芸術か生活か

 それから受験準備を始め、僕は東京の大学に入った。残高は四十五万円。入学費を払ってあとはバイトと奨学金で何とかなるだろうという算段だった。学部は将来を保留する意味で経済系の学部にした。実学に足を置きつつ融通が利きそうだったからだ。そして自由に選択したのは哲学と文学だった。それらについて、パンの会という文学や美術の学生が集まるインターカレッジサークルで議論も重ねた。バイトは若い会社で募集していたプログラミングのインターンを始めた。僕は相性がいいと言われた。つまづいては調べてを繰り返して、それに応えるように上達していった。

 パンの会では、僕は詩と哲学を本分としていた。詩や哲学がその一語一語を厳密に追う報酬を与えてくれるのに対して、小説には意匠性の弱い部分、意図が分からない部分があり、その軽さに馴染めなかった。そうはいっても僕は二十歳になる前にひとつ小説を書いた。なぜか? ランボーは二十歳で詩をやめ、ラディゲは二十歳で病死した。二十歳とはそのような区切りで、自分にも何か見いだせるのか問いたかったのだ。彼らはあまりにまばゆく、数多の詩人や作家の生涯をかすませてしまった。――もちろん僕の出来損ないの文章も。


 その頃の僕は虚無を払う思想を求めていた。佐野愛美の『星のあいまに』という詩がある。


 なぜ138億年経った宇宙で

 無数の生命の中で

 他でもないあなたが

 この世界を観測しているの


 あなたがすべての始まりで

 すべてはあなたを通してしか存在しない


 どんなに殖えようと

 どんな言葉が飛び交おうと

 どんな苦しみがあろうと

 揺るぎない事実


 あなたが壊れたら

 ――プツン、すべて終わり


 比べるものもなく、並べるものもなく

 あなただけがこの世界を観ている


 だから好きなものを観て

 そう、金星(ヴィーナス)と踊って


 この詩は、世界は私を通した形式でしか存在せず、私は世界の前提であるほど大きなものなので、世界など好きに解釈すればいい、そういう意味だと思っている。

 僕はこの詩のような自我論に立脚して、芸術も哲学も「観測者」の世界を彩る直接的な方法なのだと考えていた。そしてその考えを生活哲学と呼んだ。――さてその生活哲学はどう表現すべきだろうか? 果たしてそれをゆたかに表現する形式は小説だった。能動的に文章世界を立ち上げて、そこに流れる時間のなかで世界の彩り方を体験する。その表現は多様に存在すべきものであって、哲学という形式では定義や例示はできても、それ自体を多様に展開させることはできない。そのような経緯で僕は小説への関心を高め、生活哲学とその表現について考察し、生の芸術を模索した。


 川波仙李の『美しい僕ら』という詩を記して、この話は終わりにする。


 美しい僕らは道をゆき

 世界を彩り、時を掴む


 美しい僕らは生をゆき

 違いを尊び、友と笑う


 美しい僕らは木々をゆき

 悠々歩いて滝を見て

 悠々歩いて丘に座す


 ああどこか美しい国で

 君が君らしく

 息のできる場所があったなら


 美しい僕らがいつの日か

 本当の生活をもてたなら


 *


 サークル以外でも遊んでいたのは、同じクラスのユノ、美大油画科のダイとルツだった。それぞれ音楽サークル――クラシック、ジャズ、軽音――にも所属していた。僕らは煙草を吸って酒を飲んで、カラオケ、ビリヤード、ドライブ、そういう遊びもしながら、ニーチェ、フッサール、アドルノ、ユング、バタイユ、ランボー、リルケ、カフカ、オーウェル、セザンヌ、ゴッホ、モディリアーニ、そんなあれやこれやの話をした。


「昆虫食べる人知ってる?」ルツが訊いた。

「ヘルマン・ヘッセ?」ダイが返す。

「違うよ、テレビにでてた大学生。それ蛾を食うやつ」

「そうそう、好きなんだよ。なんか分かる気がして。俺も自分のなかにムカデがいて、いつかそいつに食い殺されるんじゃないかって思ってるから」

「なんだそれ」僕は笑って言った。

「ボードレールにも『不都合なガラス屋』って散文がある。ガラスの訪問販売を最上階まで呼びつけて、ひいひい上がってきたそのガラス売りに〈この世を美しく見せるガラスがない〉と難癖をつけて追い払い、そしてガラス売りが階段から出てきたところに花瓶を落としてガラスをめちゃくちゃに割るんだよ」

「ユノは息を呑んだ」ルツが言って、ユノが笑った。

「地の文か」僕が返す。

「で、この衝動も分かるんだよ」ダイが話を戻した。

「誰でも多少はあるんじゃないか?」僕はフォローした。


 そんな風に過ごしながら、どう社会に出るかという問いにはまったく解を与えられなかった。思想や表現を求める道のりは遠く、そこに生活を描くことはできなかった。問題があるとなにか解を、少なくとも暫定的に与えなくては気持ちが悪い。煙草を始めたのはそういう気分を変えられたからだった。じりじりと消えていく日々に焦燥を感じながら、前を向いているつもりで。

 僕はルツと付き合いはじめた。彼女は僕が精神的血縁を感じた数少ない人物だった。パラレルワールドの自分といえば過ぎるが、感性や行動原理といった根底の部分が似ていた。精神的血縁と過ごす時間は印象的な瞬間が多い。山をゆく時、海辺にたたずむ時、何かを美しいと思う時、彼女を思い出す。思い出すというよりもはや存在している。その瞬間をともに慈しみ、心を暖めてくれる。彼女に彩られて変質した世界を見ると、過ぎた日々がこの瞬間にも影響することに僕は人生の質感を覚える。彼女との日々は財産となった。


 Verweile doch! Du bist so schön.

(時よ止まれ、お前は美しい)


 彼女にささやいたことがある。ひとりの生活さえ不安な僕らは、いつからか自分の思想や表現への欲求をメフィストフェレスと呼んでいた。ただ、ファウストと違って魂が低かったせいか、それとも契約の言葉を口にしたせいか、僕は初めから破滅へと押し流されていった。自己の基準と社会の基準を器用に切り替えることは、焦りや不慣れでまったく上手くいかない。自己に沈潜するほどに会話を失い、単位を落とし、残高を減らし、役に立たない人間になっていった。僕は自分の生活力のなさを呪いながら、自らの悪魔を封じ、呪物崇拝(フェティシズム)と蔑み、社会で身を立てることに専念すると決めた。

 静かな昼下がりの誰も訪れない部室で、僕はそれを伝えた。――俺はもっと大衆的(ポップ)にならなければと言って。

「すぐ戻ってくるよ」

 彼女は涙を流した。憐れみか哀しみか心細さに。そのあと彼女は抱いてほしいと小さく言った。僕らは互いの神経が見えると表現するくらいに、さまざまな精神状態(セット)と環境(セッティング)を試していた。気分にあわせて、どの順で、どういう風に、どれくらい刺激すべきか、よく理解していた。

 その日、曇ガラスの光を白く受けた姿はさながら傾国のヘレネーだった。

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