第23話 この町のブラックホールへ
「おいっ、黒須、なにをボケッとしてるんだ?授業中だぞ」
「あっ、すいません」
担任の杉山田先生に注意され、僕は我に返った。窓際の自分の席から窓の外のうららかな春の景色を見ているうちに、ついボーッとしてしまったのです。
もう4月も半ばが過ぎた。僕は6年生になっていた。まわりのみんなはもうすっかり最高学年としての自覚を身にまとっているように見えた。でも、僕はまだ5年生の冬をひきずったままでいた。最高に楽しかった冬を……。
流れ星を見たあの夜以来、トミ丸君もアギト君もガールジェシカちゃんも、忽然と姿を消してしまった。まるで神隠しにでもあったみたいに忽然と……。
もちろん僕は探し回った。でも、どこにもいなかった。トミ丸君の家があったあの場所には、地下深くまで時間貸しの核シェルター屋さんが営業していて、受付の人に聞いたら、生物戦後に現政権に変わってからはずっとここにあると言われた。ここに地下城がなかったか聞いたら笑われた。
第二小の名簿も調べてみたけど、アギト君とガールジェシカちゃんの名前は載ってなかった。
(── いったいみんなはどこへ行っちゃったんだろう)
僕は毎日毎日そのことだけを考えて過ごした。学校が終わるといつも、あてどもなく町の中を彷徨い歩いた。なぜいなくなってしまったのかなんてどうでもよかった。とにかくみんなにもう一度会いたい。ただそれだけだった……。
そんな日々がつづいた4月のある夜。
僕は家でひとり、ボーっとしたままテレビを観ていた。外では春の嵐がうなりをあげている。時折横殴りの雨が窓にたたきつけるようにぶつかる激しい音がした。情報量の多さに少し疲れてしまった僕は、そのまま仰向けに寝そべった。
大きなため息を天井に向かってつく。
テレビからはにぎやかな音が聞こえつづける。笑い声、拍手、音楽、そして鈴の音……。
(ん⁇ 鈴の音⁇ )
たしかに僕は今、鈴の音を耳にした。それも聞き覚えのある鈴の音だ。
急いでテレビの音量を下げる。
シャリーン、シャリーン。
(やっぱり聞こえる。この音は、まさか、クロ丸……)
シャリーン、シャリーン、シャリーン。
鈴の音は鳴り止まない。どうやら音は玄関のほうからのようだ。僕は跳ね起きてそちらへと飛んでいく。
ドアの外にでると強い風が雨とともに僕の顔にぶつかってきた。手で遮るようにしてなんとか
でも、そこにはいなかった。
(なんだ……、気のせいか……)
がっかりして家の中へ戻ろうとしたそのとき、またしても鈴の音が、近くで。なんと、表札のところにクロ丸がいつもつけていたあの赤い首輪がかかっていたのです。風に揺られて鈴が鳴っていたみたいだ。迷子カプセルもついてる。
僕は何も考えずに迷子カプセルの中身を確認してみた。中には小さく折り畳まれた紙切れが入っている。僕は強い風にまけないように踏ん張りながら、紙を広げてみる。
そこには『アル・マーズにて待つ』とだけ書いてあった。
その文字はどことなく僕の書く字に似ている。もちろん書いた覚えなんてない。
── アル・マーズにて待つ。
少しの間、そのメッセージについて考えていた僕は、ハッと、あることを思い出した。それは事件の時に暗号文解読作業をしていた際にみつけたある事実だった。
公園でマウンドに見立てているマンホールが全天星座図ではちょうど、アル・マーズにあたっていたということだった。
(きっと、あそこのことだ!)
いったい誰が待っているのかもわからないまま、僕はマンションの外に飛び出すと、暗い嵐の夜の中を公園まで突っ走った。もしかしたらみんなに会えるかもしれないという淡い期待が僕の背中を押す。
(もう一度だけでもみんなに会いたい)
その思いだけを胸に、とにかく僕は走る。
走り続けてずぶ濡れになりながらも、何とか公園までたどり着くことができた。公園の入り口では風が渦を巻いている。まるで巨大な深海魚が口をぱっくり開けてこちらを向いているように見える。僕はその中に突っ込んでいく。並木道の木の枝がワサワサと音を立てる。街路灯は全部がチカチカと不規則に点滅している。
なんだかすごく不安になってくる。
オブジェの横を通り過ぎる。見ると、また数が増えている。新しく正十二面体のオブジェが加わっていたのです。『宇宙そのもの』という文字が大きく刻まれている。
僕にはもうなにがなんだか全くわからなかった。これから何が起ころうとしてるんだろうか。先を読むことさえ怖いくらいだ。
広場までたどり着くと、マンホールの上に白い大きな綿菓子のようなものが立っているのが見えた。そのすぐそばまで駆け寄る。
── そこで僕は目を丸くした。
なんと、その正体はアヒルだった。アヒルが二本足で立ったまま、くちばしを背中の羽毛にうずめて丸くなって眠っていた。
「アヒル!アヒルじゃないか!今までどこに行ってたんだよ。心配してたんだよ」
僕は大きな声でそう言った。口の中に雨粒がいくつも飛び込んでくる。
アヒルは僕の声がまるで聞こえないのか、綿菓子のような姿勢のまま、ピクリとも動かない。僕がアヒルに気づかせようと、さらに近づいたそのときだった。
背後から僕のよく知ってる声が聞こえてきた。
「この町のブラックホールへようこそ」
声に反応して振り返った僕は腰を抜かしそうになった。
なんと僕に姿形がそっくりな少年が立っていたのです。瞬間、少年の背後の暗い空で稲妻が走り、雷鳴が轟いた。
「驚いたかい?」と、その少年は僕にそっくりの声で言った。まるで録画した自分を見ているような気分だ。嵐の中だというのに、その少年はまったく濡れていなかったし強い風の抵抗もまったく受けていない。
僕は言葉を失ったままマンホールの上で固まってしまった。
少年が「結論から言うね」と言って、一歩僕に近づいてくる。「残念だけどキミが探している三人はもうどこにもいないよ」
少年のその言葉に僕の体の力がすっと抜けた気がした。雨の音がすごく遠ざかったように聞こえる。いったいこの少年は何の根拠があってそんなことを言うんだろうか。
「いったい君は誰なんだよ」と僕は大声で言った。
少年はニヤつきながら、何かを考えたあとで、「ぼくは、言うなれば『キミの未来の可能性』ってとこかな」と言い、こちらの目をじっと見た。
「未来の可能性?意味がわからないよ」
「キミの三人の友達もその一部さ。みんなキミの脳がキミのためにつくり出したんだよ」
「僕の脳が⁉」
話がメチャクチャだ。
「そうさ、そのとおりさ」と少年はまた一歩近づいてくる。そして一方的に話をつづけた。
「人間は視覚も聴覚も嗅覚も、その他、知覚という知覚全てを脳に支配されているんだ。はっきり言って想像の斜め上いくくらいに
「ああ、覚えてるよ」と僕は答える。
あの日のことははっきりと覚えている。『大寒の日』だったあの日、僕はナックルボールの練習中にアヒルの信じられないくらい大きな鳴き声を聞き、脳が揺さぶられたような感覚に襲われたあと、目の前が真っ暗になった。そして深い穴の中に落っこちていくような感覚があって、びっくりして目をこすると、元の公園の景色に戻り、僕の投げたボールがブラックホールジャイロの変化をした。だからといって、それらのことがいったいなんだと、彼は言いたいのだろうか。
雨も風もいっそう強まり、とてつもない大嵐になってきた。立っているのがやっとだけど負けずに立つ。
それでもまったく影響受けていない様子の少年は、僕があの日のことを思いだし終えた頃を見計らって、一度咳払いしてから、涼しげに話し始めた。
「いいかい、あのとき、キミは眠っていた脳の力を目覚めさせたのさ。人間は普通、脳の本来持っている力の百万分の一程度しか利用できていないんだ。すごくもったいないことだけどね。だけどあのときキミは、生物兵器として鳴き声で人間の脳にダメージを与えるべく開発中に脱走したアヒルの破壊的な鳴き声によって、化学反応が起き、脳の力を最大限利用できるようになったんだ。その結果、キミの脳が、殻に閉じこもっていたキミのために未来の可能性を見せてくれたんだよ。だから、キミの三人の友達も、そしてぼくも、脳がつくりだした存在なんだよ。どう?わかってもらえたかな」
少年が一言しゃべるごとに、まるで勝手にうなずくかのように僕の脳が震えた。それがすごく嫌だった。
だから僕は相手の嘘を見破る手がかりを見つけようとした。
「じゃあ、公園のオブジェが増えたことも?」
「ああ、あれね。あれはぼくのイタズラだよ。もちろんキミの脳には許可をもらったよ。いきなりたくさんの友達ができたり、ぼくが現れたりしたらきっとびっくりしすぎちゃうと思ったから、
少年は意地の悪い笑みを浮かべた。僕もこんなふうな顔をするときがあるんだろうか。あったらやだ。
「じゃあ、あのゆうかい事件は?」
「あの事件のこと?あの事件の犯人はね、おどろくなかれ、実はキミのピッチングコーチであるアヒルなんだ」
「アヒルが⁉」
(そんなばかな……、到底信じられない)
僕はすぐそばにいるはずのアヒルのほうを向く。
── いたはずのアヒルがいない。
「上を見てごらんよ」という少年の声に、僕は上を向く。そしてそこで衝撃的なものを目の当たりにした。
なんと、アヒルが空を飛んでいたのです。
飛べないはずのアヒルが、空を……。
アヒルは羽をはばたかせ、嵐の中を悠然と舞っている。
(いったいなにがどうなっているんだ……)
僕はひどく混乱した。そんな僕をあざ笑うかのように少年が口を開く。
「キミがアヒルにいつまでも名前をつけてあげないから、ぼくがつけてあげといたよ。キミの好きな星、シリウスの固有名ポラリスからとってポラ太郎。どう?いい名前でしょ」
それに対して僕は何も答えないでいた。少年はケタケタと笑いつづけている。たぶんペテンにかけられてるんだと思った。第一、アヒルがどうやってヤマモトモウタをゆうかいしたというんだ。できっこない。今こうして空を飛んでるのだって、何か新しいイリュージョンみたいなもので、きっとどこかにタネも仕掛けもあるはずだ。そしてトミ丸君とアギト君とガールジェシカちゃんの三人もきっとどこかにいるはずだ。
── どこかにきっと。
そうじゃなきゃ僕は困る。
三人の笑顔が暗がりに浮かび、それを暴風雨が消し去った。何かが胸の奥からこみ上げてきた。いろいろなものが混ざった感情だった。抑えきれるレベルのものじゃなかった。感情まかせに僕は少年に向かって叫んだ。
「僕の友達を返してくれ!」
精一杯の声だった。出しうる全てを出した。その声は嵐をかいくぐって少年めがけて飛んでいった。
少年はそれを一歩あとずさりながら受け止めると、「おい、おい、ちょっと待ってくれよ」と困惑を顔に浮かべながらこう言った。
「そんなことぼくに言われてもね。すべてはキミの脳がしたことなんだからさ。ともかく、さっきも言ったとおり、あの三人はもうどこにもいないんだよ。いい加減わかってくれよ。ああ、やだやだ、だからこんな役目ぼくは嫌だったんだよ。まるでぼくが悪者みたいじゃないか。誰もキミに真実を教える役目なんてやりたがらないから、しかたなく、ぼくが来たのさ。ねえ、キミは知ってる?真実って、ひとつよりもずっとずっと少ないんだ。だからすごく確かですごく厳しいんだ。ともかく、ぼくはもう伝えられることは全部伝えたから、キミにはもうそろそろ元の世界に戻ってもらうよ」
少年は襟を正し、服装を整えて何もかもを締めくくりにかかろうとしはじめた。
(まだ終わっちゃいない。何も終わっちゃいない)
僕は拳を握る。雨水ごと強く握る。
そして言った。
「元の世界に戻るだって?めちゃくちゃなこと言うなよな。僕は絶対に君の言っていることなんて信じないよ。トミ丸君や、アギト君やガールジェシカちゃんに出会ったこの世界が僕の真実の世界なんだ」
首を強く横に振りながら言い切った。
少年はそんな僕を見て、こりゃダメだという感じで手を広げて肩をすくめたあと、「信じるも信じないもキミの自由さ。だけど、真実は動かせない。重たすぎてね」と言った。
「真実は僕の側にある。友達を取り戻すためならなんだってする」
僕は本気だった。真実と刺し違えてでも、と思った。
少年はあきれ顔だ。
「そうか、そういうことなら好きにしてくれ。ぼくはもうくたびれたよ。ものわかりの悪いキミにね。それじゃあ、最後にひとつだけ、あのゆうかい事件の犯人、つまりポラ太郎からキミへのメッセージを覚えているかい?」
僕は覚えていた。たしか、『ゼッタイに振り返ってはいけない』だったと思う。あのときなんとなくその言葉がひっかかっていた。でも、僕はそれらのことを少年には話さずに、黙ったままにらみつけていた。
雨がさらに激しくなり、大きな滝に打たれている感覚になった。
少年の姿が雨に何度も消される。
「ともかく、その言葉を忘れずにね。それじゃ、いくよ」と、少年は激しい雨の向こう側で言うと、右手を天に向かって高々とあげ、パチンと指を鳴らした。
次の瞬間、僕が立っていたマンホールの鉄の蓋がスッと消え、あっと叫ぶ間もなく僕の体はマンホールの中へと落ちていった。
どこまでも深く……。
下からの風圧を感じた。そしてそのまま、深い闇の中で僕は意識を失った。
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