44 リハビリ散歩

 本当にたった数日だった。

 幽世で秋月様と会ってから、たった数日で歩けるまでに回復した。

 とはいえ、まだ違和感があるし、力が入りにくくて素早い動きは無理だが……

 松葉杖は家に置いてきたが、用心のためにステッキを突いている。


「ふむ、やはり現世とは不思議なところだな。自ら生み出した機械に支配された世界というのも、存外誤りではないようだ」

「そう見えるかもしれんが、その機械を操ってるのも結局は人間だったりするからな。一部の支配者が多数の庶民をコントロールするために作ったモノといえば分かりやすいんじゃないか?」

「なるほどのう。秩序に従わせるための道具ってわけだな?」

「まあ、ルールがなけりゃ大混乱に陥るからな。それに従っておけば何とかなるって思えば楽ってのもある。あの信号も、あの表示にさえ従っておけば、だいたいは何とかなる。もちろん、全員がルールを守るとは限らないから、死にたくなけりゃ一応は周囲に気を配ったほうがいいけど」


 現世で俺の魂に入り込んだネボコは、俺の肉体を通して現世を感じ取ることができるらしい。よくわからないが、たぶんこれも憑依されてるってことなんだろう。

 とはいえ、俺から肉体の制御を奪い取ったりはしていない。中に潜んで現世見物を楽しんでいるだけだ。


「それにしても栄太よ、まさかおぬしが紫を選ぶとは思わなんだぞ。あれほどの思いをしてなお、我らと関わろうというのだから、物好きにも程がある」

「もう、その話、何度目だよ……」


 鬼神に選択を迫られた俺は、迷わず紫の液体を選んだ。

 いやまあ、見るからにヤバそうな色だったから、飲むのに勇気が必要だったが、不安を押し殺して一気に飲み干した。

 結局、ヤバそうなのは見た目だけで無味無臭の液体だったが……

 それを見た鬼神は「その覚悟、しかと見届けた」そう言って姿を消した。

 もしかしたら液体には何の効果もなく、ただ俺の覚悟を見極めたかっただけなのかもしれない。

 とにかく、そのことがよっぽど嬉しかったのか、ネボコは事あるごとにそのことを反芻していた。


「おや? 神社のお兄さんね」

「あっ、田畑のキヨさん。こんにちは」

 

 不意に呼び止められ、反射的に相手を確認して、笑顔で挨拶をする。

 

「はい、こんにちは。なんね、今日はひとりかい?」

「えっ? ……ああ、さすがに犬を連れて買い物には行けませんから」


 荷物で軽く膨らんだカバンを見せる。


「買い物かね。ほで、元気になったんね。妹さんも随分心配してたんよ?」

「妹? ああ、美晴のおかげで助かりました。そうそう、キヨさんが救急車を呼んでくれたんですよね? その節は本当にありがとうございました。おかげ様でこうして元気に戻ってくることができました」


 手を握って頭を下げ、お礼をいう。


「みはる……? そんな名前やったかねぇ。歳取ると、物覚えが悪うなって敵わんわ。あーそういえば、あんさんが救急車で運ばれるまで、わんちゃんが心配そうにしてずっと一緒におったよ。わんちゃんにも礼を言わなあかんよ?」

「そうなんですね。じゃあ、鈴音にも何か美味しいものを御馳走しますね。キヨさんにも、もう少し落ち着いたらお礼に伺わせてもらいますよ。芳場さんのところにも」

「そんな、気ぃ使わんでええからね。しっかり養生しいや」

「はい。キヨさんも。ではまた」


 去っていくキヨさんの後ろ姿を、俺は手を振りながら複雑な気持ちで見送った。

 というのも、俺は元々近所付き合いなんてするタイプではない。

 そりゃまあ、いがみ合うより仲良くするほうがいいに決まってるけど、積極的に挨拶なんてしないし、仲良くなるなんてことは考えもしなかった。

 なのに、キヨさんや芳場さんだけでなく、近所の人たちのことまで記憶している。

 不思議に思いながら、散歩リハビリついでに鈴音に会いに行こうかと、静熊神社を目指す。


 ネボコは、なんというか、言うなればド田舎から来た観光客って感じだった。

 神軒町は決して都会とは言えない……どころか、ここも十分に田舎の町って感じがするが、ネボコにしてみれば、知識にはあるが実際に見るのは初めてなので、俺を質問攻めにしつつ大はしゃぎしていた。俺の中で……

 頭の中がうるさくて仕方がないが、思い通りに動かない足のもどかしさを紛らわせるって意味では、十分に役目を果たしてくれていた。


 俺にしてはあり得ないペースでゆっくり歩いていると、ケータイが震えて呼び出し音が流れ始めた。

 すぐ近くに小さな公園があったので、相手を確認しながらそこに入る。


「親父か……」


 ちょっと気が重いが、無視することもできない。

 なので、深呼吸を繰り返して呼吸を整えてから、通話を始める。


「あー、もしもし、俺だ」

「あー、詐欺なら間に合ってるんで……」

「……で、親父、何の用だ?」


 開幕のジャブを華麗にスルーして、本題を促す。


「おお、我が愛息子よ、死線を潜り抜けてひと皮剥けたようで、お父さんは寂しいぞ。昔のように甘えていいんだぞ」

「俺の体調なら良好だ。足もかなり動くようになった。今はリハビリをかねて散歩中だ。報告は以上だ」


 相手が知りたいであろう情報を一方的に投げつけて、通話を切ろうとする。

 その気配を察したのだろう。慌てたように親父が引き留める。


「まてまてまて、慌てるなよ、マイサン。母さんからの伝言だ」


 つまらないボケをかましてきたら、問答無用で切ろうと思ったが、母さんからの伝言ならば聞かないわけにはいかない。


 細々と挟まれるボケを排除して話をまとめると……

 どうやら、神社支援プロジェクトの宣伝企画は大成功だったらしい。

 一発目の静熊神社は、ある意味ネタに走った感のあるファンタジードラマ物だったけど、三流の台本を夜霧母娘おやこが全力で演技をしたことで話題になった。

 ともすれば炎上しかねない、事前にマスコミを使った宣伝も、良い方向に作用した。いやまあ、たぶん母さんが何か手を回したんだろうけど……


 そして、第二弾では別の神社が紹介され、前回とは一変した雰囲気で、悠久の時を経て醸し出される映像美に主眼を置き、朗々と祝詞をあげる場面や神楽舞い、雅楽の調べなどを交えつつ……

 神社の祭神たちが温泉に浸かりながら枡酒をあおり、地上の様子を見守っていた……という内容だった。

 真面目な宣伝かと思いきやカットインする神々の戯れがクセになると、これまた好評となった。

 もちろんそのお酒は、神社に深く関係のあるもので、その宣伝も兼ねている。

 いやまあ、それは余談で……


 どうやら、マスコミが会社に連絡を取っていた件は、母さんが俺のことを心配して会社に問い合わせたからだった。

 だがそれは、夜霧夏が仕事の打ち合わせのため、会社に連絡を取っていたってことに置き換わった。

 その上で、どうして連絡を取っていることがバレたのかと、母さんはマスコミを相手に問い質しているらしい。

 結果、夜霧夏の息子をネタに騒いでいた者たちは立場を失い、マスコミはプロモーション活動に協力するしかなくなった。

 つまりは、夜霧夏の息子を追いかけている者はいなくなり、俺の生活が脅かされることもなくなった……ということらしい。


「分かった。母さんにありがとうって言っておいてくれ」

「任せておけっ! 我が最愛の息子の頼みであれば、たとえ南極の氷で作ったかき氷が食べたいと言われても、実現してみせよう!」

「いや、かき氷なら、普通にコンビニで売ってるもんでいいと思うぞ」


 冗談抜きで、親父ならやりかねないから下手なことは言えない。

 ……って、そんなことはどうでもいい。


「ところで、通い妻の様子はどうだ?」

「はあ?」


 聞き返したのは、親父が何を言っているのか分からなかったからだが……


「そうだな。通い妻という言い方は失礼だったな。すまなかった。幼き婚約者殿はご壮健でおられますかな?」

「用がないなら切るぞ?」

「今どき珍しい、世話焼きで気が利くとてもいい子じゃないか。それに、とても逞しい。もちろん体格ではなく性格が……だぞ?」


 このままブツ切りしてもよかったが、そろそろいい加減にしてもらいたい。


「……なあ、親父?」

「ん? なんだい、マイサン?」

「なんで俺と美晴をくっつけたがってんだ? 何か理由があるってんなら、今ならちゃんと聞くぞ?」


 俺が譲歩できるのもここまでだ。

 これでまだ、ふざけたことを言うようなら、この件に関しては一切無視しようと心に決める。


「そうだな。父さんは今回のことで思い知った。もし美晴ちゃんが居なかったら、今ごろ栄太は、どうなってたんだろうか……と」

「いやいや、そりゃまあ、いろいろ助けてもらってるが、そりゃ大げさだって」

「父さんとしては、離れて暮らす愛息子が心配なのだよ。栄太のことを見ていてくれている者ならば誰でもいいが、どうせなら信頼できる相手がいい」


 そういう所、親父はズルいよな……

 まるで俺の心を見透かしているように、このタイミングで真面目な答えを返す。

 

「それとも、他に気になっている相手でもいるのか?」

「別にいないが、俺の事なら心配いらねぇよ。なんせ俺は、神に慕われているからな。そう簡単にくたばったりしねぇよ」

「どうやら我が孫は、神と人のハーフってことになりそうだな。楽しみにしているぞ、我が最愛の息子よ」


 たまには冗談で反撃してやろうと思ったが……

 思わぬカウンター攻撃を受けて絶句している間に、親父は通話を切ってしまった。


 いっそのこと、俺の子だとネボコを紹介したら、親父はどういう反応をするだろうか……などと思いつつ、メンタルをごっそり削り取られたような疲労感に苛まれながら、大きなため息と共に公園を出た。

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