隙間

昔から、おかしなことがあった。

学校で失くしたノートや、友達のうちで失くしたお気に入りのペン、どこかへ行ってしまったぬいぐるみ、そういったものが、隙間から飛び出してくるのだ。

どこと決まった場所はなく、箪笥たんすと壁の隙間だったり、ベッドの下の隙間だったり、隙間であればどこからでも。

失くすのはいつも大切なもので、失くしたと分かる度悲観に暮れ、また厳しい母に叱られたりしたものだから、出てきたときの喜びも一入ひとしおだ。

きっとこれは、うっかりな私を見かねた神様が探してきてくれたのだと、無邪気に感謝した。

もちろん少しは気味悪がる気持ちもあったが、失せ物が戻るのに悪い道理なんてない。


この奇妙な現象は私が大人になっても続き、いつの間にやら私にとってそれは当たり前のこととなっていた。

ものをなくしても、きっと隙間の神様が見つけてきてくれるだろう。

そんな風に変な確信を持っては、裏切られたことも幾度かある。

どうやら隙間は、全ての失くし物を私の元へ返してくれるわけではないらしい。

具体的に言うと、現金や衣類、それから宝飾類なんかは失くしたまま戻らない。

どこかに置き忘れたブランド物のバッグは、結局戻って来なかった。


うっかりな私は相変わらず失くしものが多かったが、隙間に助けられながらなんとか生活していた。

大学を出てそこそこ大手の総合出版社に就職し、キャリアを積む20代前半。

その頃出会ったのが今の夫だ。

打ち合わせによく使うカフェでアルバイトをしていた、年下の可愛い男の子。

当時まだ学生だった彼の熱烈なアプローチを受け、私たちはめでたく付き合うことになった。

そして、彼の卒業と就職を契機に同棲を始める。

犬も飼った。

二人でブリーダーの元を訪ね、引き取った一匹のミニチュアダックスフント。

マロ眉の可愛いブラックカラーだ。


私はまだこのとき、隙間のことを彼に告げていなかった。

どうせすぐには信じられないだろうから、実際見てもらうのが早いと思ったのだ。

しかしそんな時ほど失せ物はなく、隙間の技をご披露する機会はなかなか訪れなかった。

代わりにおかしな行動を取り始めたのが犬だ。

チロと名付けたその犬は、とても大人しくのんびりした性格だったが、ふとした拍子に何もない空間に向かって吠え始める。

ビックリしてなだめても、叱っても、一向に鳴き止まず、それはチロを無理やりその場から離れさせるまで続くのだった。

チロが吠えている方向には何もない。

いや、正確に言うと、チロが吠えている方向にだけ何もない。

チロは、ポッカリと空いた隙間に向かって吠えるのだ。

いつも同じ隙間ではない、昨日はこの隙間、今日はこの隙間、また別の日は別の隙間。


そうこうしているうちに、ある日チロが忽然こつぜんと姿を消した。

どの部屋を探しても見つからない。私たちは焦った。

もしかして、何かの折に外へ出てしまった? 室内飼いで、散歩コース以外を知らないチロは、迷えば簡単には帰って来られないかもしれない。

そもそもあののんびり屋に、野生の帰巣本能なんてものが残っているかが疑問だ。


マンションの掲示板やご近所さんに手刷りのビラを配り、ネットで情報を求めた。

しかし数日経ってもチロは戻らない。

一週間、二週間、半月泣き暮らして、私たちは遂にチロを諦めた。


そんな時だった。

同棲中の彼が閉め忘れたトイレのドアの隙間から、チロが飛び出してきたのは。

それは紛うことなくチロだった。少し衰弱しているが、その目は光を失っていなかった。

私は歓喜し、戸惑う彼にこの時初めて隙間のことを話した。

だが説明などしなくても、彼だってチロが現れたところは見ていたのだ。

すぐに、驚きは喜びに変わった。


動物病院でチロに異常がないことも分かり、帰宅した私たち二人は祝杯をあげた。

祝いの最中さなか、彼が言う。


「でも、本当に隙間が失くしたものを取り戻してくれているのかな?」

どういうことだろう。私は首をかしげる。

「それって、神隠しじゃないか? 隙間が見つけてくれるんじゃなくて、隙間はっていったものを返してくれてるだけ、かもしれないじゃないか」


その言葉に私は、背筋が寒くなった。


私には、現在1歳になる子供がいる。可愛い娘だ。

当時彼だった人は夫となり、父となった。

娘は最近、隙間を怖がる。

いつも同じ隙間ではなく、昨日はこの隙間、今日はこの隙間、別の日にはまた別の隙間……。

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