総督府にはモサラたちが

 総督府にはモサラたちが入り込んできたのとは別に、もうひとつ地下室があった。ランガー総督のワイン蔵である。手狭なそこでは枕木の上で横に寝かせた樽がずらりと並んでいる。いまもし明かりがあれば、たくさんの樽を二段に重ねた列のあいだに人影が見えたろう。ふたりだ。どちらも四角張った体型のドワーフである。

 片方が樽のダボ栓を抜いて、くんくんと内の匂いを嗅いだ。


「おえっ、これもワインだ」


 モサラの部下であるドワーフはそう言って顔をしかめた。


「ちくしょう、エール酒はねえのかよ。葡萄で作った酒なんか飲めるか、気色悪い!」


 言って、もうひとりが近くにあった樽の鏡板に手斧を叩きつけた。楢の木で作られた板に穴が開いて、中身が石床へ流れ出る。するとあたりには白ワインの芳醇な香りが立ちこめた。

 大陸の北方に版図を広げるマグナスレーベン帝国では、南部でもワイン生産の北限を越えている。ゆえに帝国では穀類の蒸留酒が親しまれる。だがランガー総督はイシュラーバードへ赴任してから、南方の葡萄酒を口にしていたく気に入っていた。自分専用のワイン蔵を設けるほどに。寒暖の差が激しいイシュラーバードはワインの長期熟成に適さないが、このワイン蔵は魔術によってほのかに暖かく、湿度も貯蔵に適した環境に調えられているという念の入れようだった。


「もういい。上へ戻ろうぜ。ほかの奴らがなにか見つけたかもしれない」


 手斧を持つドワーフが酒で嗄れた声でそう言った。

 総督府の職員を人質として立て籠もったモサラたちだったが、強制収容所から警備隊がやってくるまでには予想以上の時間がかかっていた。そこで彼らは、金目のものでもないかと総督府内を家捜している最中なのだ。が、取り立てて価値のありそうなものは見つからなかった。それもそのはずで、単なる僻地の監督府に高価な財貨などが置いてあるはずもない。もしあったとしても、そういったものは強制収容所のほうでランガーによって個人的に保管されている。彼は邪推深い男だった。自分以外を信用するなど、決してないのだ。

 地下蔵へやってきたふたりのドワーフは酒をあきらめ、上階へ昇る階段へと向かった。樽の列にはさまれた狭い通路を歩く。と、先にいたほうが急に立ち止まった。

 不思議なものが見えた。

 ドワーフの目は暗闇を見通せる。行く手から、なにかが宙を漂ってくる。まっすぐこちらへ向けて。

 ふわふわと浮かんでいるのは、人の頭ほどの大きさをした丸い球体だった。


「なんだ? どうした?」


 後ろのドワーフが仲間の肩越しに訊ねた。その瞬間、球体がシャボン玉みたいに弾けて割れた。前にいたドワーフの目の前だった。彼は顔面になんらかの液体がふりかかるのを感じた。つづいて顔全体が猛烈な痛みに襲われた。ドワーフがまともに浴びたのは、強酸の飛沫である。途端に悲鳴をあげた彼は蹲り、その場でのたうちはじめる。

 もうひとりのドワーフはわけがわからない。狂乱したように床を転げ回る仲間の顔全体がただれているのを見て、呆然とするばかりだ。突然、その彼の首を誰かが摑んだ。誰かだ。姿は見えなかった。五指が食い込み、ぎりぎりと万力のような力で締めつけてくる。息ができない。ドワーフは誰かの正体を突き止めようと、あたりに目を走らせる。すると前方の暗がりにローブを身にまとった何者かの姿があった。ついさっきまで、この地下室には自分と仲間のドワーフふたりだけだったはずなのに。

 なにかを求めるように片手を差し出しているそいつは、魔術師だ。暗色のローブを着て魔術杖を持っている。苦痛に苛まれるドワーフは、いま離れた場所から念動力で自分の首を締めつけているのが彼の仕業だと推し量った。おそらく、仲間に〝酸の飛沫〟をくらわせたのも。


「盗人風情が。地べたに穴を掘るしか能がないドワーフには、美酒の価値もわかるまい」


 ドワーフにはそのランガー総督の声も遠くに聞こえた。呼吸が止まり脳への血流も減少して、意識が失われつつあった。最後に口から舌を突き出し、カエルが鳴くような声をあげて彼は事切れた。

 総督府の一階ではモサラの指示で配下のドワーフたちがやりたい放題だった。すべての部屋で戸棚を引き倒し、箪笥の抽斗を全部抜いて床に放り投げるといった有様だ。人質が集められた広間にいる総督府の職員たちは、ドワーフの蛮行をただ眺めているしかできなかった。そこへ、地下から上がってきたランガーが姿を現した。


「なんだ、まだひとり残ってたのか」


 ドワーフのひとりがローブ姿の大男に気づいた。彼は人質が身につけている指輪や首飾りなどを強奪している最中だった。両手持ちの戦斧を携えたドワーフは、のそりと広間に入ってきたランガーへ向けて、


「おいおまえ、ここはおれたちが占拠した。ほかの奴らといっしょに──」


 床に座れとでも言いたかったのだろう。しかし、そのドワーフは言葉を紡ぐことができなかった。これから先も、ずっとだ。

 ランガーの杖を持っていないほうの手で印契が結ばれ、そこから火球が放たれた。室内がぱっと明るくなり、飛びゆく火球が人や物の影を影絵のように動かす様は、一瞬だけの奇妙な見世物だった。呪文は術者の熟練度によって威力も変わってくる。ランガーが放ったのは〝火球〟の攻撃呪文だったが、それも熟達者になるとただの炎の塊でなくなる。超高熱のエネルギー球が広間のほぼ中央で爆裂した。狙われたドワーフは瞬時に灰となり、周囲にいた仲間と、あろうことか人質となっている総督府の職員の何人かへも被害が及んだ。

 髪や身体に火がつき、火傷を負った者らがほうぼうで叫びをあげて広間内を逃げ惑う。


「あいつ、魔術師だ!」


 室内の隅にいたドワーフが畏れを込めた声でそう言った。不運である。彼はそれによってランガーの注意を引いてしまった。即座にランガーの手から幾本もの輝く〝魔弾〟が撃ち出された。ドワーフは実体を持たぬ力場の矢で身を引き裂かれ、粗い挽肉となった。〝魔弾〟は決して狙いを外さない。それをいちどに十発近く放てる魔術師は、きわめて稀だ。

 騒ぎを聞きつけてほかの場所からもドワーフが集まってきた。のこのこと現れ、広間で雁首を並べる彼らをランガーは呆れた表情で見渡した。


「やれやれ、いったい何匹入り込んだ。このゴキブリの巣は、焼き払わねばならんなあ」


 杖の石突が床を叩いた。ランガーの指が腰帯の小袋へと差し入り、魔術の触媒が取り出される。いまからランガーの唱える呪文には少量の白燐、それに加えて種火が必要だった。

 白燐の塊を目の前へ放ったランガーが呪文の詠唱をはじめる。すると集まったドワーフたちがいっせいにランガーへと襲いかかった。魔術師を倒すには、それが呪文を発動する前に先手を打たねばならない。そうしなければ、自分がやられるのだ。


「総督、おやめください!」


 職員のひとりが懇願したが、魔術で他者を蹂躙することを娯しんでいるランガーの耳には届いていないようだった。彼はランガー総督の冷血漢ぶりをよく知っている。こうなってはもう手遅れだ。それに呪文が成立し、効力を発揮しつつあった。なにか、とてつもない呪文が。

 総督府の職員たちはランガーの呪文から逃れようと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。反対にドワーフたちはランガーのもとへと殺到する。それらがぶつかりあい、場は混乱を極めた。

 大勢が右往左往するただなかで、いきなり炎の奔流が起こった。ランガーが唱えたのは〝火炎旋風〟の呪文だった。ランガーの突き出した左手の先から、灼熱の炎が人々へむけて噴射されている。容赦など微塵もなかった。その火炎流は広間の壁にぶつかると、方々へと向きを変えて室内を灼熱の地獄に変えた。さらに廊下へと火の手は回り、密閉された総督府内をくまなく舐めつくした。すべての窓の鎧戸と、出入口の扉が内部の圧力に耐えきれず吹き飛ぶ。しかし炎の舌はまだ飽き足らないのか、総督府の窓という窓からイシュラーバードの夜の空へ高く立ちのぼり、それを焦がした。

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