07 苔むす魔界の洞窟

 看護師さんは、別に見なかったフリをしたわけではなかった。

 美晴が散らばった荷物を片付けるのを待って、一枚の紙を差し出してきた。


「ペット同伴申請書?」


 申請書を受け取った美晴は、首を傾げながら書面に目を通す。

 この病院では、いくつか条件があるものの、病室にペットを連れてくるのを許可しているらしい。

 簡単に言えば、小柄で大人しく、吠えたり噛んだりせず、しつけが行き届いていて、自分たちでペットの世話ができること。

 希望例が多い小型の犬や猫は有利だったりするけど、そこは鈴音だけに、驚くほどのお利口っぷりを見せて合格した。


 その後、看護師は本来の仕事──栄太の状態確認を手早く済ませて退室した。

 それを見送った美晴は、問題にならなくてよかったと、ホッと胸を撫で下ろす。

 さすがにどれだけ親切な看護師でも、ペットの無断持ち込みは許さないだろう。それこそ怒られて追い出されても仕方がない。

 なのに、この対応で済んだのは、鈴音が精霊たちに頼んだからだった。


 ペット同伴許可は、ペットを自宅に残して入院するのを不安に思う人の為の措置だが、入院患者の心のケアも兼ねており、この病院でも実施されている。

 とはいえ、余程の事情がなければ許可が下りないし、ましてや入院患者は意識不明なのだから、前代未聞だったりする。

 だがそれも、精霊たちの働きによって都合よく改変された。

 ともあれ、これで誰かに鈴音の姿が見られても、首輪にぶら下がった許可証の効力で誰も咎めたりはしないだろう。

 その許可証を揺らしながらベッドに飛び乗った鈴音は、栄太の口元を覆っている器具を避けて頬を舐めると、振り返って美晴に話しかける。


「ミハ姉も、エイ兄の手を握って、目を覚ますようにって祈ってあげて」

「せやな。……まあ、この際やから、盛大に文句言わせてもらうわ」


 もちろん、美晴も栄太の回復を願っている。なのに、ついつい憎まれ口を叩いて冗談っぽく答えてしまうのは、ほんの少しでも心に余裕が生まれたからだろう。

 やれやれって表情を浮かべている美晴の顔も、幾分血色が戻っているように見える。それに、まだぎこちないながらも笑顔を浮かべられるようになった。

 それを見た鈴音は内心で安堵しつつ、栄太の身体と美晴の保護を最優先にしながら、神社やこの病院の守護に意識を傾けた。




 いつも通り、雫奈は静熊神社で奉仕を続けている。

 そして優佳も、何事もなかったかのように、その手伝いを続けていた。


 神社で社務を取り仕切っていた三藤淑子は、神職の養成所へと行っている。それ以来、優佳と美晴が代わりを務めているのだが……

 もちろん、二人には学校があるので授与所を開けるのは休日だけだが、会社とのコラボや通販などが順調なこともあり、なんとか経営状態は上向いている。

 これが続くようであれば、新たに人を雇うこともできるだろう。

 それはいいとして……


 表面上、変わりなく過ごしているように見える雫奈と優佳だが、精神世界ではシズナとユカヤが全力で栄太や悪魔の手がかりを探し続けていた。

 とはいえ、本気で隠れている相手を見つけるのは、かなり難しい。

 シズナは隠世で地道に、他の神様や精霊たちから聞き取り調査をし……

 ユカヤは、魔界に入って悪魔たちから情報を集めていた。


 隠世は現世に似た世界であり、天界は自然豊かで明るく優しい世界。

 では魔界はというと、雷鳴が轟き火山が爆発し溶岩が流れているような、暗く荒廃した世界かといえば、そういうわけではない。

 もちろん天界に比べれば暗いし荒廃した感じがするが、ひと言で表すとすれば混沌の世界だった。

 隠世とは違って、現世のコトワリに囚われていないので無限に近い広さがあり、整理整頓がなされておらず、無秩序で、少し移動すれば景色ががらりと変わるような、そんな世界だ。

 当然、場所によっては地面すら存在しなかったり、魔物が走って追いかけてきたり、木に実った美味しそうな果実が口を開けて襲ってきたり、天界に似た場所や、想像通りの魔界や地獄のような場所もある。


 魔界に送り込まれたユカヤの分身は、この場にふさわしい格好……つまり、露出度の高い黒衣装で、角や尻尾、翼を生やした悪魔姿に戻っていた。

 悪魔に仲間意識はあまりない。なので、協力的な悪魔はそうそういない。だからといって、神様の姿で踏み込めば何をされるか分かったもんじゃないし、協力的な悪魔もそっぽを向くだろう。

 ここでは、強さと損得がモノを言う世界。

 土地神となり信仰力を得ているユカヤには多少有利なところもあるが、自分に協力すればどれだけ特になるか、もしくは、どれだけ損をしないかを相手に示して納得させることが重要となる。その為には、嘘や誤魔化し、恫喝はもちろん、どんな卑怯な手段を使っても魔界でなら正当化される。

 むしろ、そうでなければ魔界では生きていけない。


 ユカヤは、操心の悪魔と呼ばれたパルメリーザという名前の悪魔だった。

 いや、栄太によって秋津結茅姫アキツユカヤヒメという名を与えられただけで、天界から追放された身なのは変わらない。つまり、今でも悪魔のままだ。

 世界樹システムの管理官に採用されてからも、よく魔界に下りていたけど、さすがに土地神になってからは来ていない。


「たしか、この辺りでしたね……。いつ来てもここは……」


 ジメっとした大空洞のような場所に出現した操心の悪魔パルメリーザ──悪魔の姿に戻ったユカヤは、顔をしかめながら周囲を観察する。

 細くて不健康そうな木々に濡れた岩が転がっている。腐った倒木や苔、キノコなどに覆われた世界。

 洞窟の中なのに明かりを灯す必要がない程度には明るい。


「でもまあ、虫がいないだけマシですね」


 現世とは違って、このような環境でも虫が発生したりはしない。

 この光景は、この領域に集まるモノたちの魔力によって具現化されたもの。

 つまり、この地に集まっているモノは、このような環境を好んでいるということだ。そして、陰鬱の魔女フェイトノーディアのお気に入りの場所でもある。


「ここに連絡用の分身がいるって話だったけど……」

 

 かくいう操心の悪魔パルメリーザも、魔界のとある場所に連絡用の分身を設置している。

 とはいえ、このような悪魔の姿ではなく、風景に溶け込んだ無機物の形で。

 なので、陰鬱の魔女フェイトノーディアも同じように、このどこかに連絡用の物を設置している可能性が高い。

 向こうにその意志があれば、呼びかけに応えてくれるはずだ。


「さてと……。ノッティー、聞こえているのでしょ? もし、この呼びかけに応えなければ、不本意ですけど強硬手段に訴えなければならなくなります。こうして穏便に呼びかけている間に出てきたほうが、身のためですよ」


 そんな言葉を乗せた思念を、この領域全体に飛ばす。

 これだけでも、ここを拠点としている悪魔たちには迷惑な話なのだが……

 操心の悪魔パルメリーザは、もし陰鬱の魔女フェイトノーディアが出てこなければ、出てくるまで騒ぎ立てるつもりだった。


「……ノッティー、わたし、本気で怒ってますからね。……こうして話し合おうとしている間に、さっさと出てきた方がいいですよ」


 愛称で呼びかけているのは、操心の悪魔パルメリーザなりの慈悲だった。

 これならば、この騒ぎを持ち込んだモノが誰なのか、周囲のモノにはわからないはずだ。

 もし、この騒ぎは何事かと他の悪魔が姿を現した時には、フェイトノーディアという名前で呼びかけようと思っている。

 それでもダメなら、この周辺の悪魔の心を操って、陰鬱の魔女フェイトノーディアを糾弾させる。

 そこまでしても無視を続けるというのであれば、それこそ最後の手段を使わざるを得なくなる。


 ふと景色がぼやけ、苔むした岩壁に入り口が現れた。

 これを作った相手が誰かも分からないし、罠の可能性も考えられるのだが、操心の悪魔パルメリーザは漆黒の闇のような洞窟に迷うことなく足を踏み入れた。

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