「おい、あれを見ろ」

「おい、あれを見ろ」


 ローゼンヴァッフェが言った。クリスピンとハーマンは彼が指し示している背後を顧みた。

 強制収容所がある火山の中腹。そこからは外輪山を越してイシュラーバードの街が見えた。夜目の呪文により視界は色を失っていたが、遠くで小さな光が揺れている。暗い夜空へ向けて煙が立ちのぼっているようにも見えた。


「なんでしょう。火事かな」


 言ったのはハーマンだ。


「わからん」


 とローゼンヴァッフェ。


「モサラめ。火付けをしろなどとは命じていないぞ」


 クリスピンが表情を曇らせる。彼はたしかにモサラたちにイシュラーバードで騒動を起こせと頼んだ。が、それにより無用な怪我人が出てはまずい。

 三人はすでに収容所のかなり近くまできていた。したがって、いまさら街へ戻るわけにはゆかない。もうノア奪還の計画は動き出しているのだ。ついさきほど、彼らは下山する数十騎の一群とすれちがった。岩陰に隠れてやり過ごしたあれが、陽動におびき出された収容所の警備隊にちがいなかった。ノアの話によれば警備隊員は総勢でおよそ五十人前後ということだ。となればその数をかなり減らすことができた。首尾は上々といえよう。

 とにかくモサラたちには、やりすぎないことを願うしかなかった。ふたたび三人は収容所への道のりを進みはじめた。

 岩山の上に聳える強制収容所へつながる踏み分けられた山道を登ると、やがて正門が見えてきた。そこには高い石壁の切れ目に丸太を組んだ門が据えられていたが、いまは開いている。おかげで敷地内を垣間見ることが可能だ。三人はしばらく離れた場所から収容所の正面口を観察した。あたりはゴツゴツとした岩がところどころで隆起し、隠れる場所には事欠かない。


「詰所がある……見張りがいるな」


 とクリスピン。


「監視塔にもひとりいます」


 ハーマンが正門のすぐそばにある櫓に人影を見つけてそう言った。彼の隣にいるローゼンヴァッフェは正門から見える奥に目を凝らした。


「北側のいちばん大きな建物が主棟だろう。そして手前にあるのが官舎だな。あそこにはランガー総督がいるはずだ。くれぐれも奴には気をつけろ」

「くどい。それは何度も聞いた」


 ローゼンヴァッフェの忠告にクリスピンはうんざりした様子で応じた。


「魔術師をあなどるな。もしランガーに見つかったら、逃げろ。それしか手立てはないぞ」

「なら、見つからなければいいだろう」


 クリスピンは楽観的だ。というよりも、彼はどんなときも余裕がある姿勢を崩さない。そこが気にくわないローゼンヴァッフェは鼻を鳴らしてクリスピンから目をそらした。このふたり、どうやら完全に水と油の関係となったようである。

 問題は、どうやって強制収容所のなかへ潜り込むかだった。ノアのときは裏手の高い塀を乗り越える手段を講じたが、いかんせん時間をとられる。さいわい、いまは正門が開いていた。なので今回は危険を伴うが〝透明化〟の呪文を使って正面を突破することにした。いずれ警備隊が戻ってくる。その前に囚われているノアとドワーフたちを収容所から連れ出さねばならないのだ。

 ローゼンヴァッフェが腰帯の小袋から魔術の触媒を取り出した。〝透明化〟の触媒はアラビアゴムで作ったつけまつげ。それを握りしめたローゼンヴァッフェは、空いているほうの手で印契を結ぶと呪文を口にした。そして傍らにいるクリスピンとハーマンへ、順に触れる。最後にローゼンヴァッフェが自分にも透明化を施すと、その場にいた全員の姿がきれいさっぱり消失した。


「うわっ、ほんとに消えてる! ぜんぜん見えませんよこれ」


 他人はおろか、自分の姿が消えていることにハーマンが驚く。さすがのクリスピンもこれには目を瞠った。


「この透明化は、時間にしてどのくらい効果がつづくんだ」

「ヘマをしなければ、朝までは充分に持つ。だが、近くにいる者の注意を引いた瞬間に術は解ける。魔術の素となるエーテルは人の思念に敏感だからな。注視されたり、存在を気取られるのは避けろ。まちがっても誰かを攻撃しようなどとはするなよ」


 とローゼンヴァッフェ。

 透明化は潜入にはもってこいの常套手段だ。しかし複数で行動する場合、仲間の姿が見えないところに若干の欠点がある。三人はクリスピンを先頭に、ローゼンヴァッフェ、ハーマンとつづき、後ろのふたりは前の者の背に手をあてて収容所の正面口へと向かった。足音を立てないように、静かに歩いて門をくぐる。正門の詰所には二名の警備隊員がいた。しかし、まるで彼らには気づかない。強制収容所の敷地内はところどころで篝火が焚かれてはいるが、人の姿はほとんどなかった。クリスピンたちはそのまま官舎の前を通りすぎ、主棟へとたどり着いた。

 三人は主棟の裏へ回り、裏口からなかへ入った。ここは一階に共用設備と職員の宿舎があり、二階に上級職員の個室とドワーフの監房、そして三階全体が人間用の監獄となっている。詳細な間取りが不明なため、慎重に進んだ。この計画に際しては、念話石を通じてノアからできるだけ収容所の情報を伝えてもらったが、彼の入り込めない場所は知りようがなかった。

 やはりイシュラーバードでモサラたちが起こした騒動は、こちらに伝わっているようだ。主棟の一階では真夜中だというのに人の動きが活発だった。三人はできるだけ人のいるところを避け、ノアの居所を探した。その最中、差しかかった廊下の途中に上り階段を見つけた。二階へとあがる。すると廊下が左右にのびている。右はまっ暗で個室の扉が並び、左は途中で鉄格子によって行く手を阻まれていた。おそらくその先がドワーフの監房だ。手前にある部屋の扉が少し開いており、明かりが漏れているのが見える。


「おれに任せろ」


 ローゼンヴァッフェは言うと、クリスピンとハーマンを残して鉄格子の手前の部屋へ向かった。予想どおり、そこは牢番の使う部屋だった。年老いた男性がひとり、椅子に座って背を丸めてうたた寝をしていた。

 ローゼンヴァッフェは腰帯の小袋へ指を差し入れながら扉を大きく開いた。蝶番が軋み牢番の男が目を覚ます。寝ぼけた彼が戸口に目をやると同時に、ローゼンヴァッフェの透明化が解かれた。しかし老人はすぐにふたたび眠りへと落ちる。ローゼンヴァッフェによって〝睡眠〟の呪文をかけられたのだ。

 クリスピンとハーマンが牢番の部屋へやってくると、ローゼンヴァッフェはふたりの透明化も解除した。ここまで入り込めばもう必要はない。そして彼は壁の金具に引っかけてあった鍵束を取ると、クリスピンへ放り投げる。クリスピンが受け取ったそれには、金輪に何十本もの鍵が繋げられていた。


「こいつは?」

「たぶん三階にある牢の鍵だ。上はおまえたちに任せる。おれは二階の牢を開ける」


 三人はふた手に分かれて、囚われの者たちを解放しにかかった。

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