2023年 5月上旬①

 *


「……中々、■■山に直接結び付く資料がないですよねぇ」

「……そうだなぁ」


 五月上旬、私たちは溜息を吐きながら構内のカフェテラスで報告会を行っていた。■■山、そして青い女に関して調査を開始してから二か月近く過ぎていたが――目に見えて、進捗は滞っていた。

 原因は分かっている。そもそもの話、■■山に直接繋がる情報が少なすぎるのだ。どこにでもある平凡な山。外部から見た■■山はまさにこの通りの場所であり、取り上げている文献は非常に少ない。しかも、青い女に結び付くものともなれば――更に数は減るだろう。


「やっぱり、この手の調査ってフィールドワークが基本ですし、現地に行かないとダメなんですかねぇ」


 地理学、民俗学にはフィールドワークが欠かせないということをよく思い知らされてしまった。直接出向かなければ、最新の生きた情報は得られない。最初に「青い女」が投稿されたのは今から十年以上も前だが、〇〇年代でも文献では比較的に新しい部類の情報だということを考慮すると、行き詰るのは時間の問題だった。


「先輩。やっぱ直接行きませんか?」

「……だから、それはやめといた方がいいって言ってるだろ」

「じゃあ、現地の人に話聞くだけ。寺関係には寄らない。これならどうですか?」

「とにかく、現地に行くのは駄目だ」

「……そうなると、これで調査終了ってことになりませんか?」

「…………」


 佐々木の問いに、言葉が詰まる。

 これで終わり、か。それも悪くない。そもそも、最初から無茶な計画だった。発端はAIが作り出した絵に類似した怪談が存在したというだけの話。こんなものは全て偶然の一致で済まされるのだ。その後の関連した話も、こじつけと言われたらそれまで。全ては電子情報が作り出した幻、私たちはただ、意思のない機械に翻弄されていただけかもしれない。


「……あ」


 そんな考えが脳裏を過った時、佐々木がふと呟いた。


「先輩。なら……〝教授〟に聞きに行くってのはどうですか?」

「教授?」

「矢野教授って知ってます? 俺、去年その人の授業取ってたんですけど、専門が●●県の地理なんですよ。■■山について、何か知ってるかも」


 ――聞き覚えがある名前だった。その教授の授業なら、私も履修したことがある。確かに、彼の授業の内容は●●県に関する地理、歴史だった。アニメの聖地巡礼の話も組み込み、現代の若者にとっても非常に親しみやすい授業だったということは覚えている。


「そう……だな。それなら、いいかも」


 現地には足を踏み入れず、識者から情報を得る。これならば、文献を読むのと何ら変わらない。私の考える〝条件〟からは外れているはずだ。それに、教授ともなれば、私たちのような学生とは比較にならないほどの知識量を誇っているはず。有力な情報を得られる可能性は非常に高いだろう。


「じゃ、決まりですね。開講している授業調べて、突撃しましょうか」



 後日、私は矢野教授を尋ねるために、教室の前で待機していた。そこに佐々木の姿はない。どうやら、彼はこの時間帯のコマは別の授業が入っているらしく、渋々私一人で向かうことになってしまった。

 授業終了時刻の五分前、本来の予定より早く終わったのか、教室から続々と移動する生徒の姿が見え始めた。その人の波に便乗して、教壇の方を確認する。矢野教授が資料を整理している姿が見える。周囲に他の生徒の姿はなく、質問をしようとしている者はいないようだ。

 このタイミングならば、話しかけてもいいだろう。意を決し、私は教室内に足を踏み入れた。


「あの、すみません。少しいいですか?」

「はいはい。何か質問?」

「いえ、授業のことじゃないんですけど。実は自分――」


 私は自分の名、学年、学部を明かし、なるべく失礼のないように、事情を説明する。


「それで、実は■■山について、ちょっと個人的に調べてて……この山に伝わる怪談とか、不思議な話ってご存じですか?」

「■■山? それって、●●区にある?」

「はい。それです」


 さすが教授だ。全国的にはマイナーどころではない山にも関わらず、すぐに場所を特定してしまった。


「うーん。■■山かぁ。確かに、あんまりそういう話は聞かないかなぁ。一応、結構神社とか祠はあって、昔から信仰されてる山なんだけどね。知ってる? 前は名前が違って、●●山って呼ばれてたって」

「はい。それは知ってます」

「でも、そういう宗教的な話が知りたいってわけでもないんでしょ?」

「そう……ですね。はい。どっちかって言うと、宗教学よりは民俗学に近い感じです」


 ■■山には様々な神社や祠が祀られているという話はこちらも既に把握している。しかし、逆に数が多いからこそ、候補を絞り切れないのだ。邪神信仰でもあるなら話は別だが、そんな物騒な神は祀られていない。調べた限りではどの神も全国的に信仰されており、特に不自然な点は見られなかった。


「うーん。■■山。■■山……あぁ、あそこはよく狐火が出るって話はどう?」

「あ、それも一応調べました」


 ■■山は特に稲荷明神の信仰が篤いということも分かっている。過去に、あの山で狐火と遭遇したという体験談も発見した。


「そうかぁ。あとは……」


 矢野教授は一分程度、記憶の断片を探すように唸っていた。やはり、彼でも手掛かりは持っていないのだろうか。諦めていたまさにその時――「あっ」と、何か閃いたような、甲高い声を矢野教授は出した。


「何だったかな……タイトルは忘れちゃったんだけど、■■山が元ネタの小説があったような……」

「小説、ですか?」

「そうそう。登山家が主人公の話なんだけど、その男の過去で■■山の話題が出てくんだよね。で、そこだけ内容がちょっとホラーチックで……作風が違うというか、急に雰囲気が変わるから印象に残ったんだよ」


 小説……体験談やエッセイはこれまであったのだが、完全な小説形式の資料は手に入れたことがなかった。切り口が違うことから、これまで見たことがない情報が記載されているかもしれない。


「それ、どんなタイトルの小説ですか?」

「ちょっと思い出せないんだよね~……そんなに有名ってわけでもないし、読んだのが二十年以上前だから」

「そう……ですか」

「でも、書斎には絶対あるから、また後で調べてみるよ。この授業は取ってる? なら、分かり次第こっちからメール送るけど」

「あ、すみません。実は授業自体は取ってなくて……」

「じゃあ一度、こっちの学内アドレスにメール出してくれる? そっちに後で送るから」

「はい! ありがとうございます!」


 後日、矢野教授から小説のタイトルが記されたメールが送られてきた。幸い、その本は図書館に寄贈されており、すぐに入手することができた。

 小説自体は教授の言う通り、登山家の男が主人公、日本最難関の山を登頂するという物語だった。出版されたのは九〇年代、問題の描写は中盤、主人公がなぜ山に登るようになったのかが語られる場面から始まる。プロフィールでは作者の■■■■氏の出身は私と同じ●●県。一応、完全なフィクション作品ではあるのだが「青い女」関連の話を念頭に置くと――何らかの実体験が含まれているとしか思えない。■■■■氏は小説家としての活動はこの一本のみであり、検索をしてもブログやSNSのアカウントが見つからなかったことから、内容の真偽を確認することは現時点では不可能である。

 また、原稿を読み進めてもらう前に、一つ留意点がある。



 この物語を読むと、貴方の周囲で何らかの不可解な現象が発生する可能性がある。それを了承した方のみ、目を通してもらいたい。


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