06 密室の子供と病室の子犬

 ここはどこだ……?

 俺は何を……?


 気絶している間に知らない場所へと運ばれたことはあるが、今回もそんな感じなのだろう。

 まだ意識は朦朧としているが、ここが自分の部屋でも、神社の家でもないってことだけは分かった。


 夢見心地とでも言おうか、不思議なことに、なぜか俺は冷静だった。

 知らない場所で目覚めたのに、高級そうなベッドの寝心地は悪くないが、沈み込むような感覚は俺には合わないなどと、そんなことを思う余裕すらあった。

 雫奈を手伝うようになってから、不思議なことに巻き込まれることが多く、慣れてしまったってこともあるだろう。

 だけど、こうして暢気にしていられるのは、命の危険を感じなかったからだ。

 大方、倒れた俺を誰かが拾って、介抱してくれたのだろうと思った。


 なんだか身体がふわふわしていて不思議な感覚だが、どうやら動くようだ。

 

 ブランケットというのだろうか。タオル地のシーツっぽいものと一緒に上半身を起こして、周囲を観察する。


 小さな部屋だが、装飾は西洋風で、古い洋館の一室といった雰囲気だ。

 ベッドの他に家具はなく、窓もない。

 天井全体が仄かに光っているが、これが照明なのだろう。

 まるで澄んだ水の中にいるような。柔らかな光が揺れ動いて、気持ちを穏やかにしてくれているようだ。

 反射光や埋め込み型ではなく、まるで天井全体に発光パネルが取り付けられているような感じだけど、こんな照明は見たことがない。

 床には高級そうな、精密な文様が描かれた絨毯が敷かれている。

 俺の服も薄手のガウンっぽいものになっていて、靴下もなく裸足になっていた。

 まさか異世界転移!? ……などと、一瞬だけ思ったが、さすがにそんな非現実的なことは起こらないだろう。まだ夢と言われたほうが現実的だ。

 でも、なんとなく……としか言えないが、夢ってわけでもないようだ。


 何にせよ、ここがどこかを知るのが先決だ。

 ベッドから下りようと動くと、ブランケットがズレて人の姿が現れた。

 まさか、知らない間に美少女と……なんていう、マンガなどでよくあるお約束展開を想像してしまったが、どう見ても相手は子供……しかも、男の子のようだ。

 いやまあ、ボーイッシュな女の子ってオチもなくはないだろうが、すやすやと眠りこけているのをいいことに、服を剥いで確かめようとは思わない。


 小学生の高学年ぐらいだろうか。あどけない子供ながらも美形だと思う。着ている服はどこか武術の道着っぽい感じがするが、こういう普段着なのかもしれない。

 頬や手足は歳相応にプニプニしてて触り心地が良さそうだけど、ちゃんと筋肉も備わっているようだ。それに、近くにいるから分かるが、見た目とはかけ離れた妙な迫力を感じる。

 禍々しさは全く無く、精錬された清らかな刃というか……

 うまく言葉にできないが、無防備そうに見えるのに全く隙が無いというか……そんな感じだ。


 ともかく俺は、子供を起こさないように気を付けながら慎重にベッドから下りて、部屋を調べ始める。

 そして早々に、扉が無いことに気が付いた。……つまり、ここは密室だった。

 まさか、この小さな少年が俺を運んできたってことはないだろう。いくら何でも体格が違い過ぎる。それに、一緒に閉じ込められているのなら、ここの住人ってわけでもないだろう。俺と一緒にここへ運ばれてきたと考えたほうが自然だ。

 だったら、誰が何の目的で、どうやって俺たちをここへ運び込んだのだろうか。

 どこかに隠し扉でもあるのかと、白い壁や黒い柱などをペタペタと触れて回ってみるが、それらしいものは見つけられなかった。

 代わりに、視界の隅にある表示を見つけた。


「この表示って、残りの霊力だよな。ってことは、ここは精神世界か?」


 ならばと再び子供を見つめるが、魂表示は見えない。

 よくよく考えてみれば視界(精神世界)で人の姿をしていること自体が変なわけで、そんなことができるのは、俺の知る限り契約を交わした土地神三姉妹だけ。

 植物や無機物に宿る精霊は、姿を現さず現実と同じ物体として見ることができる。人間や動物の場合は、魂の形として認識され、そこへ現実世界がぼんやりと重なって見える……という感じになっていた、はずだ。

 そこで気付く。現実世界が、ぼんやりどころか全く見えないってことに。


「ここは、精神世界じゃないのか……?」


 少し頭の中を整理してみる。

 視界は、俺の認識次第で様々なカスタマイズが可能な精神世界で、かなり苦労して今の形に作り上げたのだが……

 たしかユカヤの視界を見学させてもらった時、時末の内面を映し出したモノは、リアルな人型をしていた……と思う。とても正視できるものではなかったので、細部までは覚えてないが。それに、あの時も現実世界は見えてなかったように思う。

 だとしたら、ここが他人の視界で、この子供は人間の魂という可能性が残る。

 とはいえ、素人の俺でも感じ取れるほどの、強い力を秘めている相手だ。少なくとも普通の子供だと思わないほうがいいだろうし、雫奈たちのような管理官や神様だと思っておいたほうがいいだろう。

 子供の姿をした凄い神様って可能性も、十分にあり得る。


「この子の視界なのか……?」


 ともあれ、ここが精神世界なら、慌てる必要はない。

 どういうわけか、霊力が九十七パーセントも残っているのだから、まだ時間はあるはずだ。

 シズナやユカヤに呼びかけたいところだけど、知らない相手の視界なら声が届くとは限らないし、子供を起こして機嫌を損ねるのは、あまり良くない気がする。

 なので、子供が自然に目を覚ますのを待ちながら、もう一度この状況について考えつつ、俺──繰形栄太は、じっくりと部屋を調べることにした。




 どれほどの時間が経っただろうか。

 一瞬だろうか、それとも数時間は経っているのだろうか……


 ひざを抱えるようにして椅子に座る郡上美晴は、目の焦点が定まっているかもあやふやな状態で、目の前──個室にしては広い病室の何もない空間から、淡い光の粒子が湧き出てくるのを眺めていた。

 明らかに異常事態なのだが、なぜか美晴は一向に興味を示さない。


 この時、美晴は、昔のことを思い出していた。

 昔といっても一年と少し前ぐらいだろうか。栄太から手作りのお守りをもらった時、全く同じ不思議な光を目撃していた。

 あの時は手品か何かだと思っていたけど、今はその正体を知っている。

 果たして、予想通り光の粒子が収束して、犬の姿をした鈴音が現れた。

 抱えていた足を下ろした美晴は、おいでとばかりに手を伸ばす。

 空中に現れた鈴音はシュタっと床に降り立つと、美晴のひざの上に飛び乗った。


「ミハ姉、遅くなってごめん。大丈夫だった?」


 犬の姿で言葉を話した鈴音は、慰めるように、無防備な美晴のお腹に身体をこすり付ける。

 力無く微笑みかけた美晴は、ふわふわの毛並みをゆっくりと撫で始めた。


「……大丈夫って、そんなん、こっちの台詞やん。鈴音ちゃんこそ、平気なん?」


 美晴がポツリと呟くように問いかけた。

 それに対し、鈴音は美晴の顔を見上げ、キョトンとした表情で首を傾げる。


「えっ? ボク?」


 良くも悪くもいつも通りの反応を示す子犬に、美晴は呆れたようなため息を吐き、その腹いせってわけではないが、ついつい余計なことを口走る。


「兄さんが倒れた時、一緒におったんやろ?」


 さすがに意地悪だったと思ったのか……


「……ショック受けたんちゃうかなぁ~思たんやけど……」


 小声でそんな言葉を付け足す。

 それを聞いた子犬は、顔を伏せて尻尾を数回大きく振ると、ひざの上で身体を丸めるようにして寝そべった。


「うん……そうだね。びっくりしたよ」

「せやから、お見舞いに来てくれたんやろ?」

「……そうなんだけど。ミハ姉のことが心配だったから」

「そら……まあ、なんや……。鈴音ちゃん、おおきにな……」


 やはり情緒が不安定なのだろう。不意打ちの優しさに感極まった美晴は、身体を丸めるようにして鈴音を抱きしめ、ふわふわの毛並みに顔を埋めた。


「なあ、鈴音ちゃん……。アタシにできること、何かあらへんかな……」

「ん?」

「どうせまた、兄さん……誰かのために、無茶したんやろ? アタシ、こうやって見守ることしかでけへんのかな。他にも、兄さんのためにできることって、何かあらへんのかな……」


 返答に窮した鈴音は、どうやれば美晴を慰められるかと頭を悩ます。

 なんせ、今回に限っては全くの偶然……というか、単に運が悪かったとしか言いようがなく、誰かのために栄太が戦ったりしたわけではなかった。


 栄太がこうなったのは、鈴音が悪魔のことをよく知らなかったせいでもある。

 経験豊富な土地神ならば、十分に防げた攻撃だったはずだ。

 それだけに、栄太が倒れた時に一緒にいた……という美晴の言葉は、発した本人が思っている以上に、鈴音の心に突き刺さった。

 でも、それよりも、鈴音は美晴のことが心配だった。

 今でもこんな状態なのに、真実を知ればどうなってしまうのか分からない。それだけに、どう説明しようと頭を悩ませていたのだが……


 少し騒ぎ過ぎたのか、看護師さんが扉をノックしてきた。


「繰形さん、入りますね」

「あっ、はーい」


 反射的に返事をした美晴だが、鈴音に気付いて慌てる。

 さすがにペットの無断持ち込みはヤバイ。絶対に怒られる。下手をしたら出入り禁止になるかもしれない……

 心の中ではそんな思いが渦巻くものの、何もすることができないまま、無常にも扉が開かれてしまった。

 せめて、背中を向けるようにして隠し、必死の抵抗を試みる。


「あら、かわいいワンちゃんですね」

「は、はいっ、大切な家族なんです」


 緊張のあまり、慣れない敬語になる。

 そんな美晴を見て、看護師はクスリと笑った。


「ちょっと待っててくださいね。すぐに戻りますから」


 そう言い残して出て行く看護師を見送った美晴は、見なかったことにしてくれたのかと思い、今のうちだとばかりに慌てて鈴音を隠そうとする。

 だけど、急いだものの間に合わず……


 戻ってきた看護師が見たのは、鞄から頭と尻尾をひょっこり出した子犬と、散乱する靴や衣類、そして、顔を引きつらせ、冷や汗を流して床に座り込んだ美晴の姿だった。

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