43 救済の小瓶

 ちょっと訓練がてら、秋月様に挨拶をして、あわよくば俺の足を元に戻すためのアドバイスをいただこう……と思っていたのに、秋月様の力で霊体の足が復活した。

 さすがに完治とまではいかなかったものの、俺があれだけ試行錯誤してダメだったのに、こんなにあっさりと生えるとは思わなかった。

 これまで力を貸してくれていたネボコにも、心の中で感謝する。


 再びミズトヨをひざに乗せて丸太ベンチに座り直した俺は、ネボコに出てくるようお願いした。


「……って、ネボコ? なぜ、俺の肩の上に?」

「いやなに、ひざの上が塞がっておるようだからな。別に構わぬだろ?」

「まあ、別に重くもないから構わんが、周りの目が気になるだろ?」

「心配せずとも、見えておるのは我らだけだ」


 幽世には重力はない……というか、全ては霊体なのだから重みは全く感じない。それに、どれだけ現世に人がいようと、こちらの姿は見えていない。だから、ネボコの言う通りなのだが……

 神社のベンチで肩車とか、これではまるで親子のようだ。そんな姿を秋月様に見られるのが恥ずかしいわけだが、それを口にするほうがもっと恥ずかしい。だから口をつぐむしかなく、まともな反論ができない。


「栄太さん、この度は危険な目に遭わせてしまい、心から謝罪させて頂きます」


 そんな俺に、なぜか秋月様が頭を下げてきた。

 鈴音からは、これは消滅した豊矛様が事前に用意した、俺たちへの最後の試練だと聞いた。

 その首謀者はアゼナシンという名の鬼神で、それに秋月様も協力……というか、不介入で見守っていた……ということも。

 だからまあ、結果的には、その試練に上手く対応できなかった俺たちがダメだっただけで、秋月様が謝ることではないのだが……


「そんな、秋月様、顔を上げて下さい。ほら、こうして俺は無事に戻ってこれましたし、足もこの通り元に戻してもらったんですから、もう、いいですよ」

「ありがとうございます。でも、それだけではありません……」


 そして再び、秋月様が頭を下げる。


「無断で栄太さんの中に、生まれたばかりの付喪神を預けていました」

「……えっ?」


 生まれたばかりの若芽は弱々しく、無事に育つか分からない状態だった。

 そんな御神体だったが……いや、そうだったからこそ、御神木の復活を願う人々の思いが結集して、神格を得て付喪神になった。

 秋月様にしても、この付喪神は豊矛神の忘れ形見とも言うべき存在。なので、御神体の枯死と共に付喪神が消滅するのを避けたかった。だから、人並外れた霊力を持つ俺を宿主にして、成長と学習を促していたらしい。

 要するに秋月様は、新しくも弱々しい付喪神の分身を、知らない間に俺に中へと預け、霊力の補充と体験学習をさせていた。その状態で魔界送りにされ、何かの拍子に付喪神が姿を現した。

 それが、薄氷を踏むような生還劇を生み出したのだから、まさに天の配剤だったというわけだ。


「なるほどな……。そりゃ俺たちの相性が抜群なわけだ」

「ふむ、となれば、やはり栄太は、ワシの父親ということになるのう」

「うっ……」


 名付けだけでなく養育までしていたとなれば、否定ができない。


「でもなぜ、俺……だったんですか?」

「適任者は栄太さんだけでしたから。音矛神ネボコノカミが霊体の中に入り込んでも、そういうものと割り切ってますでしょ?」

「まあ、神様だし、俺の足を修復してくれるって言ってたから」

「それに、この様なこと、信頼できる方にしか託せませんから」


 ああ、なんだろう。ものすごく温かい目で見つめられている。

 それに、その信頼感は、どこから出てきたのやら……


「何にせよ、そのおかげで俺は助かったようなものですし……。だからまあ、やっぱり秋月様が謝る必要はありませんよ。むしろ、俺が礼を言わないと。俺をネボコに会わせてくれて、ありがとうございました」

「左様。ワシもこの出会いに感謝致します」


 俺と一緒に、肩の上のネボコも頭を下げた。

 それを受けて秋月様は、少しホッとした様子で、微笑みながらうなずいている。


「そう言って頂けると救われます。それでは、音矛神ネボコノカミのことは静熊神社にお任せしますね」

「えっ? あっ……はい」


 お任せの意味がよく分からなかったけど、すでに祭神として祀っている。……と、鈴音から聞いている。


「まだ俺は見てませんが、鈴音が祭神に加えたって言ってました。他に何か必要なことってありますか? ……あっ、現身も、あったほうがいいんですかね?」

「……そうでしたね。そんなことができるのでしたね」

「できるかどうかは分かりませんけど、やれるだけやってみますね」

「では、そのように、お願いします」


 なんだか墓穴を掘ったような気もするけど、秋月様に宣言したからには、成功させるしかない。


「だったら問題は、どんな姿にするか……だよな」

「ふむ、現身か。楽しみだ」


 現身の制作には、詳細なイメージが必要だ。

 ここで画像や映像に記録して現世に持ち帰れたら楽だけど、今はじっくり観察している場合ではない。


「秋月様、忙しい所、わざわざお会い下さりありがとうございました」

「あっ、栄太さん、少し待ってもらえますか?」

「はい?」

「私の用件は終わったのですけど、もうひと方、栄太さんにお話したいと……」


 その言葉の途中で、新たな、そして奇妙な気配が生まれた。

 禍々しいという点では悪魔に通ずるものがあるが、悪魔ほど刺々しいような、命の危機を感じさせるような恐怖は感じない。

 無理に言葉にしようとすれば、やはり奇妙なと形容するほかない気配だった。

 その姿は野武士のような地味にして精悍な姿だが、髪は無造作に切り揃えられ、ひげは綺麗に剃られている。やはり特徴的なのは、頭部に生えた二本の角だろう。

 見覚えがあると思ったら、この前の浄化の時に参加していた鬼神だった。


「こんにちは。たしか、十畦とうねの鬼神と呼ばれていた方ですね」

「ええ、この方は、雨蛙瀬古那神アムアゼコナノカミという名の土地神です。畔那神アゼナシンや慈愛の鬼神とも呼ばれていますけれど、やはり十畦とうねの鬼神というのが、一番聞き覚えがあると思います」

「豊矛様からも少しだけ聞いたことがあります。えっと、たしか……優しすぎる神様で、人々が抱える邪気を自身に取り込んで鬼神になられたとか。豊矛様に頼まれて、俺たちのことを見守っている……って話も」


 そして、今回の騒動の発端ってことも。


「この姿を見ても逃げ出さず、取り乱すこともないとは。お主、本当に人間か?」

「そのつもりですが……」

「そうか。そのつもりか。……ふふっ、……ふっはっは。これは愉快だ。なるほど、ど、豊矛のお気に入りだっただけのことはある」


 大口を開けて豪快に笑った鬼神は、ニヤリを笑って俺を見つめる。


「しかも、自力で魔界から舞い戻ってきたというではないか」

「あー、いえ、このネボコに助けてもらっただけですよ。ひとりだったら、今も監禁されたままでした」

「いやいや、生まれたての神の力を借りられたのも、お主の力に相違あるまい」


 視線を上げると、上から覗きんできたネボコと目を合い、笑い合う。


「とはいえ、それは幸運……いや、強運にも勝る、まさに豪運によってもたらされた結果でしかない。ただひとつの要素でも狂っておれば、戻ってくることは叶わなかったであろう」

「そうですね。本当にそう思います」

「まあ、試練の結果は推して知るべし。自身がよく分かっておると思うが、魔界より無事に生還したお主に褒美をやろうと思う」

「褒美……ですか?」

「ああ。救い……と言い換えても良いだろう」


 そう言うと、鬼神は二つの小瓶を取り出した。

 浄化の炎に放り込んでいた小瓶と同じモノに見えるが、まさかここで魔素ドリンクをグビッっと一本……ってわけではないだろう。

 いや、二本あるから乾杯を……?

 でも、よく見ると色が違う。


「この透明な液体を飲めば、神だの悪魔だのという話を全て忘れ、以前のような穏やかな日常に戻ることができる。むろん、二度と幽世に来ることは叶わぬし、神の姿を見る事も、声を聞くこともなくなる」


 そのようなことを、以前にも聞いたことがある……ような気がする。

 協力者になるか、全てを忘れるか……


「そして、この紫の液体を飲めば、お主は更なる力を得て神霊に近付くだろう。結果、お主の中で燻っておる苛立ちの正体も判明する代わりに、真っ当な人生を失う事となる」


 燻っている苛立ちとか言われても心当たりはないが、心に引っかかっていることなら、いくつかある。

 俺はなぜ、神様や悪魔などと関わり合いを持っているのか。この状況が異常なのはよく分かっている。だけど、なぜか俺は、それを当たり前のように受け入れている。

 元々の俺は、危険なことには近付かず、無難に人生を歩めればいいと思っていたはずだ。それを思えば、この状況は不思議で仕方がない。

 それに、あの女神、ユカヤのことが気になっていた。向こうは以前から俺のことを知っているような態度なのに、俺は全く覚えていない。

 その辺りのことが解明されるのだろうか。


「なるほど。どっちを選んでも救いには違いがないってことだな」


 俺の呟きを聞いてコクリと大きくうなずいた鬼神は……


「人に立ち返るか、神使として生きるか、さあ選ぶがよい!」


 どちらを手にするのかと、決断を迫った。

 それに応え、大きく深呼吸をした俺は小瓶のひとつを手に取り、封を解いて蓋を開けると、一気に中身を飲み干した……

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