闇に動くもの
あの生き物が一体なんだったのか、俺には今
そいつと出会ったのは夕暮れ過ぎ、丁度空が藍色に塗り替えられてすぐの頃だった。
明るい昼や、完全に闇にまかれた夜と違い、夕刻の世界には境がない。
そこに何があるのか、それとも無いのか、俺たち人間には少しだけ分からなくなる時間帯だ。
テレビゲームで友人に惨敗し機嫌を損ねた当時小学生の俺は、友人宅マンションの駐輪場から乱暴に自転車を引っ張り出していた。
毎日と言って良いほど足繁く通った家だったが、
駐輪場に隣接したゴミ置場からは、なんとも言えない異臭が漂っている。
季節は夏の初めか、それとも終わり頃だったろうか。
じんわり汗を滲ませながら自転車と格闘していると、不意に足首を何か湿ったものがつついた。
「ひゃっ!」
俺は思わず小さな声で叫び、背を
続いて、フサフサした柔らかい毛が足元を
「……ねこ?」
最初はそう思った。
だが、猫の動きにしては少し妙だ。
猫というのは人の足を
足元のフサフサは、どちらかといえば小型犬のように、忙しなく行ったり来たりを繰り返し、湿った鼻か何かを押し当てて来る。
しかし、触れる毛の柔らかさは、どうにも猫のそれなのだ。
これは実際見てみるほかないと、俺は竦んでいた背を伸ばし足元に目を落とした。
丸々とした黒いものがぽんぽん飛び回っている。
何だろう。
余計に分からなくなった。
毛玉の間から金色の目玉だけがギラギラと光り、鼻や口は見当たらない。
瞳孔は猫科や爬虫類を思わせる縦長だ。
足首に感じるような湿り気を帯びた部位は、見たところどこにあるか分からない。
得体の知れない毛玉は、その日から何度も俺の前に姿を現した。
やつが現れるのは決まって日の暮れた駐輪場で、明るい時間に見たことは一度もない。しかし小学生の俺がそれを不審に思うことはなかった。
なぜなら俺は、何度か出会ううちすっかり俺に懐いた毛玉を、可愛く思い始めていたからだ。
そしていつしか、家から持ってきたお菓子や昼食の残りを餌付けするようになっていた。
スナック菓子を、おにぎりを、魚肉ソーセジを、色々なものをやるたび毛玉は少しづつ大きくなった。全身毛に覆われているため口は見えないが、毛の間から取り込まれた食べ物はしっかり毛玉の養分になっているのだろう。
どれだけ育ってもスリスリと俺の手に頭を擦り付ける様子は、とても愛らしかった。
そしてその年の冬、それは起こったのだ。
いつものように友人宅の玄関を出て駐輪場へ向かった俺は、辺りを見回し毛玉を見つけた。
スーパーで買ったポテトチップスの袋を取り出すと、やつはいつものようにすり寄ってくる。
はじめの頃足首にあったじゃれつく感触は、既に腰辺りまで届いていた。毛玉のサイズは大型犬ほどだ。
毛玉にポテチをやっていると、背後に気配を感じた。
「良かった、まだいた。なあ忘れ物」
聞き慣れた声に振り返る。
部屋に忘れた帽子を持ってきてくれたらしい友人、その顔が段々と恐怖に染まってゆくのを、俺は不思議な気持ちで眺めていた。
「なんだよ、そのバケモノ」
俺が覚えているのはここまで。
翌日から友人は学校に来なかった。
いや、元から学校にはいなかったのかもしれない。
なにせ周りの誰も、友人のことを知らなかったのだから。
マンションへ行ってみると、友人の家には知らない家族が住んでいた。
駐輪場の毛玉ともそれきりだ。
俺はあれから、毎日のように遊んだ友人の名を、思い出せないでいる。
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