いなくなった東先生

 いぶきが待ちに待った日曜日がやってきた。

 この1週間、いぶきはとても頑張った。リハビリの時間以外にも一生懸命いっしょうけんめい自主じしゅトレをした。

 膝を曲げる練習やふとももに力を入れる練習、足の指を動かす練習などをたくさんやって、1週間前よりもずいぶん出来るようになった。

 車いすにも自分で乗って、こげるようになった。

 東先生にそれを見てほめてほしかったし、友達ができた事も伝えたかった。


 いつもは10時ころに来てくれるのに、その日はなかなか来てくれない。もうすぐお昼になってしまう。

 いぶきは車いすに乗って看護師さんのいるナースセンターに行ってみた。


 日曜日の病院は、なんとなくのんびりとしている感じがする。看護師さんの数もいつもより少ない。

 いぶきは思い切って一番話しやすい看護師さんに声をかけてみた。


「すみません。今日は東先生はお休みなんですか?」


 看護師さんは不思議そうな顔をしてやってきて、いぶきのとなりにしゃがんで目の高さを合わせてくれた。


「東先生って誰かしら?」


「リハビリの先生です。いつも日曜日に来てくれる‥‥‥」


 いぶきがそう言うと、看護師さんは困った顔をした。

「東先生なんていませんよ。それに日曜日はリハビリはお休みだし。いぶきちゃん、変な夢でも見たのかな?」


 いぶきは大きく首を横にふった。

「先週も、先々週も来てくれました。イケメンの男の先生で。あ、そうそう、いつもミツバチの靴下をはいてる‥‥‥」


 看護師さんの顔がこわばった。

「え? いぶきちゃん‥‥‥」


「え?」

 看護師さんの顔を見て、いぶきはイヤな予感よかんがした。そのまま次の言葉を待った。


「ミツバチの靴下をはいた東先生を見たの? 東先生の事はここに入院する前から知っているの?」


「手術してしばらくしてから初めて会いました。その後もう1回リハビリに来てくれた」


 看護師さんは優しくいぶきの両手を握った。

こわがらないで聞いてね。ミツバチの靴下をはいた東先生は以前ここで働いていたけど、3年前にくなりました。怖がらなくて大丈夫よ。

 全身麻酔ぜんしんますいから目覚めざめた患者かんじゃさんは、そういう夢を見る事が多いのよ。すごく現実げんじつっぽいリアルな夢を。

 どうして夢に東先生が出てきたかは分からないけど、いぶきちゃんが忘れちゃってるだけで、どこかで会ってたかもしれないし、夢って不思議なものだからね。

 でも、怖いよね。ベッドでちょっと休みましょう。私が一緒に付いていくから」


 ぼうぜんとして固まっているいぶき。涙がツッとほほを伝った。


 その時、何かの気配けはいがして、いぶきは窓の外に目を向けた。

 いっぴきのミツバチがブーンブーンと飛んでいるような気がした。


「ごめんね。怖がらせちゃったかな」

 あのいつもの優しい声がした。


「いいえ。大丈夫!」

 いぶきの顔がパッと明るくなった。涙は止まらないけれど、いぶきは笑っていた。


「先生がいないなんて‥‥‥。でも私はぜんぜん怖くなんかない。

 夢の中だったのかもしれないけど、私はすごく嬉しかったし楽しかったし、大切な事をたくさん教わった。東先生、ミーヤ、本当にありがとう。

 私、大丈夫です。ひとりで病室にもどれます」


 いぶきは車いすをこぎ出した。怖くなんかないのに、悲しくなんかないのに、なぜだか涙はいつまでも止まらない。

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