5.囲炉裏と、看病と、添い寝

 かたかたと、なにかが風によって揺さぶられる音がする。もうずいぶんと聞き慣れた音だ。不安定に、不規則に木々を揺らす音。家の中を通る隙間風。

 昔から、風の強い日が苦手だった。不安を煽るような木々のざわめきも、宙で渦巻く風の音も、揺れる窓も。夜闇に響く何もかもは、鋭く心にまで入り込んでくるように不安を煽って、こちらが再び眠りにつくのを妨げる。

 ただ、そんな中でパチパチという音が割り込んで聞こえてくる。それと共に、ほのかな暖かさを感じる。

 最低よりはマシだけど、いい目覚めとは言いがたい。体が重い。いまの時間がわからない。頭が回らない。

 いつもより重たく感じる瞼を開ければ、火の光が見えた。

 その隣に、少女がいた。


「……あ、起きたか?」


 木の床をゆっくりと歩いて、彼女は近づいてくる。こちらも体を起こそうとしたが、どうにも力が入らず、うまく体を起こせずにいた。そうしていると、少女がすぐ近くまで駆け寄ってくる。


「無理すんなよ……おやぶん、小屋に帰ってきてすぐに倒れちゃったんだぜ。覚えてるか?」


 確か、そうだった。夜が明けてから、彼女を背負って山小屋まで戻った。包帯を巻いたりした所までは覚えている。

 彼女を村に送り届ける前に、少しだけ休もうとしたところで意識を失ったのだろう。

 昔は徹夜で行動することなんて苦にもならなかった。それがこうして意図せず深い眠りに落ちるだなんて、自分ももう、若くないのかもしれない。


「おやぶん、昨日はおれが寝てる間も、ずっと起きてたんだろ……ありがとな。いま、ご飯あっためるから。少しだけ待っててくれよ。おやぶんがいつ起きてもいいように、囲炉裏も飯も、準備しておいたんだ」


「寒かったのも、あるけどな」とあとから笑って付け足して、それから少女は準備に入り出した。既に準備されていたのであろう鍋を、そのまま囲炉裏の上に容易するだけ。


 さて、一つ問題があった。

 彼女は子分になる、だなんて言っている。流石に面倒を見て貰った村長さんには、家を出るときに断りを入れてきたはずだ。

 そんな彼女を、一日どころか二日も家に帰さなかったのがいまの現状だ。無事に返したとて、何を言われるか少し考えたくはない。

 重たい身体のまま、意識の深くに落としていく。


 彼女は木のお玉で、鍋をかき混ぜる。それから、器に装ってこちらまで持ってきた。


「はい、お待たせ。麦がゆだぞ……色々勝手に使っちゃったけど、そこは勘弁してくれよ。ほら、体だけ起こしてくれればいいからな」


 上体をどうにか起こして、器を受け取ろうと手を伸ばす。が、遠ざけられてしまう。


「おれが食わせてやるからさ、ほら、口開けろよ」


 彼女の中では、もう決定事項であるかのように渡してくれない。問答する気力もなく、されるがままになることを選ぶ。

 匙で器からひと掬い。そのまま差し出されるところで、途中で少女の手が止まる。


「っと。そうだ、これじゃ熱くて食べられないよな」


 彼女は自分の口元に持っていき、「ふー、ふー」と息を拭きかけて、それから、


「ほら、あーん」


 改めて差し出される。この年にもなって、年下の童女からまるで子供のような扱いには流石に照れくさいさを感じる。


「……なんだよ、恥ずかしそうにされるとおれも困るんだけど。ほら、いいから、食え」


 押しつけられる匙の上に乗ったそれを、諦めて口に含む。

 単なる麦の粥だ。それなのに、なぜだか感慨深い。

 そういえば、自分以外が作る料理を食べるのは久しぶりな気がする。

 いや、食事を共にすることはないわけではない。村の人間のほうから、夕餉に誘ってくることはあるのだ。

 その行為は食事が目的と言うよりも、お互いが危険な存在ではないことを示すための、いわば儀式だ。あなたに危害を加えません、なんて共通認識の擦り合わせ。


 結局、いくら歓迎されても余所者は余所者。そこは弁えなければならない。

 ……あるいは、彼女もまた、それを感じてここまで来たのだろうか。

 咀嚼しながら、鈍い頭で考え事をしていれば、少女に不安そうに顔をのぞき込まれる。


「……ど、どうだ? おいしいか?」


 と、恐る恐る尋ねられた。

 暖かいものを食べられる、というのはありがたいことだ。

 よって美味しいと伝えてみれば、少女は照れくさそうに微笑む。


「そ、そうか、ならよかった……へへへ。ほら、もっとあるからな。あーん」


 匙を差し出され、口を開けば入れられ、食べる。差し出され、食べる。その繰り返しの中、彼女は少し自慢げに語る。


「料理はさ、けっこう得意なんだ。ずっとさせられてたから。材料さえあれば、ちょっとした焼き菓子とかも作れるんだぜ。おやぶんも、食べたいものがあったら言ってくれよ。そしたらもっと美味しいもん、食べさせてやるからな」


 いつしか器の中にある粥も食べ終えて、空になっていた。


「よし、全部食べたな。じゃあ、今度はちゃんと眠れよ。眠るまで、おれが見張っててやるから」


 他のことをしないようにと、じっと見張ってくる。信用されてないのか、あるいは何か意図があるのか。

 言われるまでもなく、早々に寝ようとはしていた。それでも自分の意思に反して、中々寝付くことは出来ない。それが風が強い日だからか、隣に人がいるせいかはわからない。


「なあ、まだ、起きてるか……?」


 と、囁くような声量での前置き。

 顔を向ければ、彼女は一つ提案をしてくる。


「眠れないならさ……その、さ。添い寝、してやろうか? ほら、家族が眠れないときには、よくやるものなんだろ。これまでしたこと、ないけどさ」


 添い寝とは何か。

 熱っぽい頭が、上手く言葉を咀嚼し飲み込んでくれなかった。


「……いや、する。関係ない。おやぶんがそんな辛そうにしてるのに、見てるだけなんてできないよ。風邪が移るだとかは、別に気にしなくていいからな。おれ、体が丈夫なのだけが取り柄だから……じゃあ、入るからな」


 と、有無を言わせず布団に潜り込んでくる。

 同じ布団の中にすっぽりと入り、丸まり、それから悪戯っぽく笑っているのが見えた。


「二人で入ると、やっぱりちょっと狭いな」


 左隣の暖かい侵入者を、まあ、しかたないかと受け入れることにした。受け入れる自分に、だいぶ絆されているのだな、と自覚はあった。


 彼女は何をするわけでもなく、さりとて寝入るようなこともなく、隣にいた。

 最初は違和感があったけれど、時間と共に慣れてくる。彼女の規則的な呼吸に、布団が身の動きで擦れる音。それから未だ消えていない囲炉裏の火の音が混ざり合って、脳に溶け込み、眠りを誘う。

 それでも、眠れないままでいる。

 家の外から聞こえる森のざわめきが、心の表面をなぞるが如きそれに、眠りにつくことができないままでいた。

 しっくりとこない身体の位置を合わせようと、目を開いて身体を少し傾かせれば、薄暗闇の中でも隣の少女と確かに目が合う。しっかりと見張られていたようで、少しだけばつが悪い。少女は、くすりと笑ってくる。


「おやぶんはこういう風の強い日は、あんまり好きじゃないのか? ……おれも、こういう日には眠れなくて苦手だから、おそろいだな」


 それから、一つ、話し始める。


「眠れないならさ、何か話していようか? そうすりゃ、少しは気が紛れるかもしれないだろ。眠くなったら、勝手に寝てていいからさ」


 朧気な頭で頷き返せば、彼女は静かに、訥々と、語り出す。


「おれ、ここに来たときには何も持ってこなかったっていったよな。あれ、嘘なんだ……いや、嘘って言うのは大げさか。村から抜け出すときに、焼き菓子を何個か持って来てたんだ。焼き菓子っていっても、小麦を水で溶いて固めたくらいのもの」


 読み聞かせるように語られるそれは、彼女の話だった。


「森を歩いてるときじゃ、草とか、きのことか、色々食べてたなー。で、その合間に持って来てた焼き菓子を少しずつ食べるのが、心の支えだった。おかげで、ずいぶん歩けたんだと思う。我ながら丈夫な体だよね」


 愉快げに語るそれは、話す言葉の軽さほど容易なものではない。

 栄養も、気力も、体力も、あるいはそれまでの人生さえも放り出して歩き続けることは、決して容易なものではなかったはずなのだ。


「でさ、このあたりに来たときにはもう、最後の一つだったんだ。木の根にもたれかかって、それを食べようとしたとき、リスが二匹側に来た。家族だったのかな。それとも、友達だったのかも……それで、小さいその子達がじっと、おれのことを見てきた」


「……おれ、その子達にあげちゃったんだ。別に、あげる必要なんてなかったって分かってるよ。おれが差し出さなくても、そいつらは勝手に生きて、勝手に死ぬんだって。そんなことをしても、単なる自己満足でしかならないって」


「でも、二匹で一生懸命生きているのと、たった一人の私、どっちが食べるべきかって思っちゃって……気づいたら、手から離しちゃってた。すぐにリスに持っていかれちゃったし、私は動けなくてただ、持っていかれるのをぼーっと見ているだけ」


「気づいたら体に力が入らなくて、動けなくなってた。もうどうでもいいやってなっちゃったからかな。それから、ただ、一人で死ぬんだなって……そう諦めた私の前に、誰かさんが来たんだよ」


「……もう、寝ちゃった? それとも、寝たふりかな? ……どっちでもいっか。おやすみ、おやぶん」

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