第23回 頭に「ぬ」のつく映画の代わりに、ミニエッセイ

 諸事情により「ぬ」のつく映画は、「カクヨム」も「小説家になろう」も同じ「ヌイグルマーZ」を取り上げていました。

 他に「ぬ」のつく映画、見てなかったので。


(頭に「ぬ」がつく映画タイトルは、極端に少ないのです。ピンク映画も含めれば「濡れた〇〇~」とかそっち系のタイトルは多そうですけど、今回は、やめときます)


 というわけで、申し訳ありませんが【二周目】は、ホラー映画に関するミニエッセイを掲載します。



 小さい頃は、本当にホラー映画というものが苦手だった。


 でも、見るきっかけとなった出来事があった。


 テレビでやっていた、ある映画のメイキング風景を見て、「ホラー映画って、娯楽なんだ」と改めて強く認識したこと。


 小学生だった私は、テレビで「インディ・ジョーンズ」シリーズや「グーニーズ」などの冒険映画を見て、ワクワクするような子供だった。良い意味で純粋な映画少年だった。


 ある日、「インディ・ジョーンズ」シリーズの1作目、「レイダース・失われたアーク《聖櫃》」の制作の裏側……みたいなメイキング特集をテレビでやっていた。


「レイダース」のクライマックスでは、《聖櫃》から出てきた怨霊たちにより、悪党たちの顔がドロドロに溶かされる、おぞましいシーンがある。


「レイダース」自体は冒険活劇なので、ホラー映画ではないのだが、そのテのシーンが苦手な私は、顔を背けながら、このシーンだけは薄目で見ていた。


 この「おぞましいシーン」を担当した特殊効果のスタッフは、メイキング番組で陽気に語っていた。


「頭蓋骨の模型の上から、ゼラチンを塗って、役者そっくりの顔を作るんだ。そして強烈なライトを当てると、熱でゼラチンが溶けていく。それを早回しすると、人間の顔がみるみるうちに溶けて、頭蓋骨だけが残るように見えるってわけさ。皮膚もどきのゼラチンの下には、赤い塗料を混ぜたゼラチンを一層塗っておくと、溶けた時に混ざって、血みたいに見える。より本物っぽくなるんだ」


 そして、そのあとに、こう続けた。


「遊園地のオバケ屋敷やジェットコースターに、人は金を払うだろう? 恐怖もエンターテイメントなのさ。僕はこの仕事を楽しんで、誇りを持ってやってる。見てる皆も楽しんでくれよな!」


 随分と意訳かもしれないし、記憶の美化・補正もあるかもしれないが、全体としてこのような内容を語っていたように思う。


 恐怖も、エンターテイメント。


 この言葉は、当時の私を動かした。


 本物にしか見えないような、映画の中のギミックたちも、「怖がらせよう、楽しませよう」という思いを込めて、作っている人たちがいるのだ。


 リアルな怖い悪夢を見て、ばっと目覚めた時に、「ああ、本当のことじゃない、夢で良かった」と安堵した経験は誰にでもあるだろうが、どんなに怖い映画だって、良い意味で「作り物」であり、「本当のことじゃない」のである。


 ホンモノだったらすごく怖い。楽しむどころではない。


 でも、想いを込めた作り手たちがいる、良い意味で「ニセモノ」の怖さであれば、その“怖さ”自体を楽しめるのでは……そんなことに、気付いた。


 だからこそ、ホラー映画は、楽しいのである。


 映画のDVDやブルーレイなどでは、特典映像としてメイキング風景を収録しているものがある。


 映画のストーリーの中では、血みどろになりながら殺人鬼に追われ、悲鳴を上げながら必死に逃げていたヒロインが、舞台裏では、満面の笑みを浮かべて「さっきのあたしの悲鳴、どうだった?」なんて言って、顔面血まみれの特殊メイクのまま、監督と楽しそうに談笑しているのを見ると、こっちまで「ああ、こういう人たちがいるから、面白いホラー映画って出来るんだなあ」とホッコリしてしまう。


 映画スタッフが「怖がらせるため」「楽しませるため」に作った娯楽作品を、見られるうちに、生きているうちに、出来るだけ色々と見ておきたい、と私は思う。

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