第5話

 家庭教師の仕事するため、真壁さんの部屋に来た。相変わらず―石けんとバラの香りがする。

「まず、こっちの写真が―昔の僕ね」

 彼女はくまの酷い目をスマートフォンに向ける。

 僕は小学生のころの写真を見せる。わざわざ入れてきたモノだ。

「かわいいぃぃぃ。写真撮ってもいいですか?」

「やめて…恥ずかしいから…」

 過去の写真を見せるというのは―なんかこう、不愉快ではないにしろ、気分がいいものではない。

「へ~。で、センセイってどんなこだったの?なんだか―今みたいに、大人しいの?」

「この頃は―そうでもないかな…。子供の頃にする遊びは一通りやってきたと思うよ。カブトムシ取ったり、潮干狩りとか行ったり…。中休みに―ドッジボールとかしてたしね」

「センセイにも―かわいい時代があったんですね…」

 さすがに今もかわいいとは思わないけれど、過去形にされるのは―いい気分ではない。

「あっ…。今もかわいいですよ。うん。かわいい―かわいい」

「哀れだからって―取って付けたように言うのは、やめてくれ…。そっちの方が惨めだから」

「他に写真とかないの?」

「あまり持ってきてないけど―これとか?」

 家族で熱海に旅行に行ったときの写真を僕は見せた。そこには、若いときの両親と中学生の僕と小学生の玲が移っている。

「へ~。センセイって意外といろんな場所に行ってるんですね。今のセンセイから―熱海とか想像できない。センセイはインドアっぽいもん」

 インドアなのは―事実なので、反論できない。

 なんだか―今日は

「辛辣じゃない?僕に対して…さ」

 マイナス要素の話題ばっかりじゃないか。

「辛辣にもなりますよ…。だって―浮気者なんだから…」

 まだ―完全に誤解を解ききっていないのか…。まぁ、そのつもりで―写真を持ってきたのでいいけれど。

「さっき映ってたのが―妹ね」

「はい?」

「で―こっちが最近、撮った写真」

 今度は、高校生の妹の写真を見せた。桜の木の前で玲はポーズをとっている。

「去年のだけどね…」

「最近じゃないじゃん」

「そうだけど―最後に撮ったのこれしかなくって…。普通―兄妹で写真を撮り合ったりしないしね」

「…。で?どうして妹の写真なんか?わたしの知り合いでもないし…。高校も違うし…」

「昨日、僕と一緒にいた女の子ってこの子でしょって証明にね…」

 小学生の写真を見せたのは、玲と僕が兄妹である証拠をより強化しようと思って持ってきたモノだ。昔の写真と今の写真を見せることで、同一人物だということをよりアピールできる。

「確かに―昨日の子に似てますね…。もしかして―わたしの勘違い?ホントにセンセイの…妹…?」

「昨日から―そう言ってんじゃん」

 彼女は顔が赤くなって、下を向いた。急に我に返ったのだろう。

「その…ごめんなさい…」

「別に…いいよ。こんなこと」

 多少振り回されてしまったけれど―別に僕は構わない。問題なのは―彼女に悪影響を与えてしまったのではないかという方。 

「それよりも―大丈夫?今日のテスト―あんまり点数よくなかったけれど…」

 僕が定期テストの範囲からで出てきそうな問題をピックアップして―それを今、解かせた。

「ここ何日かで―やつれた…よね?」

 この部屋に家庭教師に週2、課外授業を2回、先週だけで4回も会っている。日に日に不健康になっている感じがするのだ。

「いや…勉強してるのは分るんだけど…さ」

 それにしても―だ。それにしても―追い込まれている。追い詰められている。けれど―追い詰められてまで勉強をしても、いいことがない。それは僕がよく分っている。

「ほどほどにしろ…とも、休めとも言わないけれど…。なんと言うか―できないなら、できないでいいよ」

 確かに、家庭教師を降ろされるのはイヤだけれど―彼女の自身とは比べるまでもない。僕は―給料が減るだけだけれど、彼女はもう少し犠牲が大きくなってしまう。精神面の―犠牲が。

 それが浪人して、僕が得た―答え。

「…センセイは―応援してくれないんですか…?」

「もちろん―応援はするけれど…」

 僕も応援している。けれども―それは彼女自身が無理をしなければの話だ。彼女の無理は―目のくまと、言動が必要以上に攻撃的なところからも分ってしまう。

「でも…」

「センセイは―味方だっていったじゃないですか…。絶対に」

「そうだね。だからこうして―息抜きをしてる」

 僕の子供の頃の写真はそういう意味で見せた。彼女を追い詰めないためにも。

「ふ~ん…。センセイ。わたしのこと信じてるとか言ったくせに。わたしがクラス1位を取ったりできないと思ってるんだ…」

「アレは―僕を信じることを信じてるって言うか…」

 浮気していいないことを信じている、と信じている。そういうニュアンスで言った言葉だ。

 けれど―彼女がクラス1位になれるかどうかは、分らない。僕には―分らない。

 あぁ―彼女の言うと通り、僕は彼女を信じていないのか…。

「センセイ…。なにか言ってよ…。黙ってる方が―酷いよ」

「あっと…」

 テストでクラス1位を取るのだって―難しい。だって―今まで努力してきた人が、さらに努力して、その順位を勝ち取るのだから。

「僕は―信じたい…。けど…必ずって言い切れない…。なんというか…こればっかりは―統計とか、合理的思考とか…になってきちゃうから…」

 5位以内とかなら―まだ、余地はある。けれども―トップに入るのは…。運や、相性の問題も出てくる。どんなに勉強しても―不確定要素も出てくる。

「信じたいけど…。絶対が―ないから…」

「そうだけど…。そうだけどさ…」

 目頭に涙がたまっている。僕は―これまで以上に酷いことをしてしまったという自覚もある。

 ―寄り添って欲しいときに、寄り添わなかった。

 それが―残酷だと理解しつつ、回避できなかった。

「もう…いいよ。わたし―ひとりでもやるから」

 残りの授業時間は―僕はなにも教えることができなかった。

 あぁ―家庭教師失格じゃないか。



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