見えていなかったもの

 ローラーに乗る鈴香のそばには彼女の両親の姿があった。鈴香がレースでちゃんと力を出せるように、色々と準備をして助けてあげている。

 いぶきの場合は、チームの監督がいつもそうした準備をしてくれていた。

 何か、当たり前のように思っていたけど、はたから見れば、1つのチームとして力を合わせて戦っているように見えた。


 会場には帽子をかぶった役員や、字の書かれたチョッキのようなものを着た係の人たちがたくさんいた。

 スタートゴール地点で働く人、コースのあちこちで働く人、本部の建物の中で働く人、などなど。

 いぶきが転んだ時にすぐに来てくれた救護きゅうごの人達も大会にいなければ、あぶなくてレースはできない。


 写真をとる事を仕事にしている人もいるし、ピットと呼ばれる場所で、飲み物を渡したりこわれた部品を交換こうかんしたりする人もいる。

 いぶきは今回、観客の中の1人になっていたけれど、観客もレースを支える大切な一員だ。


 自分が走っているレースをこんなふうに見るのは初めてだ。いったいどんな感じなんだろう?


 鈴香は圧倒的あっとうてきに強かった。

 最初から付いていける人がいなくて、ずっと独走どくそうで、後ろとはどんどんタイム差が開いていったけど、鈴香は力をゆるめなかった。

 自分自身と戦っているように全力でゴールまでける姿はすごくカッコよかった。

 きそう相手がいないのに、こんなに真剣しんけんに走るんだ、とびっくりした。


 もしも走ってる私を私が見たらどう思うかな? 鈴香みたく真剣っていうよりは、もっと感情で走っているような気がする。遊びの延長えんちょうみたいな感じで。調子に乗ってる時は良くても、きっとまだまだ真剣さが足りないなって思う。


 鈴香の真剣さと同じくらいにびっくりしたのは、後ろの選手たちの頑張っている姿だった。

 1位をあらそう選手だけが頑張ってるんじゃない。正直しょうじき言ってこれまで、自分たちからすごく遅れている選手たちに目を向けた事はなかった。

 レースでは優勝する事だけに価値かちがあるのではないと思った。それぞれの選手たちが懸命けんめいに何かと戦っている。こんなに頑張っている選手たち1人1人に拍手を送りたくなった。


 走れない自分。くやしさと、選手たちから感じる何かが重なって涙がでた。

 走りたい。

 彼女たちと同じ場所で一緒に頑張りたい。


 レース会場に来た時に、ここは自分の居場所いばしょだって感じたけれど、ただここにいるっていうだけではゆるせない。

 私は観客じゃない。私は選手。


 会場で多くの人たちに声をかけてもらった。

「しっかりケガをなおして早くもどってきてね」と。

 嬉しかった。自分を待っていてくれる人達がいる。


 🐝


 表彰式ひょうしょうしきが終わった。いぶきはとても晴れやかな顔をしていた。


「帰ろっか」

 いぶきはそう言って父親に向けて顔を上げると、いっぴきのミツバチが目に入った。

 ブ〜ンブ〜ン。

「あ! ミツバチ!」

 思わず声が出た。


「そう言えば、この会場の近くに小さなミツバチ農園のうえんがあるんじゃなかったかな?」

 父親が意外な事を言った。


「え⁉︎ 本当? そんなものがあるの? ミツバチがいっぱいいるのかな? 行ってみたい! 父さん、連れてって。お願い!」


「おやおや。いぶきがミツバチ農園に興味きょうみがあるなんて思ってもみなかった。実は父さん、昔ミツバチの本を読んだ時からミツバチがすごく好きになってね。それでちょっと行ってみたいって思ってたんだよ」


「わーい! 行こう行こう! 父さん、だ〜い好き!」


 駐車場に急ぐ2人のかげは楽しそうに見えた。

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