクリートの薄暗い通路を進んでいく。無数の人間が吊るされた乾燥室の奥、血と傷で汚れた解体部屋にレーヴェはいた。


「……彼女は生きてるの?」


 手足は拘束され、仰向けになって身動きは取れない状態だった。近づこうとしたが、解体屋が前を塞ぐ。


「ええ、もちろん。我々にとって価値があるのは肉だけですが、他の方にとっては映像、声、顔。いろんなものを気にしますので。眠らせたまま解体はしないのですよ。ああ、拷問はしませんよ。ただ致命傷の一瞬、そこに我々はこだわるんです」


 ゴードンは誇らしげに説明するとシルヴィを舐めるように見下ろす。嫌な気配を覚えて、シルヴィは二人の腕をすり抜け、咄嗟に距離を取った。拳銃と、短刀を構え、向ける。


「聞き忘れた。なんで急に見せてくれるの? 私が特別ってなに? そんな趣味があると思えないけどぉ、こんなちっちゃい身体の女の子にこーふんでもしちゃったぁ? お・じ・さ・ん♡」


 恐怖を誤魔化すみたいに二人を煽ったが。彼らはまるで気にしなかった。愛玩動物としてすら見ていない。品定めする双眸。


 二人は太く筋肉質な腕で涎を拭った。


「情報を見た人が、イ、いなけれバいい」


「まだ未成熟? この世界に彷徨い込んだ? 貴方のような種族を食べられるなら、この店が壊れてもいい……! その繊細に色彩を髪と瞳。……間違いない。なんて、美味しそうなんだ。夢のようだ。――ありがとう!!」


 残虐さに満ちた食材に対する感謝の言葉。ゴードンとその弟が口を開けて満面の笑みを見せると、人間にはないはずの鋭い牙が幾重にも並んでいた。

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