知りすぎる
あなたが恐怖を覚えるものはなんだろう。
真夜中に鳴るインターホン、少しだけ開いた襖の隙間、風呂で頭を洗っている時の背後、生物は、自分が関知し得ないものに出会った時恐怖を感じると言われている。
しかし逆に、知りすぎているからこその恐れがあることを、私は知っている。
その能力に目覚めたのは、
初めは気のせいだと思った。
初めて行った場所で見たことのある景色、発表されたばかりなのに聞いたことのある曲、そして交わしたことのある会話。
何かストレス性の神経症かと精神科を受診し、薬まで飲んでみたものの、デジャビュは
そしてまたある時から、デジャビュは形を変えた。
一瞬、ほんの少しの間だけ、先に起こるようになったのだ。
一瞬先の出来事がふとした瞬間頭の中に流れ込んでくる、つまり予知能力。
それは全く役に立たない能力だった。
じゃんけんで負けることがなくなったり、少しだけ反射神経が良くなったり、精々その程度である。
何があるか分かっていても、一秒に満たないそんな瞬間では対処のしようがない。
しかも、別に好きな時にデジャビュを起こせるわけではないのだから、有用性など無いようなものだった。
その上この能力は、とんでもない不快を私に運んで来た。
一瞬先が分かるということの意味を正しく理解出来る人は、どれだけいるだろう。
ドアノブに手をかけ開けた瞬間、この先に花束を持った恋人の笑顔があることを予知する。
ただ分かるだけでなく、さも一度体験したことのように、脳が覚えてしまうのだ。
私にサプライズの楽しみはなくなった。
後に残るのは、いかにもサプライズを喜んでいるようにはしゃいで見せる演技力と、虚しさだけ。
私はこの能力のおかげで、息子を二度産んだ。
痛みや苦しみは二倍、喜びや感動は少しばかり色褪せる。そんな初産だった。
それ以外でも、怪我や病気の辛さは、必ず二倍になった。
デジャビュの発動条件は分からないが、何かしらショックを受ける出来事の前に起こるという法則があるようだ。
両親の死さえ、私は二度乗り越えねばならなかった。
息子の結婚式を二度見届け、孫の誕生に二度喜び、最愛の夫の死を二度悲しみ。
そして私は今、子や孫に囲まれた布団の中で、人生の最期を見ている。
これは一度目。
今から私の肺は呼吸をやめ、心臓はその鼓動を停止し、脳は徐々に思考を手放すのだ。
とめどない恐怖。避けようのない運命が目の前にあった。
既に動かなくなった私の体は、恐怖の叫びをあげる
しかし、それら全てを覚えている私だが、そこから先は見ていない。
どんな予知をもってしても、死とは完全なる未知であった。
そのことに少しの安堵感を抱き、また、久しく持てなかった未知へ心躍らせながら、私は全ての機能を停止した。
……ああ、そうか、私はこれからこんな人生を歩むのだ。
その能力に目覚めたのは二十歳を越えてから。
二十歳の私は、一瞬のうちに色を失った世界を見渡し、絶望に打ちひしがれた。
今の私は、現実か? それともデジャビュの中なのだろうか?
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