第4話 景義、秘奥を明かすこと

「幸いにもようやくのこと、鎌倉の覇権は、日本全土にゆき届きました。

 戦乱の世は、終わりました。

 今こそ釈尊のように、智者大師のように、慈悲の御心をもって、世のなかを治めてゆくべき時が来たのです。

 まさに今日の放生会こそ、平和のおとずれを告げる、『鶏鳴けいめいの神事』といえましょう。


 燦然と輝く、鎌倉のまぶしい朝日のなかで、その偉大なるにわとりが何と鳴いているのか?

 みなさまには、聞こえますかな?

 いかがか?

 私の耳には、はっきりと、このように聞こえるのでございますよ。


宇宙うちゅう静謐せいひつ干戈かんか永収えいしゅう』、と。


 ……この宇宙に静かなる平和を、そして、武器は永遠にくらのなかに収めてしまおう。


 ――もはや争いは、無用。

 愛しい者たちとの死別は、無用。

 あのつらく苦しい悲しみは、これ以上は無用なのだ――と、そう鳴いているのです。

 ……われわれはまさにこの日のためにこそ、つらく長い戦いを、戦い抜いて参ったのです」



「その今日という日に、亡き人々の魂を――かれらいくさに滅びていった魂を――なぐさめるものは何なのか?

 苦しみと虚しさのなかで死んでいった魂が、成仏するために必要なものは、何なのか?

 みなさま、とくと、お考えくだされ。

 かれらの死を無駄にせぬためにも、われらがすべきことは何なのか、みなさまはお分かりか?」



「釈尊は、語り申す。

 智者大師は、教え申す。

 地獄をさまよう魂を救うもの、……それはわれわれの慈悲の心でございます。

 積極的に、平和を求める心です。

 つまりはそれが、仏心ほとけごころ――御仏みほとけの心なのです。

 もはやこの世から戦の悲しみや苦しみがなくなったと知ったとき、ようやく死者たちは安心して、成仏することができるのです。

 『宇宙静謐、干戈永収』

 この思いこそ、戦に滅びていった魂たちの、そして御仏の、究極の願いなのです」



「もしもそれとは反対に、戦場での敵への憎しみを忘れず、人生を復讐に生きれば、必ずや相手からも復讐を受けましょう。

 当の相手が死んでも、その子が立ちあがり、御身あなたをつけ狙うでしょう。

 たとえ御身が無事でも、御身の愛する者が、代わりに復讐を受けるでしょう。

 互いを根絶やしにするまで、戦いつづけねばならぬでしょう。

 仏道ではこれを、『因果応報』というのです。


 みずから復讐に生きるものは、復讐に苦しみ、復讐に滅びるのです。

 ……しかし、たとえ相手が憎き敵であったとしても、もしもその敵を赦すことができたならば、その時には必ずや、自分が生きるのです。

 なぜならば、自分も相手も、同じひとつの世界をわかちあう、同じひとつの生命じょうみょうだからです。

 相手の生命を生かせば、必ずや自分の生命も生きるのです。

 ……まさにそれこそが、放生会の、真の『秘奥』でございます」



「ですから、みなさま。

 ひとかけら……ただひとかけらの慈悲でよいのです。

 この放生会が、万物の生命を慈しむ神事仏事であることを、おぼしめしくだされまして、今まさに、浅い水たまりのなかで命を失わんとしております、一匹の小魚――河村三郎義秀に、御赦免の水をくださいませ。

 釈尊や、智者大師のごとき、心ひろき御裁断を――

 どうかひらに、ひらに、お与えくださいませ」






※ 宇宙静謐、干戈永収 ……

 朝廷から頼朝への宣旨のなかで、実際に使用された言葉。

「散位源朝臣頼朝、幾日を廻さず西賊を討滅す。然れば則ち干戈永戢・宇宙静謐 」

(『玉葉』寿永三年二月二十三日条)


※ 宇宙 …… 「世界」の意味。「宇」は、空間。「宙」は、時間。時空間のすべてを表す。中国由来の古い言葉で、奈良時代の『日本書紀』にすでに使われている。

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