第8話 碧色の君

 泳いでみたり、潜ってみたり、水をかけあったり。誰も来る気配のない朝の海で、光士郎と岬は2人きりの時間をこれでもかと満喫した。

「久々だよ、こんなに海で遊んだの……楽しいな」

「すっごい楽しい!水着とか持ってきてよかった!」

「っと……油断したな、岬!」

 光士郎は岬に向かって、髪まで濡れるほどのたくさん水をかける。

「もう!光士郎、それはずるい!」

 太陽の光と水飛沫の輝きでキラキラと光が舞う中、笑顔で光士郎の方へ振り向く岬の姿は、この世界で一番儚く美しいものなんじゃないかと思うくらい、光士郎は見惚れてしまっていた。そして岩陰まで泳ぎ、本当に2人だけの空間へと移動する。

「あのさ、一緒にいてくれて、本当にありがとう……岬」

「光士郎、俺……」

「言わなくて、いい」

 誰も来る気配のない海、さらに誰も来ないような岩陰で、波の音だけが響く中、光士郎は岬のことを抱きしめ、淡い口づけを交わした。


 海の家が本格的に開く頃、人もまばらに増えてきた頃。光士郎と岬は海の家でシャワーを浴び、水着から着替えて早々と糸魚川に帰ることにした。

「……ねえ、俺たち、この先どうなってるんだろうね」

 糸魚川に向かう電車に揺られながら、岬はぽつりと口に出す。

「変わりゆくことだらけだと思う、特に岬は『女』になって、俺は東京の大学に行って……ただ、その中でも変わらないものはある、蒼佑さんも言ってた通りだよ」

 この答えを待っていた、という顔を岬はしていた。

「そうだね……変わらないもの、変わりゆくもの、どちらも大切にしたい」

 そして、互いに手を握り、糸魚川に着くまで、特に2人の間に会話はなく、ただ車窓に映る景色を見ていた。



++



 やがて糸魚川駅に着き、帰路に着く。夢のように目まぐるしく、楽しかった数日間も終わり、互いの家まで歩きながら、名残惜しさもあるが……またいつもの日常へと戻ってゆく。

「帰ってきちゃったな、俺たちの町に」

「この後は……光士郎も俺もなんだかんだ、夢に向かっていっぱいやらなきゃいけないことあるし、卒業式までは落ち着かないね」

「そうだな、第一志望の大学受かりたいし……不安だけどやるしかない」

 高校3年生の夏、2人にとって糸魚川で過ごす最後の夏。その夏は、一生忘れることのない夏になった。

「しかし、自動改札で引っかかってる光士郎が東京だなんて……大丈夫なのかな」

「う、うるさい!……長岡で覚えたから、もう大丈夫だろ」

「蒼佑さん爆笑してたって、どんな引っかかり方したんだか……全く」

 なんて話をしているうち、そろそろ互いの家に着く頃だ。その道の別れ際、岬は光士郎に問いかける。

「光士郎は、この先俺が『女』になっても……ずっと好きでいてくれますか」

「今までもこれからも、何も俺の気持ちは変わらないよ、岬の姿が変わろうと、何をしようと、岬は岬だ」


 風が吹き、どこかの家の風鈴が鳴った。同時にあの日作った、お揃いの翡翠の石のキーホルダーも碧く光り輝いた。



++



 それから季節は巡り、雪が溶け、やがて色とりどりの花が咲く気配がする3月。今日は……第一志望の大学に無事合格した光士郎が、この町を出て東京へと旅立つ日。

 東京行きの新幹線が来るまでの間、岬と光士郎は2人、ベンチに座り話をしていた。

「光士郎とこうやっていられるのも、今日が最後か……」

「5月の連休に新潟市まで行くから、またすぐ会えるよ」

「絶対来てね、来なかったら……どうしよ」

「お前なあ……お互い指輪しておいて、それ言うのか?」

 卒業式の日、お手製のペアリングを岬が持ってきた時は……本当にびっくりしたのだが、嬉しい気持ちでいっぱいになった。

「ねえ、蒼佑さんにペアリング、つけてるところの写真送っていい?」

「……えぇ!?まあ、蒼佑さんになら……グループチャットで送るか」

 互いに左手を少し前に出し、岬がスマホのカメラのシャッターを押す。どうやらいい写真が撮れたようで、岬は満足そうな顔をして蒼佑にメッセージを送信する。するとすぐに蒼佑から返信が来た。

「わあ!ものすごく素敵……憧れちゃう!そういえば今日だっけ?光士郎くんの上京」

「はい、今糸魚川駅で新幹線待ってるところです」

「落ち着いたら光士郎くんの家、遊びに行きたいな、いい?」

「蒼佑さんならいつでも、またゲームもしたいです!」

「お幸せにね、2人の結婚式は絶対呼んでね?」


 蒼佑からの返信に吹き出しつつ、メッセージのやりとりを終え、岬は伸びをして、ふと思い出したかのように話を始める。

「俺も引越しの準備とかやらなくちゃなあ……あと、学校側との面談も控えてるし」

「面談?」

「うん、ありがたいことに女子学生として受け入れてくれるらしいから、その辺の調整とか、ね」

 岬も岬で志望していた新潟市の専門学校に進学を決め、互いに別の街へ、故郷の糸魚川を離れることになった。故郷から離れる寂しさももちろんあるけれど、それ以上にこの先の未来が楽しみで仕方ない。蒼佑からの紹介で、新潟から通える範囲にある病院にも通うことになるそうで、岬の表情は柔らかいものとなっていた。


 そして、時は来た。

「まもなく、11番線に東京行き、はくたか号……」

 ついに訪れる、しばしの別れの合図。駅に新幹線の到達のアナウンスが鳴り響く。これでお別れなんだな、と現実に引き戻される。

「最後に言わせて、今までもこれからも、ずっと……俺は……光士郎のことが好きだ」

 泣いている岬の手を、ぎゅっと握る。

「泣かなくたって、俺はずっと、岬のこと愛してるよ」


 新幹線のドアが開く。光士郎は岬に泣くなと言いつつ、自分はボロボロと涙をこぼしながら、東京行きの新幹線に乗り込んだ。

「発車します、ご注意ください」

 機械的な車掌の声が鳴り響く。そして新幹線のドアは閉まる。岬は大きく手を振りながら、大泣きしながら光士郎を見送る。

「光士郎!!絶対、俺も光士郎も夢、叶えような!!約束!!」

 叫ぶかのように聞こえてくる岬の声。ちゃんと聞こえているよ、と言わんばかりに光士郎も手を振る。

 お互いぐちゃぐちゃに泣いているけれど、未来はきっと明るくなるはず。これから向かう東京の空はどんな色をしているのだろうか、次に岬に会う日にはどんな土産話ができるのか。未来ではどんな景色に出会えるのだろうか。


 そんなことを考えながら、思い出を胸に、光士郎は東京へと旅立った。


 翡翠の石のキーホルダーがまた、キラリと光る。まるで、美しく咲く碧色の君がいつだって、そばにいるかのように。




「美しく咲く碧色」 完

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美しく咲く碧色 マシロ @mkrn_pm

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