第15話「新生! 魔法少女!【前編】」

「兄ちゃん、早くしろー! エロ本とか良いからぁっ!」

「エロ本じゃねぇぇ! 宝もんがねぇんだよ! 俺の!」


 路上で我が家の二階に向かって声を上げる中学生の妹──と、二階にある自室の窓から怒声を出す高校生の兄に近所迷惑などという羞恥心は無い。

 何せ両者、そして妹の傍で避難用の荷物を背負っている両親たちにも命の危機が迫っているからだ。

 そんなこと──橘家の長男である橘侑弥たちばな ゆうやも無論存じている。


 しかし、自身が死ぬ事よりも大事な物が男にはある──あるのだ、男には。


「ない! ない!」


 机の中や本棚の隙間を幾らひっくり返せども見つからない我が家宝。

 怪訝おかしなところに仕舞ってしまった過去の自分を呪いたい、仕舞った場所を忘れた自分を呪いたい。


「侑弥、急いで! 避難先のシェルターが閉まっちゃう!」


 下から聞こえてくる母の緊張感の高まった声に体を反応させながらも、手は止めず汗は額を伝る。


ぇ! ぇ!」


 男の生き様、俺の生き様、何処いった。

 俺の──


「俺のエネシア秘蔵写真どこ行ったーーー‼」


 現代ではもはや依存せざるを得ない、太陽系よりも広大なネットの海から拾い上げた秘蔵画像を印刷した写真たちが見当たらない。

 『スカートの下に見えるモノ=軍の英雄勲章』という程に、大切な写真全てを行方不明兵MIAとして絶賛捜索中なのだ。


 『スマホに同じものがあるなら良いじゃないか』──それでは意味が無い。

 コンビニのプリンターなんて皆が使いそうなところでは印刷せずに、わざわざ古くて評判の良い写真屋さんの高額コースで印刷して貰った最高画質の写真たちだ。

 なけなしの金で先日やって貰い、そこの老けた店主さんはクールと微笑を浮かべながら「アンタみたいな客が来たの……数十年ぶりだ、腕が鳴るぜ」と肩を回して、丹精込めて印刷して貰った──そんな男同士の熱い結晶をこんなところで無くしてたまるか。


 突如、脳裏に電流──否、推し愛の稲妻が流れ込んできた。

 頭は平静になり、勝利を確信したかのような繊細な手探りで学校の鞄から学生手帳を取り出して中身を開けた。


「…………あっっったぁ‼ うっしゃおらぁあぁぁぁぁ‼」


 誰もいない家の中に思春期の咆哮が木霊する。

 勝った、勝った、俺はこの困難に勝ったのだ。

 俺はこの勝利を謳歌す──


「早く来いアホォッ‼」


 親父の怒声が響き、写真を急いでリュックへ詰め込むと侑弥ゆうやは急いで玄関へと駆け下りて行き、家を後にする。

 見上げた大空は青や白すらない一面灰色で、を更に助長させる様な不気味な演出アングラをしていた。


「死にそうって状況で何やってんの、バカ兄ちゃん!」


 妹に怒られながらも、急いで近くのシェルターへと移動していく。

 こういった避難は家族全員初めての事だった、きっとほとんどの人達がそうであろう。それ程までに日本の天使事情は各国に比べて比較的緩い部類だったのだ。

 しかし、現時点では違う。“新たな災厄”はこの数日で何国も破壊し、今度はこの国に降り立とうとしているのだから。


 皆が急ぐ中、侑弥ゆうやは拙い足取りで走るも前を行く家族たちとの距離に間隔が開きつつあった。

 写真探しで体力を大幅に削った彼の視界が眩むと、突然後頭部が縛られるように痛みだす。

 丁度、そこは月野命運にサッカーボールをぶつけられた辺りだった。


 ──何かの予兆? 何を伝えようとしている? 力への覚醒? いったい何のだ?


 その合図は、遅刻寸前の街角で美人な生徒とぶつかる様な──運命的な信号であった。

 ぶつかった衝撃で地面へと倒れ、ぶつけた尻を気にしながらも侑弥は衝突した女性に手を差し伸べた。


「大丈夫っすか? すみません、頭痛が……え?」


 相手は予想外中の予想外の人物であった。何せこの場合は、大抵初対面の美人なのだが彼女はだったのだ。


「め、命運めより先輩?」


 呻き声を上げながらその場に倒れこむ同じ高校の制服を着た女性は、紛れもなく悪い意味での有名人『リリィ・ミスルト』こと、月野命運その人。

 『……よりによって』とサッカーボールが直撃してきた事を思い出すがいつもと違い弱々しそうな様子の彼女を見てそんな考えも薄れだし、少し心配になってくる。

 苦しそうに蹲る命運の前でしゃがみこみ、小さく声を掛けてみた。


「だ、大丈夫ですか? 救急車呼びましょうか?」

「だ、大丈夫……ありがとう……二年C組九番、橘侑弥君」


 彼のクラスと名前を律儀に呼びつつ壁に手を付けながらゆっくりと起き上がるも、脚は小鹿の様に震えていてとても平気そうには見えない。


「無茶しないでくださいよ。最近入院してたって聞いてましたし、もしかして……怪我治ってないんですか?」

「えぇ……今日、初めて病院を抜け出した。変身して……戦わなくちゃ……天使が来る……確実に」


 悪い予感は的中した、こんなになってまで彼女は皆を守りたいというのか。

 すると命運の躰が蹌踉よろけだし、地面へと再び転がりそうになったがすんでの処で侑弥が支え、一息溢すと心配そうに声を上げた。


「だから無茶っすよ!」


 命運の息は既に上がっており、包帯が巻かれた手足が制服から露出した姿に悲惨さを知る。

 侑弥は息を呑むも強く目をつぶり、一つの決心を固めた。


「兄ちゃん、何やってんの! 早くしてよ!」


 すると、そこに一人遅れた兄を心配してか妹が走りながら戻って来た。

 妹の慌てた声に侑弥は焦りすらも覚えずに、彼は低い声で返事をした。


「……先に行ってろ、俺はこの人を運んでいく」

「だったら、一緒にシェルターに……」

「違う!」


 兄のいつにもまして真面目な表情に妹は圧倒され、言葉を失う。

 侑弥は支えていた命運の腕を肩に通すと、ゆっくりと起き上がり──我が妹に堂々と胸を張って宣言した。


「俺はこの人を戦う場所まで送り届けていく、今決めた」


 突発的な決意、自分でも怪訝おかしい事はわかっている。

 だが、ここで助けなければ魔法少女オタクの名が廃る。推し以外だったら守らないなんて事はしない。


「んじゃ、父さんや母さんによろしく。あばよ!」


 陽気に振る舞いながら命運と歩きだして行き──取り残された妹は唖然として、兄の雄姿を黙って見届けていた。


 少しずつ進んで行き、んぶで運べるだけの運動能力が無い自分を恨みつつも彼女に声を掛けてみる。


「ところで、何処に連れて行けばいいんですか?」


 場所を聞かれても命運は顔を下ろしたままで、彼の顔をようとはしない。


「何やってるの……」


 『少し黙るか』と前を向き直した瞬間怒りの籠った声が鼓膜に響き、侑弥は視線のみを命運に向けた。


「……何って、お助け?」

「私の事はほっといて、家族と一緒になんで避難しないの……」


 平然とした返しに命運のトーンが一つ上がり、声からも泣きだしそうな様子を見せる。


「……だって、助けるのは当然じゃないすか」


 彼の言葉に反応して、命運は顔を上げた。

 突き放す様に言っても尚、彼の様子は何一つ変わってはいない。

 侑弥は近距離で見た命運のそんな表情にどこか愛らしさを覚えて、視線を逸らしながらも話を続けていった。


「俺たちは常日頃、魔法少女あなたたちに助けられながら生きているんすよ。

 そういう助けられる側俺たちはこういう事でしか、魔法少女を助けられませんよ」

「だ、だけど、私は酷い魔法少女よ……弱いし、学校でも嫌われてるし……」


 『嫌われていた自覚あったのか……』と内心驚くも、冷徹無比な人ではないと知って少し安心した。


「だからって、怪我人を放っておけませんよ。先輩は少し相手に甘えてみた方が良いと思いますよ」


 ──真士しんじ君の友達、だな。……確かに、『類は友を呼ぶ』とはこのことか。


「じゃあ、高い所までお願い。上手く変身できるような……そんなとこ」

「……了解っす。生変身、拝ませてもらいますよ」


 新種の天使上陸に焦りながらも侑弥は彼女から一歩も離れずに、人の気のない曇り空の下を歩みだして行った。


 ──高い所だと上手く変身できる……そんな変身設定、あったっけ?


 ※


 逃げ惑う人々から命運を隠しつつ、辿り着いた先は大型ショッピングモール。

 『他にも高いところあったんじゃね』と思いながらも入店したが、店内には人影すらない伽藍洞がらんどうとした不気味な空間が広がっていた。


「なんか気味悪きみわりぃっすね、店は開いているのに人が全然いないモールって……」

みんな警報を聞いて、急いでシェルターの方へ逃げたんでしょ。ここよりは安全だけど、相手が相手だから……そこにいても時間の問題になるかも」


 命運の予想に緊張しつつも、屋上駐車場へ行こうとエレベーターのボタンを押した瞬間──彼女は侑弥の手から離れ、覚束無おぼつかない足取りで逆方向へと歩き出して行った。


「ちょ、ちょっと、先輩! どこへ──……?」


 彼女が向かう先にあったのはレディース専門の服屋さん、その中でハンガーに飾ってあるロングスカートが小刻みに震えていた。

 その現象の正体は侑弥の位置からでも確認でき、少しの間彼もその一転のみを見つめてしまった。


「子供……なんでこんなところに」


 震えながら脅える二人の幼い男女の前に立つと、命運は背に合わせて体を縮ませて笑顔を見せた。


「どうしたの? お父さんやお母さんは?」


 姉の様に優しく心地よい声色に不信感が解けたのか、少女が涙を溢しながら鼻を啜りだした。


「うぅ……ひ、避難警報が鳴って……出て行こうとしたら、人がぎゅうぎゅうで……ママやパパの手から離れちゃって……」

「だからこうやって、妹といて……あぁ……」


 女の子につられてか彼女の兄であろう少年も泣き始め、命運は慌てた人の波に飲まれた迷子たちだと確信する。

 周辺を見渡し、彼女は苦しい表情を見せぬようにして立ち上がった。


「ちょっと待っててね」


 今度はドーナツ屋に歩きだして行き、顔を痛覚に歪ませながら機械の様に進んで行くと侑弥は命運を支えに行き、誰もいない店内に入店した。

 ウインドウに放置されていたプレーンのドーナツを二個取り出すと命運はレジにお金を置き、兄妹のもとへと戻って行く。


「はい、一個ずつね。食べたらパパとママに会いに行ける方法を教えてあげる」


 「美味しい?」と聞きながら笑顔で対応する彼女に、侑弥は邪魔をせずに食べ終わるのを待った。

 ──こんな姿を見ていると、先輩に対して陰口ばかり叩いていた自分が恥ずかしく思えてくる。

 食べ終えると兄妹たちにルートメモを書いた店内マップを持たせ、自分たちと出会った今の場所から地下に繋がる裏通路とシェルター側の人間との連絡通路をゆっくりと教えてあげた。


「ごめんね、一緒に行ってあげたいけど私たちやることがあるから」

「やること……?」


 言葉の意味が解らず、兄妹は同時に首を傾げだす。

 二人の反応に笑みを溢しながらも、彼女は高大とした様子で理由をうち開ける。


「お姉ちゃん、魔法少女なの! ……だから、今近づいてきてる天使を倒しに行ってくる」


 その言葉に兄は「すげぇ!」と呟きながら眼を輝かせ、妹の方は言葉を失いながらも勇気を出して目の前にいる魔法少女に声を出していく。


「わ、私も大きくなったらお姉ちゃんみたいな魔法少女になる!」


 少女の無垢な発言に苦笑しながらも大きく頷き二人の頭を撫でる。

 シェルターの方へと走り去っていく兄妹を見送けとすぐさまエレベーターへ乗り、上に向かうボタンを押した。


「さすが……優しいんすね、先輩」


 機械の昇って行く重音の中、先の兄妹たちに何も出来なかった自分を恥じながら、侑弥は申し訳なさそうに話しかけた。


「優しさだけじゃ何も救えない、だから私は弱いよ……」


 何かに後悔し懺悔をするかのような話し方をする彼女に、侑弥は沈黙して耳を傾ける。


「でも……強くありたいとは思う。『憧れてばかりじゃ前へは進めない』って、ついさっき魔法少女に教えられた」

「カッコいいっすね、なんかその人……」


 その正体がだと教えられず、命運はもどかしいながらも心中微笑した。

 エレベーターが止まり、スムーズに扉が開いていくと──

 突然大きな縦揺れが発生し、開閉していたエレベーターの扉は中途半端な位置で

止まってしまう。


「──ッ⁉ じ、地震⁉」


 命運は気配を察して急いで扉の隙間を通り抜けると、侑弥も追いかけるようにして屋上駐車場へと出て行く。

 駐車場で顔を見上げながら立ち尽くす命運の背に不安を覚えながらも、追いついて共に灰色の空を見た瞬間──己が今存在する世界を疑った。


 上空を飛び交うは大群の流星。夢など叶えぬ悪魔の星々はそれぞれに違う個の色彩を放ち、どれもが同じ色をしていない。

 隕石たちは重力に逆らわず地上へと落下しては小規模な爆発を起こし、街を見境なく破壊していた。


 この世の終わり──初めて視た新しい天使の攻撃に侑弥は身震いを起こすも、助けを乞うように命運の方へと視線を移した。


 しかし、彼女は動かなかった。

 手が、石のように硬まっていた。

 決心が、揺らごうとしていた。

 あの時の、切り刻まれた時の恐怖がフラッシュバックする。

 戦えるはずなのに、迷いはないはずなのに、戦うと約束したはずなのに。

 徐々に両脚も石のように動かなくなり、小刻みに揺れる瞳は天を仰いだ。

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