第5話 頼朝、裁決を下すこと

 群集は静まりかえり、ッと耳を傾けていた。

 それは、熱弁であった。

 大演説であった。

 若い頃、人をあやめるために握った弓矢を、今は人を生かすための舌鋒ぜっぽうに変えて、あいかわらずの刺し違えの権五郎ごんごろう魂で、信念一途いちずにぶつかってゆく――景義は腰をかがめ、粛々と頭をさげた。


浅猿あさましッ」

 御家人席の一角からえたのは、長江義景である。

 景義の弁舌のあいだも、ずっと野次を飛ばしていたのは、この人であった。

「二品様、この老爺の能弁に、騙されてはなりませぬぞ。景義が御命令に背き、斬罪に処すべき罪人をかくまってきたことは、今や隠しようもなく、明白。この罪は、けして許されるべきものではありませぬ。この老狂の男に、断固たる刑罰をお与えくだされ」


 その言葉にうなずきつつ、頼朝は景義から目を離さなかった。

 景義の態度、そこにあるのは果たして、老狂の風ではなかった。

 後ろ暗い影でもなかった。

 実に堂々として、全身が強い信念の光につつまれている。

 永の年月をこの老人とともに歩いてきた頼朝の脳裏に、数々の場面がよみがえり、ひらめいた。


(……波多野有常。河村千鶴丸。そして、こたびの河村義秀。ふむ、そういうことか、景義……)

 いかめしい表情を崩さぬまま、頼朝は、澄みわたった秋空に高く、目をそむけた。


「さしでがましくも、二品様」

 太い声を張りあげたのは、幕府弓場役、藤沢清近である。

「河村には、秀郷流の家伝の秘術がござります。その手並みが本物であったならば、必ずや御家人たちの武芸の範となります。生かしてお使いになられるべきでしょう」

 言いも終わらぬうちに、大きなしわがれ声が飛んできた。

「面白い見ものではござりませんかッ。わしも見てみとうござりますなぁ」

 悪四郎であった。

 藤九郎も盛綱も、賛同の声を張りあげた。

 すると協和するように、右翼左翼の御家人席から続々と、期待と賛同の声が飛び交ったのである。


 これを聞いて、長江義景はッと、頭に血を昇らせた。

「黙らっしゃい、方々かたがた。なにをおっしゃるか。二品様、反逆者景義を斬刑にッ。河村義秀を斬刑にッ。今すぐにッ」

 しかし流れはすでに、景義の側に傾いていた。


 御家人たちの心は、まさに景義の言葉のとおり、長き戦乱の日々の殺伐とした空気を嫌悪し、明るく新鮮な空気を、切望していた。

 もう、血の臭いは、たくさんだ、

 しかばねの臭いは、たくさんだ、

 悲劇を見るのは、もう嫌なんだ――

 子供たちの悲しい顔を見るのは、もう嫌なんだ――

 熱望はやがて、ひとつの言葉となって、人々の口からほとばしり出た。


「河村――カワムラッ、カワムラッ」

「カワムラッ、河村ッ」

 ――どこからか湧き起こった呼号が、次第に群をなして高まり、長江義景の怒声も、ついにはそのなかにかき消されてしまった。

 ばらばらだった声が、すべてひとつに合わさり、魂をゆさぶる太い音声おんじょうとなって、広い境内けいだいをふるわせた。


「カワムラッ、カワムラッ、カワムラッ――」


 頼朝は、ッと自分のほうを見つめている、妻の視線に気づいた。

 於政は幼い姫をしっかと胸に抱きながら、期待に満ちた、慈悲ぶかい微笑を浮かべている。


 頼朝は両腕を高々とあげ、人々に静粛をうながした。

 境内が静まり返るや、鎌倉府の棟梁として、裁断の声を放った。


「事の次第、奇ッ怪至極きっかいしごく――。なれども、今は神事を優先する。河村三郎、早々に準備させるがよい」

「おおッ」

「……ただし、その男の弓矢のわざ、堪能にあらざれば、重ねて罪科に処す」

「ハハッ、ありがたき幸せ、早急に」

 景義は杖を放り出し、倒れこむように平伏して後、顔をあげた。

 どっと噴き出した喜びの汗が、かれの日に焼けた顔を、すみずみまで輝かせていた。

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