4.焚き火の前で
パチ、パチ、パチ……と、爆ぜる音が鳴る。
森の中で静かに響くのは、焚き火の音だ。
風は止んでいて、火が燃える音と、虫の声が夜の森によく通っている。
「もう、日、落ちちまったな」
諸々の準備をしていれば、気づけば夜だ。日が落ちるよりも先に、焚き火の準備を出来たのは幸いだった。
空は既に雲が出ていて、このまま夜になれば月明かりも頼ることはできない。相でなくとも、薄暗い夜の森を歩くのは危険が伴う。それも、子一人抱えてとくれば、尚のことだった。
「……その、おれのせいで、悪い。おれが調子乗って、川に入って……足を挫いちまったから、森の中で一晩過ごすことになって……アンタ一人だけなら、日が暮れる帰れたのに、わざわざこうして残ってくれてさ」
隣の少女は膝を抱えたまま、詫びるように話す。
川に飛び込んだために、少女の体も冷えている。日も落ちる間際の夕暮れ時。無理矢理にでも帰ろうとすることと、その場で夜を明かすことを天秤にかけ、後者を選んだのだった。
だから、彼女をここまで連れてきたのはこちらの判断だ。ここに残る判断をしたのもそう。謝罪も礼も言われる必要はないのだが、彼女はずっと気になっていたのだろう、言葉を続ける。
「この上着も、本当に使ってていいのか? ……いや、ダメって言われても、困るけど。下、なんにもつけてないし。おれの服、焚き火に当てても全然乾きそうにないし……でも、いくら風が吹いてない夜つってもさ、アンタも寒いだろ?」
彼女がいま身につけているのは、こちらが着てきた上着一枚だけ。中には何も着ていないが、毛皮を使って作られた分厚いものだから多少は暖かいだろう。
彼女の濡れた服は、焚き火の側に置いて乾かしている。でも、すぐに乾くわけでもない。不便かもしれないけれど、いまはそれで我慢して貰うほかない。
勿論、上着を渡したこちらも多少は肌寒さを感じている。が、罪悪感を感じさせないように、構わないと返せば、「……そっか、気にしなくていいか。わかった、ありがと」と膝を丸めて縮こまる。
今日、出会った時の彼女であれば、こうしてわざわざ問答することもなかっただろう。だが聡い子といえども、子供は子供か。あるいは、体を冷やして心まで落ち込んでいるか。
身に纏わり付く肌寒さも、降りかかる罪悪感も、彼女が自分が撒いた種だと甘んじて受け止めて貰うことしかできない。彼女がこれからどうするかはさておいて、失敗から身につくものもある。
それに、尻拭いは大人のやることだ。親分子分は、ともかくとして。
「あのさ……そっちにいってもいいか? ちょっとくらい体をくっつけてた方が、おれもアンタも、少しくらいは寒さもマシになるだろ? ……ほら、いいから遠慮すんなって」
そして彼女は存外に、立ち直りが早いらしい。調子が急に戻ったように距離を詰めて来る。名案と疑いもしてないみたいに、彼女はこちらの返答を待つことなく、すぐに隣にやって来ていた。
それこそ、肩と肩を並べる距離。
これまでよりも近い距離。だからこそ、彼女がまだ小さい少女であると思わせられた。すぐ側で見ていれば、彼女の肩が少し震えているのが見える。寒さか、あるいは心細さによるものか。
隣にいるくらいはいいかと、そのままにさせておくことにした。
火を熾しているが、獣がやって来る可能性はなくはない。いざという時のためにもこれから自分は起きている予定だが、彼女はまた別だ。
もし眠ければ、気にせず寝てもいいと言ってみると、
「昔から、上手く眠れないんだ。それこそ、前の村にいた頃からも、そこから出たあとも、ずっと。安心できるような場所なんて、どこにもなかったから」
と、答えてくる。
だがそうは言っても、疲労が見える。流石に慣れない山を登り、川で体を冷やしているのだ。疲れが表に出てきて然るべきだろう。
だから、せめてそれくらいはと一つ、提案する。
「肩、貸してくれるのか? ……ありがと。ありがたく使わせて貰うよ」
こちらからの持ちかけをすんなりと受け入れ、躊躇うことなく、彼女は右肩に頭を預けてきた。やはり、疲れが出ていたのだろうか。
自分から何を話すこともなく、彼女もまた何も話さずにいる。
たき火から、爆ぜる音が鳴っている。
服越しに、寄りかかられた場所越しに、熱が伝わる。
いま暖かいと感じる理由は、放たれる熱のものだけではない。
しばらくして、隣から様子をうかがっているような、服の擦れる音がしている。
それから間もなく、彼女は語り始める。
「あのさ、別に……誰でもいいってわけじゃ、ないからな。村の人たちは、優しいよ。でも、おれはおやぶんがいいんだ」
少女は語る。
「おやぶんは、おれと一緒だろ。余所から逃げて、ここまで来た。ほら、一緒だ。だから、信用できる。信用してもいいって、そう思える」
少女は、祈るように語る。
「自由になりたくて村から出たけどさ……おれには持て余すものだって、そう思った。それなら、誰かに身と意思を委ねてしまいたい。それにだよ、おれを拾ったのは、おやぶんだろ。おれがいまも生きているのは、おやぶんのせいだ。ならさ、最後まで責任、とってくれよ」
最後には、縋るような言葉で結ばれた。
それは容易く言葉を返すには重いものだった。
黙っていれば、彼女は懺悔のように言葉を続けた。
「……本当は、こんなこと言うつもり、なかったんだよ。別に、困らせる気はないんだ。ただ、冗談。そう、冗談さ。でもさ、いまのおれには、アンタしかいないからさ……」
それから、ふあ、と間の抜けたような欠伸の音。
「わるい、眠くなってきた……おかしいな、いままで全然眠れなかったはずなのに、何でかな。おやぶんの隣だと……ちゃんと、眠れそうだ」
それから間もなく。
すうすうと、規則正しい寝息が聞こえてきていた。
夜が明けるには、まだ遠い。
闇の中は、余計な考え事をするにはうってつけだ。不穏な考えが向こうから襲ってくる。
自分の人生はこれでよかったのか。
自分の人生はこのままで大丈夫なのか。
自分の人生はこれからどうするべきなのか。
考えても仕方ないことを、夜の闇は運んでくる。
悪魔のような心の囁きも、今はいつもより薄れていた。
隣の寝息に耳を傾けている間、不安が襲ってくることはないらしい。
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