08 優秀な助っ人

 幻想的な森の中、巫女姿の雫奈は、祠に向かって手を合わせていた。

 森といっても静熊神社の敷地内なので、そんな雰囲気がするというだけだが。

 

 この祠の中には水霊石が安置されており、それを御神体とする水諸ミモロ様──遥か昔にデイルバイパーが封印されたとされる石が祀られて神格化した水諸科等神ミモロカラノカミ──に呼びかけているのだ。

 だけどやはり、いつも通り反応がない。

 これほどの霊力を秘めており、所縁のある神々も認めているのだから、この水霊石が水諸ミモロ様の御神体なのは間違いないはずなのに……


 祠を開けて御神体に触れてもいいが、神様によっては機嫌を損ねる結果になりかねない。なので、精神世界のシズナが、隠世から派生した世界で接触を試みる。

 シズナの本体は、天界から派生した視界にある。

 だから、正しくは、シズナの分身が作った「隠世から派生した、シズナと水諸ミモロ様だけが入れる隔離世」で、だが。

 その世界で、シズナは水霊石に秘められた霊力に手をかざして呼びかける。


 しばらくして顔を上げ、祠を見つめた雫奈は、深く一礼をした後、落胆したように小さく息を吐き出した。

 ここまでして反応がないということは、相手はこちらの呼びかけに応えるつもりがないということだ。

 とはいえ、気難しい神様なら珍しいことではないし、こちらのことを警戒しているってことも大いにあり得る。

 あとは仲介を請け負ってくれている神々を信じ、何度もお参り……というか、ご機嫌伺いをするしかない。


 栄太を襲った悪魔の情報は、何ひとつ見つかっていない。

 向こうからの接触はないし、秋月様のほうにも進展はないようだ。

 こうしている間にも、栄太の肉体は徐々に衰弱していっている。なんとか鈴音が頑張ってくれているけど、それでも限界はあるだろう。

 あまり時間が残されていないが、焦ったところで仕方がない。

 だから雫奈は、裏庭の掃除へと向かう。

 ここは栄太との絆が感じられる場所であり、みんなが集う場所でもある。その場所を浄め、守ることで、雫奈は心を鎮めていた。


 懐かしい気配を感じ、心なしか元気のなかった歩みがピタリと止まる。

 まさか、そんなはずはないと思いつつ、振り返る。

 そこには、大きなキャリーバックを引きずりながら、表通りを歩く女性の姿があった。

 可愛い雰囲気の女性だが、重そうな荷物に悪戦苦闘しながら引っ張り、神社の前で立ち止まると、噴き出る汗を拭き、乱れる呼吸を整えてから、頭を下げて鳥居をくぐってきた。


「淑子さん……だよね?」

「はい、そうですけど……って、雫奈さん。やだなぁ、ちょっと会わないうちに、私のことを忘れちゃってたんですか?」


 早足で近付く雫奈が懐疑的になるのも仕方がない。

 この朗らかに笑っている女性は、今はお休みしているものの、静熊神社を支える優秀な事務員である三藤淑子だった。

 今は資格を得るため神職の養成所に入所していており、戻ってくるのはまだまだ先の予定だった。


「そうじゃなくて、なぜここに?」

「そりゃ、繰形さんが意識不明の重体で入院したって聞いたからですよ」


 三藤に連絡を入れたのは美晴だった。

 事務の仕事を引き継いだ時に、連絡先を交換していたのだ。

 わざわざ戻ってきた割に、三藤に慌てた様子がないのは、美晴が冗談を交えて面白おかしく伝えたからで、心配は心配だけどいつもの気絶の酷いもの程度に思っていたからだった。

 だけど、さすがに三藤も、雫奈の説明を聞いてタダゴトではないと理解した。

 もちろん、雫奈の説明には、悪魔だの魂が誘拐だのといった部分は伏せられていたが、意識不明が長く続くようだと危険だって部分は伝わった。


「わかりました。美晴さんがお見舞いに行って下さってるのでしたら、その分私が神社でご奉仕させていただきますよ。実は、勢いに任せてまとまったお休みを頂いたまではいいんですけど、どうしようかなって少し迷ってたんです。まさか私が繰形さんのお見舞いに毎日通うのも変ですからね」


 もちろん、一度はお見舞いに行くつもりだけど、自分が病院に行ったところで出来ることはない。だったら、静熊神社の手伝いをしたほうがいい……というのが三藤の下した判断だった。

 それを聞いて、雫奈は考え込む。


「あっ、お手伝いなので、お給金はいりませんよ。学費を出してもらっているわけですから」


 三藤の養成所入りは神社のためのものだから、経費は全て神社が負担している。

 とはいえ、その資金をねん出したのは三藤自身なのだが。


「そういうことじゃなくて……そうね……。時末さんだけなら大変だと思っていたけど、淑子さんが手伝ってくれるのなら、神社のことをお二人に任せてもいいかな?」

「はい、任せて下さい。……あっ、でも、二人でってことは、優佳さんもどこかへ?」

「さすがに栄太のことが心配だから、ちょっとへ迎えに行こうかと思って」

「向こうって……もしかして、あの世とか?」


 肉体を失った魂は、世界樹システムに還るから、隠世もある意味あの世と言えるが、さすがにちょっと言葉が悪い。

 雫奈はくすりと笑う。


「そうよね。もしあの世に行こうとしてたら、全力で止めないとね」

「わっかりましたっ。静熊神社のことはご心配なく。雫奈さんたちは、繰形さんのことをお願いしますね」

「ありがとう。もし、何か困ったことがあったら、本堂に向かって呼びかけてくれればいいから。じゃあ、ちょっと行ってくるね」

「はい。いってらっしゃい」


 なんとも慌ただしいことだが、雫奈はその場で姿を消した。

 それを見送った三藤は、お願いしますと手を合わせると、重いキャリーバッグを引きずりながら家の中へと入って行った。




 三藤は、荷物を解く間もなく旅の汚れを浴室で落とすと、髪を結い上げて、久しぶりの巫女服に袖を通す。

 これにより、やっと帰ってきたという実感が湧いてきた。


「じゃあ、早速、始めますかっ!」


 両手で自分の頬を叩いて気合を入れると、まずは鈴音の様子を見に行く。だけど、部屋に姿はなかった。

 ならば家の掃除をと思ったけど、手を加える必要がないほど清掃されていた。

 だったら、庭や境内の掃除を……と思ったけど、それも完璧に整えられていて、せっかくのヤル気が空回りする。


「あっ、時末さ~ん、お久しぶりです」

「おや、三藤殿ではござらんか。やけに疲弊しておられるが、いかがいたした? いや、それより、いつお戻りに?」

「はい、ついさっき戻りました、数日だけですけどね。で、何かお手伝いできることがないって気合を入れたんですけど。お掃除しようにも全部ピカピカで」

「で、ありましょうな。よほど繰形殿のことが心配なご様子で、雫奈殿が考え事をしながら幾度も浄めておられ申した」

「あー、なるほどね……。あっ、そうそう、時末さん。雫奈さんからの伝言で、繰形さんを迎えに行くから、時末さんと私で神社の事をお願いって」

「ふむ……。あい分かり申した」


 すぐに状況を理解した時末は、ついに決断なされたかと、満足げにうなずいた。




 神社の家には地下室がある。

 基本的には倉庫だが、いざという時にはシェルターの役割も果たすという優れたもので、その奥には栄太の為の作業部屋が確保されていた。

 いわゆる監禁部屋……というわけではなく、静かに作業できそうな場所を確保しようと思ったら、ここぐらいしかなかったのだ。

 ここなら防音がしっかりとしているし、外の音は入ってこない。


 シェルターというだけあって、トイレとシャワーも備え付けられている。

 まあ、全ては優佳の悪ふざけで作られた設備なのだが……

 残念ながら、まだ栄太には使ってもらってないが、たまに雫奈たちが利用してたりする。

 雫奈は水垢離代わりにシャワーを浴び、しっかりと身体を浄めてから作業部屋へと入る。

 そこには広めのベッドがあり、すでに優佳が横たわっていた。今ごろは魔界で、旧知の悪魔と合っているのだろう。

 本来ならば現身を消したところで問題はないのだが、今は非常時であり、一度消してしまえば再び顕現できるか分からない。

 それならば、極力現身の活動を抑えつつ、現世に残したほうがいい。

 雫奈は身支度を整えると、優佳の隣に横たわり、心を落ち着けてからソッと目を閉じた。

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