ちょっぴり未来のお話

ソレイユ嬢の花嫁修業編・序

 バルジーク王国の北西側の端っこにある、ローテ領ロゼット村。

 近隣にはラグナード辺境伯領とオーウェン伯爵領があり、その隙間に小さな村ひとつの所領を持つのがローテ男爵家だ。

 ローテ男爵が昨年から広がり始めた流行病によって、危うく命を落としかけたことは記憶に新しい。


 ローテ家にはローテ夫人と十六歳の長女と、十歳になったばかりの嫡男がいる。

 ローテ男爵にもしものことがあれば、幼い嫡男が爵位を継承することになるが、いまだ王都の学園に入学もしていない、未就学の当主を支えていくことは至難の業になるだろう。

 場合によっては爵位の返上も余儀なくされる。

 日々の暮らしと王城への納税だけで、必死な有様だった。

 二年後の長男の学園入学費用を、いかに捻出しようかと頭を抱えていた矢先に、流行病が広がり始めたのだ。

 

 流行病の噂を聞きつけたのは、まだ夏の盛りの時期だった。

 村人には夏のあいだに、薬草を多く収穫して備えるように指示は出したものの、流行病が思ったよりも早く近隣の領に広がっていた。

 特にオーウェン領の広がりが早く、秋口にはローテ領のロゼット村でも患者が出始めてしまったのだ。


 この年は不作で食料確保もままならず、ローテ男爵は食料と薬とポーションの確保に奔走した。

 とはいえ世間でも知られた貧乏領主、潤沢な資金があるわけではない。

 すぐに資金が底を尽いてしまった。

 家に代々伝わる宝飾品や家具を売りさばいても、商人に足元を見られ買いたたかれる始末。

 借金を申し入れても中々応じてもらえない。

 かろうじて不作の収支報告が王城に認められ、税を減額してもらうことができて、ローテ男爵はホッと胸をなで下ろしていた。

 とはいえ、ローテ領の財政が火の車なのに変わりはない。

 季節が晩秋に移り変わるころ、ついにローテ男爵自らが流行病に感染してしまった。


 その状況に混乱したのがローテ夫人だった。

 取り急ぎ嫡男を離れた部屋へ隔離し、残りわずかな金子を従士に持たせ、なんとかポーションを買いに走らせたものの、劣化品のポーションを数本持って帰ってきただけだった。

「どこも品不足で、それを買い求めるのがやっとでした。多くは高位貴族に買い占められているようでございます」

 使いに出した従士長は拳を固く握りしめ、無念を滲ませて告げた。


 それでも回復の見込みを託して、ローテ夫人は男爵に飲ませようとするも、「それは重症な村人に分け与えなさい」と言って、男爵は飲もうとしなかった。

「あなた様に何かあってはローテ領が立ち行かなくなってしまいます!」

 夫人が必死に懇願しても、ローテ男爵は頑として譲らなかったのである。



 そんなローテ領の危機を察し、娘のソレイユが無謀にも立ち上がった。

 ソレイユはわずかに残った自身の宝飾品を握りしめ、愛馬のシュリーに飛び乗り、家人の静止も聞かずに屋敷から駆け出していった。

 ローテ領を飛び出したソレイユは、一番近い大都市オーウェン領都を目指して進んだ。

 そこでは流行病がかなり広がっていて、ポーションどころか飲み薬も手に入らない。

 商業ギルドでは、早々に領都を出ることを勧められた。


 ならばと、遠く離れたラグナード辺境伯領都を目指してひた走った。

 ラグナードでもオーウェン領同様に流行病が広がっていて、検問でだいぶ時間を取られたものの、なんとか領都に入ることができた。

 そこで探し回ってみても、やはり薬もポーションも品薄状態だった。

 ガックリと肩を落とすソレイユ。


 けれど最後に立ち寄った薬屋の老婦人がもらした一言に、一縷いちるの希望を見出みいだした。

「もしかしたら、ラドクリフ領ならば……」

 その言葉に飛びついたソレイユは、無謀にも夕暮れにラグナード領都を飛び出していた。

 

 ラグナードからさらに北北西に進路を取る街道は、大森林の中を進んでいくことになる。

 危険な魔物が闊歩かっぽする夜の街道を単騎で駆けるソレイユ。

 無謀を通り越して自殺行為といっていい。

 それでも猪突猛進の勢いで、ソレイユは愛馬を駆って進んだ。

 ただひたすらに、ポーションだけを目指して進む。


 それから三日。

 運よく魔物に襲われることもなく、ラドクリフ領カミーユ村に到着することができた。

 防護壁門をくぐったとき、汗も汚れもさっぱりなくなり爽快になって驚いた。

 雨雪で濡れそぼった外套や衣服の重さは変わらなかったが、ろくに身体を拭くこともできていなかったのでありがたく感じた。

 さらに葛湯という温かい飲み物を無償で提供されて、冷えた身体が温まり、命永らえた心持ちになった。

 

 それから村の商業ギルドへ赴きポーションの有無を確認すると、ここでも品薄だと言われ、ドッと疲れが押し寄せてた。

 ここまで何をしにきたのかと打ちひしがれていたとき、最奥にルーク村があり、そこで手に入るかもしれないと耳にすれば、ソレイユの瞳に光が戻った。


 矢も楯もたまらず商業ギルドを飛び出し、最後の望みの綱にすがるようにルーク村を目指す。

 一見無駄とも思えるこの行動が功を奏し、ラドクリフ領主邸でポーションと薬草を手に入れることができたのだ。

 ラドクリフ邸では豪勢なもてなしを受け、翌日には護衛もつけて送り出してくれた。


 ローテ領への帰路で、街道をれて大森林の中を移動することになったのは予想外の出来事だった。

 大森林の中では今まで見たことがない、魔熊や大ボアやオークの群れに遭遇した。

 ラドクリフ家の従士たちはそれらをあっさりと撃退し、なんなら森の中で解体してのん気に野営を始めてしまうではないか!

 ソレイユは目を白黒させていたけれど、夜営で食べたオーク肉焼きは大変おいしかった。


 大森林から徐々に浅い森に入って、そこでようやく街道に出れば、ローテ領とラグナード領の領境の町だった。

 そこで一泊したのち、ようやくローテ領へ帰ってくることができた。

屋敷に戻って早々に、ローテ夫人に叱られたのは致し方ない。


その日から数日、ラドクリフ家の従士たちはロゼット村の住民のために炊き出しをおこない、森で狩りをして、捕った獲物を村人に分け与えてくれた。

そのあと彼らは元気にラドクリフ家に戻っていった。


その後のローテ領では、ラドクリフ男爵家から譲り受けたポーションと薬草で、なんとか流行病から回復することができた。

ハルド商会というラドクリフ家お抱え商人が運んできた、たくさんの穀物と野菜の支援物資によって、その冬は死者を出さずに乗り越えることができたのだ。



ここで少し、今回の立て役者ソレイユの話をしよう。

 貧乏男爵家のローテ領では、長女を王都学園に通わせるだけの財力がなかった。

 幸い王国の貴族法では、下級貴族は嫡男の入学が義務付けられているが、それ以外の子の入学は免除されている。

 嫡男を入園させるだけでも莫大な金額を必要とするため、下級貴族を救済するための処置だった。


 さて、このソレイユ。

 王都学園に入学できないことを知っていたので、ローテ夫人から礼儀作法や教養を学んではいたものの、かなり奔放に育っていた。

 乗馬をたしなみ、野山を駆けるのを趣味としていた。

 ときにはロゼット村に赴き、村人の農作業の手伝いをすることもあった。

 村の小さな孤児院の手伝いをしたり、村の子どもたちと遊んだりと、朗らかで活発な姿が村人からも慕われている。


 これにはローテ夫人も呆れ果て、お説教をしてもソレイユにはまったく響かない。

 ローテ男爵も娘の不遇を哀れんで、好きにさせていた面があった。

 学園を卒園できていない下級貴族の娘の嫁ぎ先など、皆無といっていい。

 運が良くて勲爵士くんしゃくしの妻か、大店に嫁入りできるか……。

 いずれにしても、貴族社会で生きていくことは難しいだろう。

 自分の手腕のなさに、不甲斐ないとローテ男爵はいつも悩んでいた。



***

 ここまで三人称です。

 書きにくいので、次話から一人称に戻ります(;´▽`A``

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