49 静熊神社の神獣たち

 いつも通り、美晴はカバンと買い物袋を持って玄関に立っていた。……制服姿で。

 学校帰りに買い物をして来てくれたのだろう。

 ここで不意に、親父の「通い妻の様子はどうだ?」という言葉が脳裏に蘇った。


 よくよく考えたら、従妹とはいえ毎日のように学校帰りに部屋を訪ねてくるのは問題がある。ハッキリ言ってヤバイ、大問題だ。

 ましてや、買い物をして立ち寄っているのだから、これに気付いた者はさぞかし妄想が捗るだろう。

 現状ではまずあり得ないが、もし夜霧母娘の息子(弟)の部屋に女子学生が毎日通っていると知られれば、大スキャンダルに仕立て上げられかねない。

 まあ、その前に、母さんが手を回しそうな気もするが……


「ん? なんや兄さん、どないしたん? まだどっか調子悪いんか?」

「いや、身体は平気だ。ただ……」


 つい、言葉に詰まる。

 さすがに、何の下心もない親切心で世話を焼いてくれている美晴に、こんな下世話な話を聞かせるのは気が引ける。


「……スマン、何でもない」


 だから早く戻って来てくれと、心の中で雫奈と優佳に祈った。


「あー、なんや、兄さん。今からどっか行くのん?」

「ああ、ちょっと神社にな……」

「せやったら、うてきたもん、置いてくるわ。アタシも一緒に……えっ? なに?」

「どうした、美晴?」


 部屋に向かった美晴が、変な声を上げて立ち止まる。

 いや、カバンや荷物を床に落として、落とした事にも気付かない様子で、部屋の中へと突進して行った。


「えっ? えっ? なんで、シェルティーちゃん、増えとんの?」

 

 奇声に近い喜声を上げて騒ぐ美晴をなだめながら、俺は粋矛すいむのことを紹介した。




 ひとしきり騒いだ美晴も、ようやく落ち着きを取り戻した。

 防音性能が高いアパートなので音漏れの心配はないとは思うが、それでも心配になるレベルの騒動だった。


「なあ、兄さん。この子の名前って、決まってんのん?」

「ああ、粋矛だ」

「へえ、この子、スイムちゃんって言うんや。かわええなぁ~」

「いや、男の子だから粋矛くん、な」

「そうなんや。スイムくんかぁ。もしかして泳ぐん得意なんか?」


 予想通りの反応ツッコミで、ちょっと安心する。

 俺は、視線と身振りで、粋矛に自己紹介をするよう促した。


「郡上美晴殿、お初にお目にかかる。名を神軒粋矛と申す。新参者の守神もりがみゆえ不慣れは承知だが、全力で務めを果たす所存。何卒宜しく頼み申す」

「これまた、丁寧な挨拶痛み入る……って、しゃべってるやん! えっ? この子も神さん? 鈴音ちゃんの友達?」

「話せば長くなるから簡単に説明するとだな、粋矛は神様で鈴音の弟だ。俺を慕って守護神になってくれてるが、普段は鈴音と一緒に神社の癒しキャラになってもらおうって思ってる。鈴音と同様に、粋矛のことも可愛がってやってくれ」

「そらもう、めっちゃ可愛がったるわ。任せといて」

「……で、だな、今から神社に二人……二匹を送り届けるんだが、これって俺の買い物だよな?」

 

 床に転がっている買い物袋を拾い上げて渡す。

 ついでにカバンと紙袋も拾い上げて持ってやる。


「せやで。ジャム、ちょっとしかなかったやろ? せやから、こんなん買うてきたんやけど、どう?」

「バニラミルク……ジャム? なんだそりゃ?」

「ほら、気になるやろ? アタシにもちょっとだけでええから、味見させて」

「別に味見と言わず、ガッツリ食っても構わんぞ」


 他にも、生野菜サラダやリンゴなど、俺が買いそうにないもので身体に良さそうなものを選んできてくれたようだ。


「あれ? 兄さん、買いもん行ってきたん?」

「ああ、この通り、足もすっかり良くなったからな。今まで迷惑を掛けたな。お金は足りたか?」

「そうなんや。うん、預かってるお金やったらまだ結構残ってんで?」

「それは駄賃だ。もらっておいてくれ」


 俺の世話を焼くことが恩返しだと思ってくれているのは知っているが、ずっと甘え続けるわけにもいかない。

 迷惑をかけたが、美晴もこれでわざわざ通う必要がなくなるわけだ。

 俺としては、少し寂しく思うが仕方がない。


「そんな顔をすんなって。別に用が無くても、いつでも遊びに来ていいぞ。その時は、この二人に相手をしてもらうがな」

「兄さん、ええん? そんなん言うたら、アタシ、毎日遊びにんで?」

「おいおい、神社のほうも頼むぞ。いや、学業が最優先だから、神社のほうも無理はしなくていいけど」

「あはは、心配せんでええよ。これでもアタシ、成績、めっちゃええんよ。神社もちゃんとやらせてもらうから、任せといて」

「ああ、任せた。けど、何かあったら、すぐ俺に言ってくれ。これでも一応、神社の神主だからな」


 未だに給料は出てないし、気が向いた時にぶらっと立ち寄るだけの身分だが。

 

「ハル兄、早く行こ」

「ん? ああ、そうだな。あんまりのんびりしてたら日が暮れるよな」


 珍しく鈴音に急かされ、神社に向かうことにする。

 念のため俺と美晴が先に出て、アパートから少し離れた場所で周囲を確認してから二匹に跳んできてもらう。

 美晴の荷物は俺が持ち、粋矛のリードを握ると、鈴音のリードを美晴に渡す。

 それにしても、足の調子がすごくいい。今まで何が悪かったのか分からないほどで、足だけでなく全身に力がみなぎっているようだ。……いや、それは少し言い過ぎだが、力が有り余っているのを感じる。


「ふむ。恐らくだが、神器が霊力で満たされ、その余剰分が身体に良い影響を与えておるのだろうな」

「俺の心を読んだのか? ……いや、それより粋矛、犬の姿で言葉を話すのは控えてくれ。その……なんだ、他の人に聞かれると面倒なことになる」

「心得ておるよ。周囲の状況は常に把握しておる」


 俺も無意識レベルで常に周囲の状況を把握できればいいんだが、まだまだその域には達していない。いや、別に目指しているわけじゃないけど……

 それにしても、やっぱり身体が自由に動くっていうのはいいものだ。もう、静熊神社が見えてきた。

 ……と思ったら、鈴音が妙な動きを始める。

 どうやら、何かを察知したようだ。鋭く二度吠えて、俺たちに注意を促してきた。


「どうした、鈴音?」


 そう問いかけてはみたものの、ここは人の目がある。

 鈴音も言葉を話すわけにはいかないから、もう一度吠えてグイッと美晴が握るリードを引っ張った。


「悪い、美晴。ちょっと急ぐぞ!」

「う、うん」


 小走りになりながら、俺も周囲の気配を探ってみる。

 とはいえ、夕方近くで人出もそこそこあるだけに、気配を探るのも大変だ。


「……?」


 不思議なことに、人々が徐々に神社から遠ざかり始めた。

 今度は粋矛が、控えめにひと声吠える。何か意味あり気な仕草だったので少し気になるが、とにかく先を急ぐ。

 どれだけ急いでいても、これだけは省略できない。一礼してから鳥居をくぐる。

 神社だけでなく、その周辺まで気配を探るが……やはり妙な気配は感じない。だけど、何となく心が騒めくような嫌な予感がする。

 犬たちのリードを収納して解放し、美晴に荷物を返す。


「美晴は家の中に避難しててくれ」

「えっ、避難って。兄さん、どないかしたん?」

「すまん、詳しく説明してる暇はない。一応、念の為だ。美晴、早く行け」


 説明しようにも、俺にも詳しいことは分からない。


「まあ、ええけど、ちゃんと後で説明……」

「ミハ姉、急いで!」


 犬耳少女になった鈴音に背中を押され、美晴はしぶしぶ家の方へと向かった。


「鈴音、何があった?」

「えっとね……。上手く隠れてるけど、あの嫌な感じが近付いて来てるよ」

「あの……ってなんだ?」


 呪いか、悪霊か、それとも……


「ふむ、ブラックバイパーとかいう輩だな」

「そう、それ!」


 薄々と、そんな気がしていた。だけど、一番考えたくない可能性だったので、わざと意識から外してたのに、粋矛に言われてしまった。


「まだ残ってやがったのか……」

「どうやら間に合ったようだな。人除けの結界を張った。これで存分に……」

「エイ兄、来るっ!」


 俺にもその気配がハッキリと分かった。

 宙を睨み、身構えながら言葉を紡ぐ。


粋音矛いきのねぼこよ、我が声に応え、現世うつしよにて顕現せよ」


 その声に応えて、粋矛が粒子となって俺の手の中に集まり、矛に姿を変えた。

 ……と同時に、飛来する何かに反応して、俺はそれを矛の柄で受け止めた。

 敵の動きが止まったところへ鈴音が襲い掛かり、霊力の爪で切り裂く。


 俺は、肉体と精神体を別々に動かす訓練の中で、新たな技を身につけていた。

 現世と幽世の境界に意識を集中させることで、現世から隠世に干渉することができるようになったのだ。

 つまり、わざわざ視界に入らなくても霊魂の状態が分かるようになり、管理者や幽霊、悪霊なんかも視えるようになった。さらに、それらに触れるようになったのだ。

 今のところ、意識を集中させている間しか効果がなく、消耗が激しいので十分程度が限界だが。


「グ、グガガ……、イシ……フウイン、コワス………ググ、コワス……イシ……」


 地面に落ちたブラックバイパーは、完全に理性を失っているようだ。

 姿を維持できなくなっているのだろう。蛇男の面影はなく、黒い雪だるま型のスライムって感じになっている。


「栄太よ、気を抜くな!」


 粋矛──粋音矛いきのねぼこに警告され、飛び掛かってきた黒いスライムを弾き飛ばす。


「霊力解放!」


 右手中指に宿った力──音矛神の指輪の霊力を矛へと流し込む。

 輝きを増す刀身を気合を込めて構えると、煌めく軌跡を空中に描いて、再び飛び掛かってきたブラックバイパーの成れの果てを一刀両断にした。


「……フウイ……ゴワッ!」


 斬られてもなお欠片となって宙を漂っていたが、それも徐々に白くなり……

 粋音矛いきのねぼこの力で邪気が祓われたブラックバイパーは、白い粒子となって風に消えた。

 

「思ったよか、呆気なかったな」

「いやいや、栄太が強くなっておるのだ。敵が前よりも弱っておったとはいえ、こうも容易く祓うことができるとは思わなんだぞ」

「俺っていうより、みんなの神器と粋矛のおかげだけどな」

 

 どうやら本当に終わったのだろう。

 粋矛と鈴音が、犬の姿に戻った。

 そこへ、遅ればせながら時末さんがやってきた。

 どうやら、俺が戦っている姿を見ていたようだ。


「ふぅむ、悪霊の気配を感じ、馳せ参じ申したが……さすがは繰形殿、見事な手際でござった。この時末忠次郎、感服致しましたぞ」


 そういや、時末さんは修験者で、悪霊などの調伏も行っていたって話だから、この手のことに関してはプロと言える。

 そんな人にベタ褒めされると、反応に困るし照れてしまう。

 ちなみに、時末さんに粋矛のことを紹介したら……


「神獣様、ようこそお越しくださいました」


 速攻で正体がバレた。

 まあ、戦いを見られてたのならバレて当然だが。


「では、ワシはしばし見回りをしておりますので、皆様はどうぞ中でお休み下され」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 さてと……


「鈴音、粋矛に家の案内をしてやってくれ。それと、中にミヤチとユカリがいるようだから、二人の紹介も頼む」

「うん、わかった。エイ兄は?」

「すぐに行くが、その前にちょっとお参りをな……」


 さあ行こうと、元気に走り出した神獣たちを見送りながら、俺は拝殿のほうへと歩き始めた。

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